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とある出来事の顛末(3)




『お兄ちゃん』

『お兄ちゃん!』

『『遊ぼーよー!』』

『はいはい』

『あ、はいは一回なんだぞー!』

『なんだぞー!』

『わかったわかった、宿題おわったら遊ぶから』

『『やったー!!』』

『でも、お前らは宿題おわったのか?』

『『う゛』』

『サタン?』

『……やってない』

『×××××?』

『……まだ』

『なら、遊ぶのはなし――』

『やだ! ぜったいやだ!』

『ぼくもやだ! 宿題ちゃんとするから遊んで!』

『ぼくもする!』

『わかったよ。じゃあおわったら遊ぶからちゃんとしてこい』

『ほんと?! 約束だよ?!』

『ああ、約束だ』

『やったあ! はやくおわらせよう、×××××!』

『だね、サタン!』

『あとで見せっこしよう!』

『見せっこ〜!』

『あ、こら! ちゃんと自分でやれよ!』

『『はあーい!』』




      ◇




 ぎぃ、とベッドを軋ませ体を起こしたサタンは、ゆっくりと大きく息を吐いた。

 徐々に闇に慣れ始めた目で辺りを見回すと、窓から差し込む月明かりで照らされた部屋の様子が薄ぼんやりと浮かび上がっていた。どうやら、まだ真夜中と言っていいような時刻のようだ。

 一瞬自分がどこにいるのかわからず慌てそうになったが、すぐに寮の自室であることを思い出す。どうやら、あのあとベッドに倒れ込みそのままふて寝してしまったらしい。

 そろりと布団から抜け出し、二段ベッドの上の段を覗き込む。当たり前だが、そこには穏やかな寝息をたてているカナタがいた。

 ゆっくりと自分のベッドに戻り小さく息をついたサタンは、ふと括りっぱなしになっていた後ろ髪に気付き乱暴に紐を外す。元々のくせと寝癖が入り混じって跳ねた長髪が背中に広がり、服越しのその柔らかい感覚にまたため息をつく。

 外見的にも内面的にも似ていないと良く言われる自分たち兄弟の数少ない共通点、それが髪だった。

 色も違うし長さも違うが、生まれつきの癖毛と髪質の柔らかさだけはそっくりなのだ。そして、そのことを改めて感じるたび複雑な気分になる。……何故、自分は似なかったのだろう。何故、自分だけが。

 少ししてパンッ、と自らの両頬を叩き、どうしてもネガティブに偏りそうになる思考を無理やり現実に引き戻した。考えないのが一番楽なのは、誰よりも自分が知っている。


「……シャワー浴びよ」


  時間帯にもよるだろうが問題はないはずだ。消灯時間は決まっているものの強制ではないし、どうせ誰も起きていな――……いとも限らないので一応時間は確認しよう。後で文句を言われたら面倒だ。しかも夜中に電気をつける訳にはいかないので面倒だが携帯を見るしかない。が、そこでふと思い出す。


「携帯、カバンの中だ……」


 そしてそのカバンは生徒会室に置き去りの状態である。仕方ないので諦め、風呂場に向かう途中に足が何かにぶつかった。


「ってー……あ」


 それは灰色の布地に緑と茶色の迷彩柄のラインが入ったリュック――忘れてきたはずのサタンのカバンだった。一瞬何故ここにあるのかわからずぽかんとするが、すぐにカナタが持って帰ってくれたのだろうと思い至り――……情けなくなってまたため息が出た。

 朝起きたら礼を言っておこうと決め、教科書・ノートがほとんど入っていないカバンを探って携帯を取り出す。生徒会用にと支給されたシンプルなデザインのそれには『紅宮沙炎』と書かれた銀色の小さなプレートが嵌っており、黒い本体の中で唯一月明かりを反射していた。ストラップは同じ物が二つ付いており、それが引っかからないようにして携帯を開く。


(……四月十九日土曜日二時十三分、か)


 本当に真夜中だった。これなら電気さえつけなければ大丈夫……ということにしておこう。だが、


(……朝ちゃんと起きれるのか、俺……?)


 結局は今気にしても仕方がないことなので忘れることにして、着替えとタオルを持って脱衣所に入り、脱いだ服は適当に洗濯籠に放り込んで風呂場に行く。暗くてあまりはっきりとは見えないが、一か月以上使っているため物の位置は手に取るようにわかるので特に問題はない。

 シャワーのコックを捻り、強めの水を頭からかぶる。叩きつけられる水の痛さと冷たさが心地良く、サタンはしばらくそのまま目を閉じてシャワーを浴び続けた。


 その間に、さっき見た夢のことについて考える。大分昔……それもサタンたち兄弟が小学校低学年だったときの風景のようだった。今までに何度となく繰り返した会話のため正確な時期はわからないが、見た目的にはそれくらいだろう。

 ズキ、と小さな痛みを覚えた気がして、サタンは目を開きシャワーを止めた。

 水を吸って重くなった長髪が身体に張り付き、雫を滴らせる。肌の上を滑る水滴がやがてタイルに落ち、他の水と混ざって排水溝に流れ込んでいくのをぼんやりと見つめた。

 あんな夢を見たのは兄と喧嘩をしたせいだろうとサタンは思う。一方的に自分が喚いていただけで喧嘩と呼ぶにはいささかおかしい気がしたが、あんなにクロスに反抗したのは久しぶりだった。とはいえ、中学校入学のときから寮に入っていたクロスと小中学と地元で進学したサタンとではあまり会う機会がなかったため、変というほどのことでもないのだが。


(……最後に喧嘩したのって、まだアイツがいたときだったよな……)


 ズキン、とまたどこかが痛んだ気がした。実際は怪我や病気などではないからどこも痛むはずがない。錯覚だ。

 ふと、よく二人がかりでクロスを言い負かそうとしていたことを思い出し、サタンは思わず苦笑した。そしてまた、どこかが……何かが痛む。兄と喧嘩したことを考えれば考えるほど、昔のことを忘れようとすればするほど、それはひどくなる。

 その痛みに耐えられない訳ではなかったが、生来ややこしいことや面倒事が嫌いなサタンは喧嘩についてあっさり一つの判断を下すと、手元のコックを操作し今度は熱いシャワーを浴び始めた。

 顔にかかる髪を払いのけながら、はあ、と大きく溜め息をつく。


(……兄貴との喧嘩なんて、さっさと謝っておくのが一番だ)


 そして、水で冷えた身体が次第に温められるのを感じつつサタンは再び目を閉じた。




      ◇




 翌日の朝、校庭の北端にある古い弓道場に一つの影があった。

 影は流れるような動作で矢をつがえ、弓を引く。が、すぐに射ることはせずにそのままピタリと静止する。

 しばしの静寂。重心移動のために起こる床の軋みも弓矢のぶつかる音も衣擦れの音さえも一切存在しない、唯一風の通り抜ける音だけがこの場の空気を震わせていた。

 そんな中、不意に訪れた完全な無音。風がやんだほんの一瞬。


 矢が、放たれた。


 タンッ、という音と同時に、世界に音が戻ってくる。風、木々のざわめき、鳥のさえずりなどが途絶えることなく空気を揺らす。

 そんな朝の喧騒が響く弓道場に存在する白と黒の的の中に、矢が刺さった物が一つだけあった。先ほど放たれた矢。それは的の中央をわずかに外したところに突き立っていた。


「……不調みたいだな、クロス」


 横からかけられた声に反射的に振り向いた影――クロスは、いつの間にか出入り口にもたれていた声の主を目に留めると、ふん、と小さくに鼻を鳴らした。


「なんだ弓継(ゆみつぎ)か」

「なんだ、とは失礼だな。これでも一応部長だぞ?」

「自分で一応とか言ってりゃ世話ないな。それに、同い年の奴を敬う気はさらさらない」

「ははっ、そりゃそーだ」


 そう言って笑ったのは、弓道部部長の弓継射手(いて)。一年の時から弓道部に所属するクロスにとって、親しい友人であると同時に信頼できる人物だ。


「にしても珍しいな、あんたがこんなに早く来て練習してるなんて。部活は昼からだぞ?」

「それはお前にも言えるだろう。まだ朝――9時ぐらいか?――なのに来てるなんて、よっぽどの中毒だな」

「別に来るつもりはなかったんだがな。ちと用事で職員室に行ったらここの鍵がないもんで、誰がいるか見にきたんだよ」

「好奇心旺盛なことで」

「まぁな」

「否定しないんだな」

「それが俺だ!」

「意味が分からん」


 少しだけ眉を寄せ呆れた口調をしているものの、クロスは普段の威圧的な雰囲気を纏うことなく他愛もない会話を行う。生徒達に生徒会長であるミカミの見張り役として畏怖されることが多い彼を友人として気安く扱うイテの性格が、クロスにそうさせているのだろう。――実際、平時のクロスに軽口を叩こうものなら、その切れ長の目でもって射殺すような視線を向けてくるのが常なのだから。

 ……だが、それを除いたとしても今日のクロスには――大半の者は気付かないほどわずかにだが――覇気が欠けているようにイテの目には映っていた。


「しかし、らしくないな。あの状況、あの一瞬の最高のタイミングで射たのに中心を外すなんて。普段なら強風でもド真ん中を射抜くくせに」

「そんな神業、できるのはお前くらいだ。おれはしがない平部員だよ、『現代の那須与一』?」

「平部員ねぇ……どの口が言うか、元『現代のオリオン』?」

「この口だ」

「……即答することか、それ」


 平然としたクロスに対し、呆れかえるイテ。ほんの少し会話する間に何故か二人の態度は逆転していた。端から見るとかなりおかしい光景に違いない。

 名は体を表すの如く、イテは弓道の世界において大人顔負けの有名な射手だった。全国でもトップレベル、どんな悪条件の時でさえ中心を射抜くその姿から『現代の那須与一』と呼ばれる名手。

 クロスの場合はイテが元と付けたように()有名という訳ではない。だが中学の頃は彼に並ぶほどの人物として、ギリシャ神話の弓の名手『オリオン』とあだなされていた。諸事情により大会などに出ることは止めたが、今でも弓道を続けているため腕は欠片たりとも落ちていない。

 つまり、この二人は見る者が見ればとても凄いはずなのだが……その会話の内容は微妙なものである。


「ところで、今日の部活には参加できるのか? ここ最近滅多に来てないし、後輩たちが寂しがってるぞ」


 イテの言葉にクロスは一瞬だけ視線を宙にさまよわせたが、やがてため息をついた。


「……すまないが、今日も無理だ。明日は行くつもりだが……」

「? なんか用事か?」


 その疑問に対し、クロスは相変わらずの無愛想な顔で頷く。


「ああ。今夜、新寮生の歓迎会があるからその準備がな」

「それってアレか? 毎年恒例の」

「そうだ」


 すると、イテはクロスの真横に腰を下ろしたあと、天を仰いで残念そうに言った。


「あー……、俺も寮生だったらなぁ。パーティーの料理って星河先生が作るんだろ? 絶対滅茶苦茶旨いだろうな……」

「残念だが、歓迎会に参加できるのは新寮生と生徒会役員だけだ。どう転んでもお前は参加できん」


 その台詞に、イテは肩をガクリと落とす。そして、しばらくしてから恨みがましい目で隣に立つ友人を睨んだ。


「……いつもながら辛辣だな。ささやかな夢も粉々だよ。……ま、元々俺に寮生活なんかできるわけないし、仕方ないか」

「その通りだな」


 イテが今度は座ったまま器用にずっこけた。


「……いや、そこは多少否定してくれよ。あっさり肯定されると傷つくんだけど」

「何を言っている? お前の寝相の悪さといびきは一種の公害に等しい。否定の余地もないぞ」

「ひでっ」

「事実を述べたまでだ。それに、あの合宿のときの騒動を忘れたわけではないだろう?」


 あの合宿、というのは二人が一年生だったときの冬休みに、弓道部で行われた二泊三日の強化合宿のことだ。そのときイテが夜中に寝ぼけて合宿所の旅館のふすまを蹴破り、翌日の早朝、一日遅れで合流したクロスに叩き起こされた、ということがあったのである。


「……う、あれはホント悪かったって。ちゃんと謝ったし、色々弁償もしただろ」


 少し眉を寄せて言ったイテに、クロスはわざとらしい大きなため息をついてから彼を軽く睨んだ。


「そういう問題じゃない。危うく部員全員が風邪を引くところだったんだ。悪いと思っているなら治すように努力しろ」

「そんなの言われて治せたら苦労しないって! 俺だって毎朝自分の部屋の惨状見るたびに、寝てる自分を殴ってやりたくなるよ」

「そこまでいうならおれが殴るが?」


 

 クロスが軽く握った拳を持ち上げる。と、それを見たイテが慌てて叫んだ。


「拳を作るな! というか合宿のとき実際に殴った奴が何を今更!」

「結果的に起きたんだからいいだろう」

「どこが?! あのあと一日中腫れが引かなかったんだぞ?!」

「それはすまなかったな」


 いっそすがすがしいまでに棒読み無表情でそう言ったクロスに何を言っても無駄だと諦めたのか、イテは黙って自分の弓を取り出すと立ち上がった。そして、静かに矢をつがえ的を見据える。

 弓を片付けていたクロスは、場の空気が変わったのを感じ、黙って手を止めた。


――タンッ


 気付いたときには既に矢が放たれていた。

 その矢はクロスと同じ的の、先に刺さっていた矢の真横――寸分の狂いもなく中心に突き立っている。

 ふぅ、と息をついたイテは、ゆっくりと弓を下ろすとそのまま隣に顔を向けた。

 その視線を何の感慨もなく受け止めたクロスは、目を逸らし片付けを再開しながら口を開いた。


「流石だな。おれじゃ到底(かな)わない」

「……どーも」


 微妙な表情でイテが応えたあとも言葉は続き……


「まあ、そうでなければ(ふすま)蹴破った時点で退部だっただろうしな」

「……それをまだ引っ張るか」


 そんな声を無視し片付け終わった道具を持って腰を上げ、クロスは弓道場の扉に向かった。


「もう帰るのか?」

「ああ。これから歓迎会の買い出しをして、午後から準備だ」

「そっか、頑張れよ」

「あと、さっきも言ったが明日は練習に来るつもりだから、予定が分かったら連絡くれ」

「りょーかい、了解」


 手をひらひらさせながら言うイテにまたな、と返し、クロスは扉を開く。


「ま、それだけいつも通り振る舞えるなら大丈夫だな」


 ピタリ、とクロスの足が止まった。


「……何がだ?」


 振り返り尋ねかけた言葉は短いものの鋭く、固かった。だがイテは飄々として答える。


「そりゃ……弟くんと早く仲直りしろよ、ってことさ」

「…………」


 返事はなかった。だが、知っていたのか、という僅かな驚きを雰囲気が物語っていた。

 双方無言のまま、しばらくしてクロスは身を翻すと、外から音もなく戸を閉め、去っていった。


 一人取り残されたイテは困ったように頬を掻くと、座り込んで携帯を取り出し、昨日の夜届いたメールを見直す。

 そこには、昨日の放課後クロスとその弟のサタンが口論をしたこと、二人が険悪な雰囲気になってしまったこと、どうにかして仲直りをさせたいこと……などの旨がやや難解に書かれていた。

 差出人は、空嶺彼方。

 イテは、クロスの弟であるサタンとその友人のカナタと面識がある。

 中学のころのクロスは今ほど難儀な性格をしていなくて、よく弟についての話をしていたし実際本人にも何度か会った。

 だがカナタについては一応顔見知りではあるものの、話したことはない。無口なのだろうが、声を聞いたのも数度くらいだ。

 なので、教えたはずがないイテのメルアドを何故カナタが知っていたのかかなり疑問ではあったが、内容から純粋にサタンを気に掛けていることが分かったので、多少なりとも協力しようと思ったのだった。

 イテはメールを読み返したあと、新しくメールを立ち上げて先程のクロスの様子を打ち込んでいった。宛先は勿論カナタだ。

 打ち終わり完成したメールを送信したあと、板張りの床に仰向けに横になる。


「……ほんと、不器用なな兄弟だよ。……なぁ、空嶺くん」

 








 後日、イテはカナタにメルアドのことを尋ねたらしい。が、


「…………………」


 という無言の視線に耐えられず、理由を聞くのは断念したそうだ。


夏休み中に終わらせるとか言っといてもう10月です。本当にすみません。しかもまだ続きます。


今回の話は前半暗いし後半喋ってるだけ。特に前半は訳がわからないと思われますが、いつかわかるようになるはずです(たぶん)。

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