願望③
その青年はにっこりとほほ笑むと海風で乱された白い髪を耳にかけた。その腕は細くてとても白かった。
「いえ、あたしはたまたま来ただけなんです」
青年のほうを振り向いて小さく笑いながら答えた。
「僕は近くで店を開いてるんですよ、でもあんまり人がこなくてね。よかったら一杯奢るけど飲んでいかない」
エリカはちょうど喉が渇いていたし断る理由もなかったのでついていくことにした。
その店は海岸の端っこにあり全く人気もなかった。でも眺めはよくってテラスからは海を独り占めできる。剥げたベージュのドアを開けるとイルカのベルがカランと乾いた音で鳴った。いざ店内に入るとヴィンテージ感あふれておりちょうど陽の光がカウンターに斜めに差し込んでいた。椅子に鞄を置き、カウンターに座るとその青年はいそいそと準備を始めた。
「名前まだ聞いてなかったね、なんていうの」
「エリカです」
「エリカちゃんはベリー系とパッション系どっちが好みかな」
「ベリーです」
「なんか浮かない顔してるね、彼氏と喧嘩しちゃった?」
「喧嘩っていうか、まぁあたしが悪いんですけど。準ちゃんはあたしのこと思ってアドバイスくれたのにひどいこと言っちゃったんです………」
初めてあった人なのになぜか口から言葉が次々と出てくる。無意識のように。
十分以上続いたエリカのはなしを青年は落ち着いた様子でカップを拭きながら聞いていた。
そして聞き終わると少し間をおいてグラスを差し出した。
「お待ちどうさまベリーミックスジュースです。本業はコーヒーだけど喉乾いた時はジュースが一番でしょ?」
出されたそのグラスの淵には砂糖がついていてブルーベリーとラズベリーがあしらわれていた。なんておしゃれなんだろう。透き通る赤紫にうっつた自分の顔を見ると我ながらかわいいんだけどこんなつかれたひどい顔だったんだと思った。
「まずはエリカちゃん自身が自分を認めてあげたらどうですか?」
「認める?」
「うん。自分はこんなにも辛いのにここまでよく生きてきた。って。自分の辛さを百パーセント誰かにわかってもらうことは残念ながらできない。『だれか私の事わかって、どうして私はこんなにも辛いのにだれもわかってくれないの』と言い続けてどんどん自分を責めて責めて絶望に追いやってしまうのはじぶん。でも自分の事を一番よく理解してあげられるのもまたじぶんだと思いますよ」
ジュースはとても甘酸っぱくて、でもどこかさわやかな後味がした。
飲み干してお礼を言うとまたいつでもいらしてくださいね、と笑顔で見送ってくれた。
駅へ向かう帰り道海岸を歩いているともう空がオレンジ色に染まっていた。言われた時は何の事だかうまくわからなかった。ただいきなり頭に衝撃を食らったようで。いまも頭の中がなんだか混乱して…自分を認める…あたしは準ちゃんに、ううん。誰でもいいからあたしの事わかってほしかったのかもしれない。だから一番わかってくれそうな準ちゃんにいろいろ言っちゃったのかな。まだ、自分を認めるっていう実感がわかないけどもし認めてあげることができたらいいなと思った。