徹夜明けの先輩
「ああ、もう疲れた~」
隣を歩く先輩がそう言った。俺も同じ気持ちだけど、もう口にするのもダルいから相槌だけ打っておく。
徹夜明けの金曜日、そのさらに夜。バブル時代から続く謎の行事、金曜夜の打ち上げ会に参加する者たちの影を妬みながら俺と先輩は歩いていく。
「もう電車も乗りたくないや」
始まった。俺は心の中でつぶやいた。
このあとには必ず決まり文句がある。
「あんたん家で寝よっかなぁ~」
ああ、ほら、やっぱり来たよ。徹夜明けですっからかんの頭が重く感じるのは何でだろうな。
しかも俺が泊まるかと聞くのを必ず待つんだ。自分からじゃ絶対に泊まらせてと言わない。もちろん、女性にそういうことを言わせるのもどうかというのはわかるのだが。
先輩は俺の家が会社にほどほど近く、また昔から誰かが泊まりに来るため布団が二つあることを良いことに、徹夜明けに上がり込んでくる。
後輩の辛いところで、先輩の言葉には逆らえない。ひ弱なくせに体育会系の部活ばっかり入ってたからだ。
先輩は従兄弟のツテを使って、高校を卒業してすぐに今の会社に入社している。俺は地方から出てきて大学というモラトリアムを過ごしていまの会社に入ってこの先輩に会った。だから先輩で上司ではあるが歳の差は一つ二つである。
恋人でも作ればいいのに。口には出さないが常々思ってる。
いやでも、目の下にある隈をどうにかすれば美人だし、腰も細いし男からすれば文句なしだ。
どうしてこの人は彼氏できないんだろう。
「お、珍しく食材揃ってんじゃん」
俺の部屋に着くなり、先輩は冷蔵庫を開ける。
泊まらせてもらう詫びなのか、先輩は俺が使いきれなかった食材を使って軽く料理してくれる。これが美味いんだから、本当に何でこの人に恋人ができないのか不思議でならない。もう誰かもらってやってくれ。
俺は帰り道に買ったビールをテーブルの上に置いた。俺はあまり飲まないのだが、先輩が酒豪なのだ。
一人暮らしには少し広い部屋も、二人でいるには少し狭い。先輩が料理を盛りつけてテーブルに運んで来るとお互いの距離の近さにドギマギする。
「あー、なんか暑くない?」
そう言って先輩はシャツ姿になった。夏も近いが夜はまだ寒く、先輩の格好は寒そうに見える。ついでに言えば胸元を開けて手で扇ぐのはやめてほしい。
料理したからだろう、と一人納得する。先輩が残り物で作った料理を食べて、舌鼓を打つ。ホントに美味い。
「酔っ払うと記憶飛んじゃうんだよね~」
って言いながらビールは既に三本目。酔っ払うと、なんて言ってるけれども、きちんと次の日には何ともない顔で会社に行ったり、自宅に帰ったりしているのですごいと思う。
俺は先輩の前では大して飲まないために情けない姿は見せない。酒に弱いのを先輩も知っていて、飲むのを強要してこない。ありがたいことだ。
「本当に、男と縁がないのよ!」
カン、と言う音と共に缶がテーブルの上に置かれる。先輩がどうしてかこっちを睨んでいる。
俺の家に来ると先輩はいつもこんな感じである。ちょっと呑んで、彼氏がいないと愚痴り、俺を睨む。この繰り返し。
まったく、先輩は何がしたいんだ。どう言えばいいかわからないから、俺はビールを一口だけ飲んだ。
こんな先輩でも先輩だし、有能な人で世話になってるのだから、晩酌くらいは付き合うかと思い、先輩の言葉を待った。
って、先輩寝てるし。いつもながら無防備である。女性なのだから、もう少し警戒してほしいものだ。
俺は先輩に布団をかけて、ちょっと先輩の寝顔を見たあと、自分も違う布団を被って寝ることにした。
翌朝になると、先輩は決まって怒ったような顔をして出ていく。振り返った顔はどうしてか涙目で、決まって「ありがとう、また来る」とすごく悔しそうに言うのだった。