お姉ちゃんが勇者になって、世界を救ってあげる!
普通の高校生だった私は、ある日突然に勇者候補として異世界に召喚された。
年子の妹、四つ下の弟と一緒に。
異世界に身寄りのない私達は、互いを人質に取られ、召喚者である彼等の言いなりにならざるを得なかった。
拉致も同然で無理矢理に送らされる慣れない生活の中で、私達は悲しむ事を許される暇もなく、ひたすら学ばされた。
この国の一般常識から始まり、道徳観、生活環境、思考、食生活。
それらを三人揃って叩き込まれる間に、私達はそれぞれに異能の力が芽生えた。
妹は聖なる結界の力に、弟は魔を浄化する聖なる力にーーそして私は異能と認識される程の動作の速さの向上だった。
妹は戸惑い、弟は歓喜したそれを、私はとても恐怖した。
異能の力が芽生えなければ、勇者として戦う必要なんて無かったのに。
命懸けで魔物を倒すなんて。あの子達が怪我をするかもなんて。死んじゃうかもしれないなんて。
異能の力の訓練を重ねながらも、鬱々とした日々を送っていたある日。
より適性のある者に魔王を討伐させよう、残りはいざという時の代替品にしよう、という王様と神官の話を盗み聞いた。
ーーお姉ちゃんなんだから、私が守らなきゃ。
私はどうなっても構わないから、あの子たちだけは。
その考え一つで、倦厭しがちだった訓練に本腰を入れ、妹や弟より努力を重ねた。
私が勇者になって、私が魔王を倒す為に。
血反吐を吐くほどに模擬剣で打ち合い、皮が剥ける程に剣を振るいーー誰もが認めるような実力を身に付け、ついに王様に救世主として任命された。
でもきっと、私が倒れれば次の勇者候補があと二人居るとあの人達は考えている
だから私は倒れる訳にはいかなかった。
弟はなんでお前が選ばれるんだ、と言って恨めしそうな視線と罵りの言葉をかけた。
妹はどうしてお姉ちゃんがこんな目に、と言って泣きながらもう帰りたいと呟いた。
膂力も体力も人並みに過ぎない私が、速さという異能の力だけで、この世界の誰も手が出せないという魔王に挑む。
それは、どんなに鍛えてもただの女子高生でしかない私には恐ろしくて仕方ない事なのだけれど、失敗したらあの子達が魔王退治に向かわされて、最悪の場合は殺されてしまうだろう。
だって、魔王退治に本当に向いているのは、きっとこの子達の異能なのだから。
恐怖に震える指先を隠しながら、ごめんね、と謝って二人に笑いかけた。
この世界であの子達を本当に守ってあげられるのは、私だけだ。
* * *
妹と弟は親身になってくれた貴族に頭を下げて預かってもらい、私はひたすらに剣を振るって魔物を倒し続けた。
少しでも早く、あの子たちを元の世界に戻す為なら、傷や痛みなんてどうでも良かった。
孤独感には常に苛まれていたけれど、時折王城へと帰還した際に、弟妹に少しの間会うだけで勇気が湧いた。
血にまみれ、傷跡だらけになり、自らの回復魔法が効かない程に全身が爛れた私の姿を見て、弟は自分が救世主になりたいなんて言わなくなった。
妹はただただ黙って薬布を張ってくれた。
二年程そんな生活が続き、私はついに魔王を倒した。
全てが終わり、凱旋の祝いに包まれながら国へ帰ると、誰もが私を讃えた。
民衆も、貴族も、教皇も、果ては王様でさえも。
引き止め、魔王の最後を聞きたいと強請る人々に一言ずつ謝りながら、妹と弟を預けた貴族の館に向かう。
突然の訪問に困惑したような貴族に礼を言い、妹達に会わせて欲しいと頼むと部屋に案内された。
久し振りに会う妹は髪が伸びて美しくなって、弟は身長が伸びていて。
見るも無残な傷跡を兜で隠し、欠損した部位を隠しながら妹と弟の前に立ち、全部終わったよと、喉が潰れてしまった為に聞き苦しくなった声で告げた。
妹は泣きながら抱きつき、ごめんなさいと何度も繰り返した。
弟は苦しそうな表情を浮かべ、何も言わずに立ち去った。
二人が無事で、私はただただ嬉しかった。
これで帰れるのだと、争いの無い私達の日常に戻れるのだと、私は潰れた声で二人に語った。
ーーそれなのに。
帰還してから暫く経っても、私達を元の世界に戻してくれるという話は一向にあがらなかった。
凱旋の典礼も神事も、全てが終わったというのに、王様や神官からは何の話もなくて。
どうしたんだろう、と呟くと妹は困ったように微笑み、弟は何か考え込むようにして険しい顔をした。
どこか違和感を覚えながら過ごしていたある日、聖剣を創るので協力して欲しいと教皇に鍛治場に呼び出されて。
勇者がいなくなった後も、この国が発展していけるように聖剣を創りたいーーそう言って微笑む教皇に、ついに私は日々感じていた焦りをぶつけた。
そんなものはどうでも良い。
魔王は一度滅びれば数百年は安泰だし、ただの魔物程度なら騎士団を派遣すれば勝てる。
早くあの子達を元の世界に戻して欲しい。
そう主張すると、教皇はすい、と指を溶鉱炉に向けた。
つられてそっちに視線をやると、溶けた鉄のような物が蠢いていた。
教皇は、聖なる存在、偉大なる力、それを後世に確実に伝えたいのだと言った。
勇者の血筋は才気に溢れている。
だが、子孫に必ずその才が受け継がれるとは限らないのだから、無闇矢鱈に生かせば権力を持つ血筋を無駄に生みかねない。
ならば生かすのは一人か二人で充分だ。
それに、そもそも勇者を元の世界に戻す事は不可能だが、いつまでも生きられても厄介なのだと。
だから、私の魂を聖剣の中に封じ込める、と。
【勇者】だから元の世界に戻れない?
あの子達は戻せるのだろうか。
いや、そもそも子孫をこの世界に残させる気なのか。
何人産めば還す気になるのだろうか。
いや、どうせ何人産もうとも私達を解放する気はないのだ。
何が嘘で、何が脅しか判断出来ないままに思考が空回るけれど、馬鹿な私の頭でも一つだけは分かった。
こいつらは、あの子達を還す気などない。
激昂して教皇に掴み掛かろうとした所で、どこかで見たことのある銀の結界が私を弾いた。
……ああ、そうだ。
私はずっとこの色を近くで見てきたではないか。
金の聖術は弟の、銀の結界は妹のーー。
呆然として固まる私に教皇は笑い、妹君は了承済みなんですよ、と控えの兵に扉を開けさせた。
ゆっくりと現れた妹は美しい顔を蒼ざめさせながら、教皇の隣に立って。
私は生きたいの、ごめんねお姉ちゃん、とどこか昏い瞳でいつもの困ったような笑顔を浮かべた。
そんな顔をする子ではなかった。
私が魔王退治に勤しむ間に、お前達はこの子に一体何をしたのか。
そう声をあげたかったのに、潰れた声音は言葉を結ばず呻き声だけを口から零した。
妹の編み上げた結界が、呆然として固まる私の身体を炉の近くで拘束する。
振りほどけない程の力では無かったが、そうすれば妹に反動が行ってしまう。
これ程に練られた結界を破れば、妹は重症を負ってしまうーーそう躊躇った瞬間、身体が大きく傾いだ。
さようなら、と微笑んだ妹の泣きそうな顔と、槍先で突かれた自分の腹が見えたのが、人間としての最期の記憶だ。
そこからは意識が曖昧。
私は、帰りたかった、戦いたくなんてなかった。
無理矢理召喚された事も、妹に裏切られた事も、私にとってはただ悲しいだけで怨みの感情は無かった。
異能の力を手に入れようが勇者と呼ばれようが、私は唯の臆病な子供でしかなかったから、守ろうとした存在に裏切られた事に対して怨むだけの勇気も気力もなかった。
それでも教皇だけは怨んだけれど、それも今となっては悲しさに上書きされて行く。
色々な感情が渦巻いて、けれど少しずつ少しずつ私は悲しみの感情に凝縮されて。
けれどたった一つに凝縮された瞬間、幾人も、幾人も、幾人も幾人も私の身体が溶けた鉄に加えられた。
何人の生贄が捧げられたのか分からない。
けれど罪無き人々が私と同じように聖剣の為に捧げられたのだろう。
多数の悲痛な感情が、怨みの叫びが、慟哭が、悲しみだけの【私】の意思を上書きしてーーーー。
結局、聖剣は出来上がらなかった。
聖なる勇者を元に出来上がったのは、怨嗟の剣。
力を凝縮させようとするあまり、犠牲を加えすぎてバランスが崩れた剣。
怨みを吸い過ぎて、聖剣に成れなかった魔剣ーー最初にそれを握ったのは、弟だった。
弟は魔剣を手に取り、王城へ殴り込んだ。
勇者候補として聖術を極めたけれど、剣術や体術なんて然程身についていない少年だった。
姉の傷跡を見て、戦う事に恐怖を抱くような普通の少年だった。
けれど、【私】の記憶と能力が柄から流れ込み、弟の身体は俊敏に動いていく。
速く、速く、速く、更に速く、誰よりも速く。
生前の、【私】のように。
弟は王宮を守る妹が結界魔法を張るよりも速く彼女を手にかけ、沢山の兵士を相手に立ち回ったが、ついに魔剣の速さについて行けず身体が限界を迎え自壊した。
そして兵士に囲まれ、串刺しにされながらも魔剣だけは渡すまいと、血だらけになりながらも傷つくのも構わずに剣を抱き締めて蹲って。
抱き抱えられた刀身に、黄金の魔法の涙が降り注ぐ。
ごめん、姉ちゃんという掠れた言葉と共に弟は息絶えた。
弟の悲しみの涙が、命を掛けた黄金の浄化の魔法が、白い刀身を染める赤い血を薄め、数多の業に埋もれて消えかけていた【私】という自我を覚醒させた。
だからーー目覚めた【私】が一番最初に認識したのは、最愛の妹と弟が殺し合い、二人とも死んでしまったという事実だった。
覚醒したばかりのぼんやりとした意識の中で、魔剣の中にこの世界に対して新たな怨みが生まれるのを感じた。
*
弟が死んで長い月日が経ち、次に私を掴んだ者は、年若い男の勇者だった。
選ばれた若者、救国の英雄。
実力こそ不足気味ではあったが、かつての私のように、どこまでも愚直に魔物を討伐して回った。
故に、利用された。
張り巡らさられた罠に気付かないまま都合良く踊らされ、ついには反逆罪を捏造されて。
護るべき者達に追われ、生きる為に仕方なく道を切り開けば、殺人鬼としての悪名ばかりが地に轟いた。
けれども彼は人を信じ続け、東に西に走り回り、仲間に身の潔白を主張し続けた。
強い人間だった。
かつての私よりも数段実力が劣っていたとは言え、その信念の強さは、紛れもない勇者だ。
彼の後、私は数え切れない程の人間の手を渡り歩く事になったが、この勇者以外に長期間私を所有して精神や肉体が自壊しない者は居なかった。
彼の死因は、親による毒殺だった。
毒にもがき苦しみながら魔剣を握った彼は、怨みを吐きながら自らの両親を切り伏せ、死んだ。
彼の怨みは、魔剣に薄く色付いた。
ーーその後、幾人も、幾人も、裏切りや復讐の過程で私を手にし、怨嗟の言葉を吐きながら壮絶な最期を遂げていった。
怨嗟は私を少しずつ、黒く黒く染め上げる。
私自身の怨みを謳い、私を握り息絶えた者の怨みを謳い、【勇者の国】に呪いを振り撒くまで。
悲しみを抱いて死んでいった私は、誰かを呪いたい訳でも魔剣に怨嗟を刻みたい訳でもない。
ただ、裏切られた悲しみと、帰れなかった悲しみを抱いていたいだけだった。
けれど弟の涙が救い上げた【私】という自我は、魔剣に宿る怨嗟の鎖を断ち切るには、弱過ぎた。
呪いを恐れた王族は私を聖域に封印したが、聖域の奥から溢れ出る呪いは、ついに【勇者の国】を荒廃させ、滅ぼした。
*
いつしか、怨嗟の力は溜まりに溜まり、ついに【私】は人の身体を模した精神体を作り出せるようになった。
見るも無残な程に傷付く前のかつての自分の形なのに、どこまでも、どこまでも黒く染まっていて。
年月が経つにつれ、弟が掬い上げた【私】という自我の思考すら、黒く染まり始めていた。
自らの意思では無く、魔剣としての存在が呪いを無差別に振り撒く。
誰かの手に握られていなければ、封印されてさえいれば、魔剣という存在は【勇者の国】以外にとって然程脅威ではない。
今ならまだ、封印されれば、きっと間に合う。
私を握ればこの業に巻き込まれる。
今すぐ私を捨てるか、折れと囁き続けた。
所有者に話しかけられるようになったのだから、と何度も何度も忠告をした。
けれどどんなに忠告をしても、誰もそれを聞き入れなかった。
何故なら私は魔剣だから。
人に多大な力を与えるが、同時に人を堕とす存在。故に気を許してはいけない。
そう、言い伝えられていた。
誰も耳を傾けてくれない忠告を、けれども今日も唇に乗せて新しい犠牲者の耳に囁く。
無駄だと分かっていても、私にはそれしか出来ないから。
そうする事でしか【私】を保てないから。
もう、あまり時間は無い。
*
聖剣になれなかった魔剣は、力に耐えきれず自壊すると分かっていても、愚かにも手を伸ばし続ける英雄達の手を渡り歩く。
呪いを振りまきながら、世界を犠牲者達と共に渡り歩く。
そして魔剣は強くなる。
呪いを振り撒き、手にした者を破滅に導き、いつか誰かに折られる夢を見ながら。
その業に絡め取られた少女自身が、世界を呪うその瞬間まで。