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「摩訶止観」を読み解く、修法奥義概論  天台智顗大師 著述

作者: 舜風人

(注)魔訶→誤  摩訶→正



そもそも、「摩訶止観」とは天台智顗大師の著した法華経実践修法の解説書理論書(奥義書)である。

原本は岩波文庫にあるので比較的たやすく手に入れられるので興味のある人はその原書を読むというのも一法であろうとは思うが

まあ、いきなりそれを読んでも、まず、全くわからないというのが、おちでしようね。

びっしりと漢文が、、しかも難読漢字のオンパレードですから、

まあ、初学者には理解は不可能でしょう。


魔訶止観を著したのは、


以下引用

智顗(ちぎ、Zhi-yi)(538-597) は、中国の僧侶。天台宗の実質的な開祖であるが、慧文、慧思に次いで第三祖とされている(龍樹を開祖とし慧文を第二、慧思を第三、智顗を第四祖とする場合もある)。智者大師ともいう。

摩訶止観とは?

天台宗における,自己の心の本性を明らかに観察するという修行の実践について述べられている書物で,天台宗の修行の根本聖典とされている。全体が10章に分かれているが,第8章以下は説かれていないので完結していないが,後世に与えた影響には大きなものがあった。

智顗が自己の宗教体験と実践を通して述べている,という点において,きわめてすぐれた書物,と評価されており,彼を中国仏教史上の第一人者たらしめている書物,といってもよいであろう。

以上引用終わり



さてわかりにくいとされるこの天台宗の根本理論書を、、不肖このわたくしが微力をも顧みず?ほんのサワリを解説してみようかと思った次第です。


(以下ざっくりとした概説になります。もっと、詳しく知りたいならご自分で岩波文庫にありますから研究してください)


まずは、「摩訶止観」(マハー・シャマタ・ビバスヤナー)という書名の解説から、

摩訶とは「マハー」というサンスクリット語の漢音です。意味は「偉大な」という意味です。

次に

「止観」とは何かというと、「止」(シャマタ)とは、「心を静かに落ち着かせる」ということです。

「観」(ヴィバスヤナー)とは、「融通無碍に観る」という意味です。

つまり、止観とは、、禅定と法智である。

禅定とは心を静めて観照の境地に達してメディテーションするという意味です。

法智とは瞑想から得られる無上道の「知恵」のことです。


ですから魔訶止観とは

訳せば

「偉大なる禅定と法智」という意味です。

魔訶止観を修することによって

それによって法華経の奥義に達するという実践修法である。

法華経というある意味とってもポエムな?経典を理論づけ、、実践化したのが

魔訶止観という書物なのです。


(ですがこの書物はあくまでも理論書なので、実は実践修行法の具体例については弱い?です。ここからのちに禅宗がこの理論を実践化して、いわゆる座禅という実践修行法に具現化したということであり、

したがってのちにこの魔訶止観を、禅の思想原理の嚆矢とも称されるわけです)




あるいはもっとこの書物を大胆に私流に?現代語訳するとこうなります。


「偉大なる瞑想と知恵の書」でしょうか。


その概略(目次)

魔訶止観の章立ては、以下の通り、1~10章です。



1 大意(五略)

2 釈名

3 体相

4 摂法

5 偏円

6 方便

7 正修

8 果報

9 起教

10 旨帰  


(8.9.10章は未執筆のため未完に終わった、というか、あえて奥義は書かなかった??)


さて早速内容の解説に入る、


まず止観とは何かということで、「三種止観」を立てる。


三種とは、、


漸次止観、、、浅き所より次第に深いところへ止観を修する方法


不定止観、、、TPOに応じて趣向を変え、あるいは浅く負荷買う遠近を交互に修する修法


円頓止観、、、即身で直に究極に達する実践修法


の三種である。


その前提の上で、円頓止観の要諦を説きあかしたのが本書(魔訶止観10巻)というわけである。


魔訶止観第1章から五章までが止観と概念解説に充てられている。


第6章は止観の準備について述べられる。


第7章は止観の実習法


第8章は止観から得られる成果について    未執筆


第9章は止観の応用について         未執筆


第10章は止観の結論について述べられる。  未執筆




さてそれれぞれの章の概略であるが、、、。



まず初めに誤った考え方について述べられる。

それらをただして止観の正法である、「即空。即仮。即中」に至るべきことが説かれる。


次には「相待止観」と「絶待止観」の二つの相違を述べる。


相待止観とは、瞑想する自己と対象世界が対立しているさまをいう。


絶待止観とは、対立がアウフヘーベンされている様をいう。


絶待止観においては現実の諸悪も捨てらるべきものではない生かし利用すべきものである。


「悪は悪にあらず、悪もまた実相である」と述べられているとおりである。

つまり悪を悪として忌み嫌い排除しようと焦れば焦るほど人は悪の魅力のとりことなるのである。

そこで悪を無理に対立させずに、取り込んでしまい、というか、、つまり泳がせておけば、、悪は対立せずに、かえって道を開く助けにすらなりうるのである。ただしもちろん悪に染まりきって淫欲をほしいままにするの謂ではない。この辺のさじ加減が凡夫にはムリなのであろう。



これがまさに円頓止観であるのである。

止観とは、、その中に万有が網羅され、止観で円頓であるという奥義が説かれる・

つまり止観とは「一大円満真実」である。

さて次に実践法であるが、


まずは、

25の方便が説かれる。(二十五方便)


自己を戒め

慎み

衣食に気を付ける

騒がしいところを避ける

雑事を避ける


5欲を抑える、    色、声.香、味、蝕。

5蓋を避ける     貪欲、怒り、惰眠。浮かれる、疑念

5事を調える     食、眠、体,息、心

5法を行う      意欲を持ち、精進し、念を凝らし、知恵を働かし、さいごまでやり遂げる。




次に止観の対象であるが


10の境地を対象とする、(十境)

その項目だけあげておきます。


陰界入

煩悩

病患

業相

魔事

禅定

諸見

増上慢

二乗

菩薩




次に止観者の10の方法が説かれる。(十乗観法)

その項目だけあげておきます。


観不思議境

起慈悲心

巧安止観

破法徧

識通塞

修道品

対治助開

地次位

能安忍

無法愛




以上のように体系的に止観の方法論が述べられているのである。


そこで止観されるのは





の、三諦である。


三諦を、


即空


即仮


即中


と感得し、応用自在に実践するのが


止観の奥義、、すなわち円頓止観である。


ある時は「空」が自在心となり


またある時は「仮」が応用自在となり


またある時には「中」が自在に無碍に活躍する。


融通無碍


応用自在


そこに至ったとき


魔訶止観は完成されるのである。


このように止観の理論と実践が説かれた書物。


それが「魔訶止観」なのです。





以上全くのサワリだけですので


より深くは、、各自ご自分で研究されて下さいませ。、



































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