脳筋男を助けました
今日の授業を終え、クラスの友人と別れて帰宅しようとすると、門の近くで男の人が二人何やら話をしていた。
片方は制服を着ているので学園の男子生徒。もう一方は、少し年上のようだ。家族だろうか。何にせよわたしには関係がないと会釈して通り過ぎる。と、生徒のほうから呼び止められた。
「そこのあんた、ネイボル語がわかるか⁉︎」
振り返ると、必死の形相である。
ネイボルはお隣の国で、我がストラーデ王国とは友好国のため、様々な交易や交換留学なども頻繁にしている。確か、今年の一年生にも留学生がいたはずだ。とっても高貴な方なので、顔を見たことすらないが。
「少しでしたら。何かお困りですか?」
実際は少しというか、恋愛小説を読めるくらいには話せるのだが、平民があまり出しゃばってもいいことはないので、普段から謙遜するようにしている。
話を聞いてみると、ネイボルの男性は留学がらみの話をしに学園長に会いに来たそうで、途中で連れとはぐれたらしい。そこで通りかかった男子生徒に来賓受付の場所を聞いたのだという。わたしはそのまま男性を受付まで案内し、彼は無事連れの方と合流することができた。
その間、後ろから気まずそうにずっとついてきていた男子生徒が、再び門の近くまで戻って来たところで言った。
「ありがとう、助かったよ。俺、一年Bクラスのルイス・エイブっていうんだ。あんたは?」
わたしはまたしても頭の貴族名鑑をめくった。エイブ家は伯爵家だ。焦げ茶色の短髪にガッシリした体型は、なるほど騎士の家系だからか。上位貴族なのにずいぶんとくだけた話し方だが、それならわからなくもない。
「一年Cクラスのモモ・クーパーです。大したことはしておりませんので、どうぞお気遣いなく」
「あっ、あんたがクーパー嬢か。ノアがうまい菓子をくれるって言ってた。ネイボル語もできるんだな。平民なのにすげえなあ」
平民、とは言ったが別に蔑んでいるわけではないとその表情からわかる。黒い瞳はキラキラして、純粋にすごいと思ってくれているようだ。脳筋、という言葉がわたしの頭をよぎった。
そしてどうやら、ワンコのノア君のお友達らしい。
「家庭教師に習ったことがあるだけです。日常会話程度ですよ」
「いやあ、やっぱすげえよ。俺なんて、習ってもすぐ忘れちゃうもんな。今度のテストもやべえんだ。父ちゃんは勉強ができなくてもそんなに怒んねえけど、母ちゃんがなあ…」
どこの家も母は強いものである。そこは貴族も変わらないのかなあと頷いていると、さもいい事を思いついたというように、ルイスがポンと手を打った。
「そうだ!あんた、俺に勉強を教えてくれないか?時々ノアに菓子をやってるんだろ?その時のついでにちょっとでもいいからさあ」
「ええと、でも、ノア様にお会いするのはいつも中庭ですよ?お渡ししたらすぐお別れしますし」
正直めんどくさい。平民が上位貴族二人と会っているところを誰かに見られでもしたら、どんな噂をされるかわからない。ノア君だけでもどうしようかと思っているのに、これ以上高貴な方とは関わりたくない。それをできるだけ遠回しに伝えると、ルイスはこう言った。
「見られなきゃいいのか?じゃあ、ノアにも言ってサロンを使えるようにするからさ。頼むよ、あんまりひどい点数だと、家に連絡するって先生に言われてんだ。な、さっきみたいな人助けだと思って」
うん、脳筋に遠回しはダメだった。
学園の中では平等といっても、ここまで言われてあまり頑なに断ると家業に響きかねない。エイブ伯爵家は父のほうの顧客だったはずだ。わたしは渋々了承した。
「ここはどうやって解くんだ?さっきのやつと同じか?」
「いえ、こちらは先程とは逆で…」
「わあ、これもおいしい!君たちもそろそろ休憩にしたら?」
わたしはルイスに勉強を教え、隣のテーブルではノアがわたしの手作りケーキを頬張っている。ここは上位貴族の方々が申請すれば使える個室だ。放課後、お茶をしながらおしゃべりしたりするためのものらしい。
前世で学校帰りにファーストフード店に寄るみたいなものかな、と思って連れられて来た時の衝撃といったら。なんですか、ここはホテルのラウンジか何かですか?少なくとも学園の中とは思えない。
「おおー、解けた!俺にも解けたぞ!」
文章問題が初めて解けたようで、脳筋ルイスは感動に打ち震えている。
この世界の勉強は前世に比べれば簡単なもので、一応四大を出ている記憶のあるわたしには余裕だ。中学生の家庭教師のバイトをしたことを思い出した。
専門的に極めようと思えばもっと難しい学問もあるみたいだけど、平民の女には必要なさそうなので、特に学ぶ予定はない。わたしは恋愛小説が読めればそれでいい。
「へー、ルイスに理解させるなんてすごいねえ。モモちゃん、頭いいんだ」
「ルイス様が頑張ったからですよ」
おべっかを使っておく。エイブ伯爵家から、母の紹介所にメイド派遣の依頼が来ないかな。
「うっ…頭が良くて優しくて、その上菓子作りも上手いとは…。何か困ったら、俺を頼れよ!」
ルイスはケーキをつまみながら半泣きだ。打算まみれなのにそんなに持ち上げられても困るけど、貴族の後ろ盾はありがたい。
「僕も頼ってね。いつもおいしいお菓子をもらってるからさ。ルイスよりは役に立つと思うよ〜」
「なんだと⁉︎力仕事ならお前の十倍はできるぞ!」
「十倍の力仕事が必要な場面、そんなにないと思うけど〜」
仲がいいのか悪いのか。
入学して一ヶ月で結局この二人とお友達になってしまったわたしは、この先平穏に学園生活を送ることができるのか、若干不安になって小さく溜息をついた。