OLは飛び降りたかった
『OLは飛び降りたかった』
たらこ
「もう、いいかな」
ひとりで階段を上る。町のはずれにある無機質なビル。
ハイヒールの音がコツコツと鳴る。
もう何度もこのビルには足を運んだから、この時間に人が来ないことは確認済みだ。
四階分の階段はなかなか足に来る。
やっとの思いで屋上に着くころには、だいぶ息が上がってしまった。
(運動不足がここで響くなんて……。こんなことならちょっとでも体を動かしておけばよかった)
最後の踊り場に着いて扉を開ける。古いビルなので、扉のチェーンはたやすく外れる。
もちろんこれも確認済み。
「あ―――、風が気持ちいい」
独り言をいう癖は最後まで治らなかった。けのびをしてからへりに近づく。
柵は老朽化していて、少し押せばぐらついて隙間ができる。隙間に身体を滑らせると、ビルの高さがより際立って感じられた。
風にあおられないように気を付けながら下を覗いてみる。
柵と端の間は三十センチ程度で、二十五センチの私の靴にはぎりぎりの大きさだ。
(結構高さあるなあ、落ちたら痛いかな……)
深呼吸をする。両手を横に開き、どっかの有名な映画みたいなポーズをとる。
「いきますか」
少し重心を前にかけるだけで落ちていける。
そして、私は身体を前に――――――。
「ちょっと待ったアアアア‼」
「ぎゃっ」
腕を強い力で引っ張られ、柵の内側へ倒される。
「な、なに」
「ごめん、痛かった?」
声の主を見る。スーツを着た男。しっかりと私の腕を掴んでいる。
「いや、大丈夫ですけど。何か御用ですか?」
この男はなにを余計なことをしてくれているのだろうか。眉間に力が入る。
「なにかって、今、自殺しようとしていましたよね!?」
「ええ。それが何か」
「いやいやいやいや、ダメでしょ! それはやっちゃいけないでしょ!」
テンションの高い男が、畳み掛けてくる。
全く、近頃の若者は妙な正義感を発揮しやがる。
「はあ。あの、私の行動は私に決める権利があります。ご理解いただけますと幸いです」
事務口調が口をついてでる。せっかく楽になるはずだったのに、とんだ邪魔がはいった。
男が黙り込んだので、我幸いと柵の方に戻る。
「ま、待って! 待ってください」
「嫌です」
「ええ!?」
これ以上騒がれると誰か人が来る。
警察を呼ばれたら静かにいけなくなってしまう。
私は後ろで叫んでいる男を無視して、さっさと柵を乗り越えた。
「い、一億あります」
「………は?」
呆気に取られて後ろを向くと、男があたふたしながら銀色のアタッシュケースを開けて、中を見せてくる。ケースの中にはぎっしり詰まった札束。
慌てた男が中身をぶちまけた。ひらひらと紙が舞って、手元に落ちてきた。
「ほ、本物…………」
「はい! 正真正銘モノホンです。これあげるので、話聞いてくれませんか!?」
(こいつ、正気か。OLの自殺止めるためだけに一億円だしやがった。)
しかし、流されるわけにはいかない。ここに来たのは中途半端な決意ではないのだ。
一億円ごときで、自分の心が揺れることはない。
一億円ごときで揺れることは――――――。
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「お腹すいてないですか? 僕パンケーキ頼みますけど、同じのでいいですかね」
「甘いものは苦手なので結構です」
男はいそいそと店員を呼び、パンケーキを二個注文している。指摘するのも面倒で、頬杖をつく。
現在、二人がいるのは、ほっかほかのパンケーキが売りの洋風カフェだ。
先程いた古ビルから車で十分先にあるカフェで、ビルから出た後、男の車で一緒に来た。
簡潔に言うと、一億に負けたのだ。
ただし誤解のないように付け足すと、死にそうなOLと
一億をダシにしてまで話をしようとしたこの男に興味がわいたからだ。
考えてみれば、飛び降りるのは、これからならいつでもできる。
話を聞いた後でも遅くはないと思った。
「で、こんなところまで連れてきて、本当に何の御用?」
「はい、実はですね。あなたにお願いがあるのです」
「まあそうだろうね。でも、身体が欲しいとか言われてもやらないよ。私はもうウリはやめたの」
口調が荒くなる。気を付けてはいるのだが、育ちが悪いのでたまに出てしまう。
「いいえ、あいにくそういう意味では女性には困っていないので結構です」
鼻につく言い方をする。しかしよく見ると顔がいい。言ったことは嘘ではなさそうだ。
「じゃあ何ですか?」
「実はですね……」
男が出した頼み事は、想像をはるかに超えるものだった。
「僕と、結婚してほしいのです」