悪役令嬢が現れました
「皆さま、婚約者はいらっしゃらないのですか?」
「いないよ〜」
「いないぜ」
「いませんね」
「いないな。なんだ、俺に興味があるのか?モモ」
ニヤリと笑って、隣に座っていたライアンがそのお綺麗な顔を近づけてきた。わたしは最大限にのけぞって、ぐいーっと彼の肩を押す。
「い、いえ!もしいらっしゃるのなら、このように定期的にお会いするのは良くないのではと…」
「私たちはそこまで愚鈍ではありませんよ。それにいい加減、一年近くこのお茶会を開いていますが。なぜ今、その質問を?」
くっ。さすがメガネキャラ、鋭いし容赦ない。
「はいはーい、ワードリー公爵令嬢のせいだと思います!」
ノアが挙手をすると、その隣に座っていたルイスが片眉を上げた。
「何かされたのか?」
「いえ…特には。少しお話をしただけです」
ワードリー公爵令嬢ヴィラ様は二年生なのだが、どうやら最近になって、わたしが王子たちと時々お茶をしていることをどこからか聞きつけたらしい。通りすがりにあからさまに睨まれたり、複数人で取り囲まれて「身分をわきまえなさい」とネチネチ言われたりしていた。
教室を移動する時はクラスの友人たちがわたしを隠すように歩いてくれた。しかし彼女たちは子爵令嬢以下の身分だ、そのせいで目をつけられたら困るだろう。申し訳ないので、あまり側にいないほうがいいと伝えた。
貴族と揉めてもろくなことがないから、とにかく謝ってやり過ごすしかない。つい昨日もあった「お話」を思い出して、わたしは遠い目をした。
ここが本当に乙女ゲームの世界なら、ヴィラ様は悪役令嬢で…やっぱりヒロインはわたしか。画面上で嫌がらせをされても特に何も感じなかったけれど、現実となるとお説教をされるだけでも地味に疲れる。
嫌がらせをされるということは「逆ざまぁ」小説ではないはずなので、それにはほっとしたが。
「面倒だから、もう婚約を発表すればいいだろう」
「どなたのですか?」
「俺とお前に決まっている」
「…………は?」
あまりにも自然と言われたので、一瞬何のことかわからなかった。
「婚約者になれば、他の令嬢がガタガタ言うこともない」
「いやいや、いやいやいや。おかしいですって。わたしは平民、あなたは第一王子殿下、ひいてはこの国の王です。平民出の妃なんて聞いたことがありません」
ゲームや小説以外ではね。
わたしは成り上がれるようなチートとか、持ってないし。
「わあ、ライアンみんなの前でフラれたよ。もうちょっといい雰囲気の時に言えばよかったのに」
「うるさい」
からかうノアを、ライアンはジロリと睨みつけた。
というか、側近三人組はさっきの発言に対して誰も驚いていない。知ってたの?ゲームの強制力なの?
そりゃあ、この四人が攻略対象だったら、俺様なのに根は優しい王子ライアン推しだけど…って、違う違う。
「それについては、考えていることがある。近々なんとかするから、お前はただ待っていればいい」
「実際に動くのは私なのですが。もう少し年長者を労っていただきたいですね」
「年長者って、一つしか違わねえじゃん。ジジイかよ」
相変わらずのやりとりに、思わず笑みがこぼれた。
何をどうするつもりか知らないが、この四人と居るのはすっかり当たり前になってしまった。
学園を卒業するまで一年と少し、イーサンが卒業するまでだと一ヶ月ほど。残り僅かな時を楽しんで、いい思い出にしたい。
状況は何も変わらないまま一ヶ月が経ち、イーサンやヴィラ様たち二年生が卒業する日になった。式典を終え、その後は生徒会主催のパーティーになる。
パートナーを伴うパーティーではないので、わたしはクラスの友人たちと参加していた。主役の卒業生たちが続々と入場し、あちこちに歓談の輪ができている。
遠くにイーサンの姿が見えたが、将来有望な彼は大勢の人に囲まれていて、今日中には挨拶できなそうだ。後日手紙でも送ろうかと思っていると、派手な赤いドレスを着た黒髪の女性が正面から向かってきた。ヴィラ様だ。
「お前、わたくしの家に何をしたの⁉︎ライアン様たちだけでなく、お父様やお兄様まで誑かすなんて‼︎この売女がっ‼︎」
「……何のことをおっしゃっているのかわかりかねますが、ここは卒業パーティー会場です。お話でしたら、会場の外でお伺いいたします」
「平民のくせに、わたくしに指図するんじゃないわよ!わたくしはお前など認めないわ!」
パン、と乾いた音がして、わたしの左頬がヒリヒリした。周囲がざわざわしだす。今日はただ謝るだけでは済まない雰囲気だ。
とにかく落ち着いてもらわないことには話もできない。どうしたものかと逡巡していると、カツカツとこちらに近づく足音が聞こえた。
「あなたが認めなくても、王が認めているから問題ない。彼女を貶める発言は控えてもらおうか」
力強い声でそう言いながら隣に立ち、わたしの肩を抱いたのはライアンだった。その声を聞いただけで、わけもなく安心できるのはなぜだろう。
彼はわたしの顔を覗き込み、右手でそっと頬に触れて「遅くなってすまない」と小声で言う。金の瞳が心配そうに揺れた。
わたしは小さく頷いて、大丈夫だと伝えた。令嬢の力で打たれたくらいでは、腫れたりはしないだろう。
「ライアン様!その女はわたしの父に取り入り、公爵家を乗っ取ろうとしているのです!身分をわきまえない、はしたない女なのですわ!」
「はて。身分をわきまえないのもはしたないのも、あなたのほうではないかな。私はあなたに名前で呼ぶことを許した覚えはない。卒業パーティーの会場で大声を出し、暴力を振るったのもあなただ。そして彼女はあなたの父に取り入るどころか、会ったこともない。そうだな、クーパー嬢」
「はい」
いつもお茶会で見るライアンは、俺様だけれど甘いものが好きな十七の少年でもあって、わたしのことも「モモ」と呼んでいたが、今日の彼は完全なる王子だった。正装をしているからというだけではない、有無を言わさぬ強い眼差し、堂々たる声。一瞬にして緊張感が辺りを包み、出会った日の彼を思い起こさせた。
「で、でも、父は…」
「あなたの父、ワードリー公爵に庶子がいた、というのは事実だ。あなたの母についてのことも、皆の前で明らかにしたいのか?」
わたしには何のことやらわからなかったが、それがおそらくライアンの「考えて」いたことなのだろう。黙って見守ることにする。
王子に睨まれ、好奇の視線に晒されて、ヴィラ様は悔しそうに唇を噛んだ。そのまま踵を返し退出する。
あ、礼とかしないんですね…。
「皆、騒がせてすまなかった。このまま卒業パーティーを続けて欲しい」
最も身分の高いお方にそう言われてしまっては、この場であれこれ詮索することもできない。パーティーは何事もなかったように再開された。
先程までと違うのは、わたしの横になぜか王子様が張り付いていること。あとでちゃんと教えてくださいね、というつもりでチラリと視線を送ると、肩を竦めて頷いた。