句点なしアレルギーの叫び
今日、忌むべき事があった…。
たった一つだけ、許せないことがあったのだ。
「句点がない小説」
このひとつに尽きる。
句点とは、一般Peopleならば小学生くらいに習う「こくご」である。
具体的に言うならば、文章の末尾に付く丸いアレのことである。
よく「~である、まる」と言うそのまるである。
少し迂遠な表現をしたが、日本人としてフツーに生きてきたのであれば、
「こくご」は必修科目であるし、そもそも義務教育だし、
フツーに文章を書くならば「まる」は付くはずなのである。
――がッ……ダメッ……!!
書けないやつはいるッ…間違いなく…確実にッ!
そう、奴らはあろう事か「デイリーランキング上位5位以内」にすら、入ってきているのだッ…!
仕事から帰ってきて、花の金曜日!
らんらんルンルン気分で小説家になろうを開き、ランキングを見る!
「ランキング上位に入るものだから、きっと俺なんか比較になんねーすっげー人が書いてるんだろうなァ」
そんなことを思いつつ、ランキングを開く!
その瞬間の、句点なし!
――社畜は激怒した。
必ずや、あの小学生未満の作文をどうにかせねばと決意した。
これは、「句点なしアレルギー」を持つ、一読者の叫びである。
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…などと前おいたが、わからねーヤツはわからねーんだろう。
もしかしたらマジモンで小学生なのかもしれないが、
本作ではそういったけなげな可愛いコには付き合わない。
まず、句点とは。
その名のとおり、「句切るもの」である。
では、何を句切るのか?
文字通り、(というか書いたとおり)「文」である。
それだけか?とお思いになられるかもしれないが、だがちょっと待ってほしい。
「引き締まった文」だとか「しまりのない文」なんて表現、聞いたこと、あるだろう?
句切ること、句切らないことによって得られる結果は、まさしく「ソレ」である。
キチっとA型杓子定規に句切ることで文はボディービルダーばりにナイスバルクと引き締まるし、
逆に句切らなければいくらでも我侭油断したボデーのまんまなのである。
「そんな引き締まるとかしまりのないとか、そんなの単純な感想じゃねーか!」とお思いの諸君。
――おう。よくわかったな。その通りだよ。
文章は、硬い文章とか砕けた文章なんて表現もされるが、
基本的に内容に関わらず「文自体のイメージ」を重要視される。
これは、昇華していくとやがて「作風」なんて呼ばれるようになる。
それくらい、「イメージ」は大事である。
これを焼き付けてほしい。
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次に、句点の使い方について。
ちなみにだが、ぶっちゃけ筆者は国語の教師ではないし、国語も習ったのがウン年前なので詳しくはない。
だが、ある程度の「文量」は読んできたつもりだし、一般的な読者は教員免許を持っていない。
すなわち、筆者の持つ、ある程度ファジーな意見の方が、読者層の統計を取ったとき近しいという考えのもと、進めていく。
使い方の考え方としては、二つ。
1、末尾につける。
2、役割が重複するものがあることを理解する。
「1」について語る。
これは単純に、「文を句切る」ためのものだ。
時折欠如するならまだしも、一切これが存在していないと、
筆者のような句点なしアレルギーは悲鳴を上げる。
これについてはさんざっぱら説明、つーよりも悲鳴を上げてきたから、理解してくれるだろう。
してくれないんなら、ちっと実家に戻って国語の教科書を読み返してくれ。
キミの小学校の恩師に連絡してもいい。もしかしたら特別授業をしてくれるかもしれないな?
次に、大事なのは「2」だ。
「1」では、句点は文を句切るものである、と説明した。
しかし、その役割は句点のみの役割ではない。
手っ取り早く実例を挙げると、カギ括弧に代表される「括弧類」だ。
これは、小説などの文学作品ではもっぱら「会話などを句切る」ものである。
すなわち、括弧によって囲まれているだけで、「その文章は句切られている」のである。
ただしこれは絶対に絶対ではないし、これまで本文内で登場したカギ括弧のように、「強調のため使用される」ケースはまったくその限りではない。
このあたりはファジーに対応すべき部分で、より個人的に述べるならば「作風」を左右しうるものだ。
次に例を挙げると、「感嘆符・驚嘆符」が該当する。
えくすくらめーしょんまーく、はてなまーく。そう呼ばれるものが該当する。
これもチト上記の括弧類と同じように、「作風」を左右しうるので、あんまり一概には言えないが……基本的に大成するような作者さん方に、この「感嘆・驚嘆符後に句点を入れない」傾向は共通して見られる。
他は今すぐには思い浮かばないが、大体このあたりだろう。
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句点については、こんなところか。
ちなみに読点についてもおんなじことが言えるからな。
最後にひとつ叫んでおくならば、
「句点・読点の欠如」はキミの作品の「個性」には間違いなくならない。
ソレは「悪性の作風」と言うべき忌むべきモノであり、キミの作品の魅力を伝える「個性」には永遠になりえないのだ。
これは、これだけは絶対に絶対だ。