結婚してほしい男
話を聞いた自分がどうしたか、もちろん早々に席を立って飛び降りの続きをしようとした。
「待ってください!」
「いや、待たない」
「どうして…」
「どうしてもこうしてもないでしょ。結婚!? あんた馬鹿? どうして出会ったばかりの貴方と結婚する必要があるの」
この男は自分をからかっているのだ。私は渾身の侮蔑の目線を向ける。
「一億、欲しくないのですか!?」
「そういう問題じゃないです。ウリの方がまだ理解できるわ。一億出して、私に結婚を申し出るに至った経緯を、私が納得するように説明してください」
温情で席に着きなおすと、丁度店員がパンケーキを二個運んできた。
甘いものは苦手なのに。先程受け流したイライラがまたぶり返してくる。
「わかりました。お話します……」
男は、パンケーキを上品にナイフとフォークを使って口に入れる。そして一息つくと、話し出した。
「実は先日、余命を宣告されまして」
渋々口に運んだパンケーキが飛び出そうになる。
男はそんな私を見てへらへらと笑う。とても殴りたい。
「期間は一週間ほど。無駄に健康診断を拒んでいたのが運の尽き、ぶっ倒れた時にはもう手遅れで。そこで、ですね。やれ死ぬのか~と思ったら何かと思い起こされましてね。周りには看取ってくれるような人もいないし結婚もできていません、と」
「はあ、それで」
目線をふらふらさせて、人差し指で宙にハートをかく。
ハートの中には自分がしっかりと収まっている。その態度はふざけていて腹が立つ。
ただ、こいつもひとりなのかと思った。
「そこで、あなたに出会っちゃったのです‼ たまたまふらっと立ち寄ったビルで、ドンピシャ好みの女性が死のうとしている。止めないわけがないでしょう? これはきっと神様からのご褒美ですよ!! 手元には一億円があるし、これで神様が最後の余生を彼女と過ごせってね」
話しながら、目を潤ませてこちらを見たりしてくる。とても煩わしい。
「で、私に自分が死ぬまで結婚をしていろと」
「その通りです‼ どうせあなた様は死ぬつもりだったわけですし、余命の少ないかわいそうな奴にお時間頂戴できませんか?」
話は一通り聞いた。そのうえで思う。
「時間の無駄だったわね。失礼します」
「え、え、え、ちょっと」
なおも縋り付いてくる男を足で払う。公共のカフェでみっともない状態だ。
周りの客が少なくて幸いだが、店長からの目がきつい。
さっさとけりをつけるべく男に向き直る。
「あのね、私は今日初めてあった人と付き合ったりなんかしないし、ましてや結婚なんかするわけない。 一億だってまともなお金かわからないし、あなたの事情はお気の毒様だけど、私には一切関係ないから。死ぬ前の一週間とか、正直重い」
男は噛みつかれたことに驚いたのか阿呆な顔を晒している。
「女なら他にもいるでしょ。その金があればついてくるやつなんて吐いて捨てるほどいるわ。精々探して。私はもういくから」
(あのビルに戻って邪魔された続きをしよう。)
財布から札を二枚抜き取り机に叩きつける。
なぜか、男の言動が自分には許せなかった。境遇には同情はするけれど、私の時間だって有限。
誰かのために自分を浪費することは終わったのに、あの男に尽くしてやる義理はない。
あと、お金で買えると思われていることが、下に見られているようで嫌だった。
きっと私が「あまのじゃく」なのだろう。他人の不幸を素直に悲しめる性格なら、ビルから飛び降りようとなんて思っていない。
(まあ、病気っていうのも嘘かもしれないしね……)
カフェから出て、タクシーを探す。田舎の通りではなかなか拾えず、駅の方に向かうことにした。
すると、後ろからすごい勢いで近づいてくる足音がする。
「まってええええええ」
懲りない男は、息をぜえぜえきらしながら、手を振って追いかけてくる。
私が足を止めると、ほっとしたように顔がふやけた。
(病気なのにそんなに走っていいのかよ……)
「あ、あの。ば、倍払いますっ」
「お金じゃない」
「え、じゃあ……」
堪忍袋の緒が切れる。しつこすぎる男に鬼の形相で怒鳴った。
「他にも、女ぐらい、いるでしょ」
「あなたじゃなきゃダメなんです」
「………え?」
男はまっすぐ私を見て、もう一度言った。
「あなた以外じゃ意味がありません」
意味が分からない。どうしてここまで私に固執するのか。
「僕と、結婚してください」
ぼたっ。
男のいる地面が濡れた。