part.2
2.
『――東北地方で言い伝えられる山の妖怪、「サトリ」についても触れなければなるまい。
その伝説では、ある晩、木こりが山小屋で火に当たっていると、いつの間にか横に化け物がいる。それは木こりの考えることを全て言い当ててしまうため、「悟り」の化け物と呼ばれた。
考えることがなくなると、その人物の思考を乗っ取ってしまうとする民話もある。しかし、たいていのパターンでは、最終的に木こりは難を逃れる。薪が弾けて火の粉が弾けるといった、偶然の、まるで思考外の出来事によって、サトリは撃退される。
「人間は考えもしないことをしでかす。おっかない」
そう言って、怪物は逃げ帰る……』
「ふう。よし」
一段落したところで、僕は眼鏡を外した。今日はこのくらいでいいだろう。
文章を書いて生計を立てていくのも、楽じゃない。苦労は多いけれど、やはり書ける時に書いておくのが賢明らしい。コラムの寄稿文のような、小さな仕事でも。
時計を見ると、10時を少し回ったところだった。寝るには早いが、新たに他の仕事を始めるには遅すぎる。コーヒーでも淹れようかとリビングに顔を出すと、途端に、妻が声をかけてきた。
「これなーんだ」
「え?」
突然の問いをうまく受け止めきれず、僕は間の抜けた言葉を返してしまった。
妻は手に何か箱のようなものを持っているようだった。が、よく見えない。目を細めて、妻のいるテーブルの前まで来て、ようやく正体に気がついた。「うわ」再び、間抜けな声を上げてしまう。
『未来の僕へ』
木箱の蓋に、彫刻刀でそう彫られていた。それを見た途端、僕の胸に十年以上前の想い出が去来する。思い出した。これは、小学校の卒業制作で作ったものだ。
中にはオルゴールが入っていて、蓋を開けると鳴り出す。一緒に、当時の思い出の品や、未来の自分へ宛てた手紙を入れたのを、おぼろげながら覚えている。いわばこの箱は、タイムカプセルだ。
「今日、押入れの掃除をしていたら、見つかって。あなたが持ってきた卒業アルバムとかと一緒くたになっていたわ」
僕が「どうしてそれを」なんて質問を発するまでもなく、妻はそれに対する答えを口にしてくれた。思わず妻をまじまじと見つめてしまう。さっきの文章じゃないが、君はサトリの化け物か。
我が細君も、恐ろしく察しが良い。考えていることはしょっちゅう筒抜けになっている。化け物じみた洞察力を感じる時も少なくはない。
「化け物はあんまりじゃないかしら」
「え」
さっ、と鳥肌が立つのを感じる。ど、どうして分かったんだ。まさか本当に……。
「今度のコラムの題材、確かサトリの化け物についてだって、話してくれたでしょ。あなたの表情を見ていたら分かったわ。それと重なったんだろうなって」
そう言って、組んだ指の上に顎を載せて、いたずらっぽい笑みを浮かべる。肩まで長さの、艶のある黒髪が揺れた。
「君にはかなわないな」
僕は頭をかきながら、妻の隣に腰掛けた。