四十八日目
今日も携帯の振動で目が覚めた。立ち上がって窓の外を見ると、どうやら外は雨が降っているようだ。気分が重くなるようなどんよりとした空と、人で詰まった電車が視界に入った。またあの中に入らねばならないと考えただけでも十分憂鬱になれるのに。
せめて朝食だけでもシャキッとするものをと思い、キャベツ多めのサラダと蒸かし芋にする。パンは無かったし、お米にサラダはちょっと合わないし、何より昨日ご飯を炊き忘れたからだ。サラダは噛む度シャキシャキいってるんだろうなと思いつつ咀嚼して、淹れたインスタントコーヒーまで一気に終えてしまう。
少々無理して一度で食器を片付け、冷水で洗い終えると手を拭き髪を整える。スーツに着替えるとバックにタオルとビニール袋を入れて、傘も持って玄関を出る。鍵をかけたのを、ドアが開かないことで確認してからアパートを出て傘を開く。カバンが濡れないように気を付けながら、薄い水色の傘をさして駅へと歩く。
家で見えた時と変わらず人で溢れそうな電車の中では、嫌でも誰かしらの傘に当たってしまい、床も傘から滴り落ちる雨水で濡れていて、昨日以上に苦痛な十五分間だった。今までこんな電車に乗っていた人達に敬意を表したいよ。
気分まですっかり湿っぽくなり、電車を降りて再び傘を開くと、細かな滴が飛び散った。
会社に着くと、当たり前だけれど昨日と違い各々仕事を始めていた。私もさっさとロッカーに荷物をしまうと、パソコンの電源を入れる。メールボックスには、昨日送った連絡の内、新たに二件返信が届いていたが、内容はどちらも期待外れだった。
今日はリストに載っていた所よりも少し遠方にある会社も探して連絡を入れてみるけれど、運搬のコストが上がるだろうから予算内で見つけるのは厳しいと見当をつけている。このまま返信が来なければ、午後あたりから何軒か直接出向く必要があるかもしれない。
十一時過ぎになって、小麦粉等も調達出来るしこちらが目安として提案した生産量と値段なら工場を稼働しても良いという旨の返信が届いた。これなら良いだろうと羽崎部長に転送すると、「随分と時間かかりましたね。ではこの製麺所にしましょう」とのことなので、これで午後は出掛けなくてすむ。
そしてその後部長からすぐに「メニューの再検討を行います。営業部と合同で会議ですが、河東と矢衣は既に会議室にいるので、午後からあなたも参加してください」ときた。取りあえずは工場に決まったことを伝え、昨日保留となっていた会社等には断りのメールを送った。
パソコンの画面の右下を見ると正午を回っていたので、電源を一旦落としてから休憩をとる。朝食が足りないかもと持ってきた賞味期限が切れそうだった栄養補助食品を、一口ずつゆっくりと食べる。少し湿気っている気がしたけれど、何とか午前中に決まって高揚していたからかあまり気にしなく完食できた。
まだ昼休み中だったけれど会議室に入って待っていようと小窓を覗くと、ふみちゃんと、私達の一つ上の先輩である矢衣さんが楽しそうにしていた。珍しい組み合わせだなと思いつつ、水を差したくなかったのと前の仕事が遅くなった引け目から、一度デスクに戻ってみる。そして時間になってからドアを開けた。程なくして矢衣さんが私に気づき、こちらを向く動作でふみちゃんも気付いて私を見る。矢衣さんはボードにスラスラとペンを走らせ、キャップをしめてから、私に問いかけるように首を傾げながらペンで文を指す。
『ペペロンチーノとカルボナーラは材料が揃っていて、人気があるから麺の量以外は変えず作ることになった。意見あれば』
矢衣さんの読みやすい字に気を取られ返事が遅くなったけれど、何もないという意味を込めて首を振った。
メニュー全てを話し合い、結局五つのメニューに確定した。既に外は暗くなりかけていた。
デスクに戻り、メールの確認のためパソコンを再び起動させると、四件返信が来ていたのと、人事部の中園部長からメッセージが届いていた。会社のパソコンなので本社全員のメールアドレスは入ってはいるけれど、違う部の人とは殆ど連絡を取らないので中園部長から来たのも一度目か二度目くらいだと思う。
ともかく開いてみると、うちの部の坂田渚と連絡が取れなくなっていて、茅枦ちゃんは坂田と仲が良いと聞き、こんなご時世だから出来れば会いに行くなりして様子を見てきてほしい、とのことだった。私も昨日メールしたが、今でも返信は来ていない。いつも遅いからとそこまで心配はしていなかったけれど、上司にも返事をしないということは何かあるに違いない。明後日は予定が無かったからなぎの家に行ってみよう。一度お邪魔したことはあるので多分場所も分かるだろう。
今日もふみちゃんと一緒に帰り、土曜日はふみちゃんも用事が無いようなので、共になぎの家に行くことになった。一応二人とも土曜日に家に行くことをメールしてみた。このメールに返信が来ればまだ安心はできる。
しかし、ついに土曜の朝になっても二人になぎからのメールが届くことは無かった。