五百五十八日目
エピローグというよりも、サイドストーリーに近いです。
ついにこんな日が来たのか、と朝から嬉しいような、しかしどこか憂鬱な気分。でも友人の晴れ舞台なんだから素直に祝わなきゃね。
今日着る予定のカーキのワンピースは、昨日の内にクローゼットから出してかけておいた。ちょうど一昨年の今ごろ親戚の結婚式に出る時買った物を、こんなに早くまた着るとは思ってなかった。
それもふみちゃんの結婚式だなんて。
ふみちゃんが大分前から矢衣先輩を気にしていたのは気づいていたし、結局あの日の後同棲については、案の定細部まで聞き出していたなぎに教えて貰った。
それでも付き合ってから一年ほどしか経ってないらしい。二人の写真が素敵な、こんな可愛い――蛙の写真を除いてだけど――招待状もらっちゃったんだし、新婚って幸せそうだね。……妬んでないもん。
家事を全て済ませてから着替えてみる。良かった、どこもキツくないや。さて、荷物を準備しようか。あ、ご祝儀袋用意してない。筆ペンあったっけな。
慌てて書いて、前もって用意しておいたピン札の三万を入れて、バックにしまう。危なかった。
コップ一杯の水を飲んで落ち着いてから、いまいち慣れない高めのヒールを履いて家を出る。
電車を乗り継ぎ、着いたのは都内の有名なホテル。挙式は身内だけで済ませたようなので、私は披露宴だけだ。ちょっと緊張して中に入り、受付の人にご祝儀を渡す。頼まれたらこのくらい手伝ったのにな。あ、受付の台に座っているこの蛙のペアのぬいぐるみ可愛い。
二人の写真等が飾ってある会場の外で、なぎを探しながら待っていると、知らない顔ぶれの中にちらほら会社の人達がいるのが分かった。社内結婚ということもあって、本社の人は皆呼んだそうだ。といっても二十人ちょっとしかいないんだけれど。
会社の人が多く居る方へ移動すると、なぎの姿が見える。あまり目立たないような色の服だけれど、スタイルの良いなぎはやはり一際格好良く見える。なぎは私を確認すると、中園部長との話を終わらせて、私の方に来た。
「しのちゃんやっと来たー。遅いよ」
「ごめんごめん。それにしても人多いね」
「そうね、社員の殆どが出席してるのに、知らない顔の方が圧倒的に多いや」
「二人とも友達多いんだね。私、引っ越してから友達とあまり連絡とらなくなっちゃったもん」
年末に帰った時に数人に会うくらいかな。あとは年賀状だけだったりするし。
「引っ越ししたらある程度離れるのは仕方無いよね。私は今でも近所の幼馴染みとは会ってるけど、遠かったら会って無いだろうな。そっか、しのちゃん今独り暮らししてるんだよね」
「残念ながらね。結婚も、流石に他人事だとは思えなくなっちゃった。何時だったか王子様が来ないかな、とか呑気なことを言ってた気がするけど、同期が結婚すると焦るね」
「しのちゃん、しーっ」
突然なぎが声を低く、小さくして言ってきた。目線はちらちらと私の後ろの方にいっている。誰か来たのかと振り返ってみる。
「ちょっと失礼。茅枦ちゃんもそろそろ結婚を考えているようだね。私が幾らか紹介してあげようか?」
どうやら中園部長が、私達の会話を聞いていたようだ。なるほど、なぎは折角逃げられた所だったのに、また私が呼んじゃったんだ。
「中園部長、お久し振りです。人事部でない私のことまで気にかけてくださるのは有り難いんですが、お気持ちだけ受け取っておきます」
「そう遠慮せんでもいいよ。写真だけでも見てみないか?」
うーん、やんわり断るって難しいね。
ここでタイミング良くアナウンスが聞こえてきた。そろそろ会場内に入れるらしい。
「部長、もう式も始まるみたいですし、この話はまた今度にでもお願いします」
「そうか。茅枦ちゃんも坂田もいつでも私に相談しなさい」
中園部長は胸を叩いて、元いた役員の方へ戻っていった。なぎがため息をつくのが聞こえる。
「しのちゃんなんかごめんね」
「いやいや、なぎもいつも大変なんだね」
白で統一された広い会場に入ってみると、ふみちゃんと矢衣先輩、そしてお二人のご両親が迎え入れてくれた。
ふみちゃんは小さな花が散りばめられたウェディングドレスを着ている。
「本日はまことにおめでとうございます。ふみちゃん、ドレスお似合いね」
「ありがとうございます」
なぎは私と同じテーブルなので、案内されながら一緒に行く。テーブルの上に恐らく矢衣先輩の字だろう美しい文字で、『新婦同僚 茅枦篠樺様』と書かれているのを見つけた。
暫く経ち全員会場に入ると、再び司会が出てきた。
「これより、矢衣家、加藤家の結婚披露宴を執り行います。それでは、新郎新婦の入場です」
突如司会の声が聞こえ、会場の明かりが一斉に落ちる。前方右の扉からふみちゃんと矢衣先輩が、メンデルスゾーンの結婚行進曲に合わせて、手を繋いで入場してくる。タキシードを着こなす矢衣先輩も格好いいが、何よりふみちゃんのウェディングドレス姿に目を奪われた。
昨日まで隣で共に働いていたふみちゃんとは人が変わったのかというほど美しい純白の花嫁が、緊張しているのか、頬を薄紅色に染めながら、目の前のステージ上を歩いている。さっき一度見たはずのドレス姿は、スポットライトを当てられてより一層輝きを増している。
拍手に包まれながらステージ中央まで来た二人は礼をした後、ゆっくり着席した。
「お二人が揃ったところで、自己紹介をさせていただきます。 本日このおめでたい席の司会を務めさせて頂きますのは、新郎の一志君の友人で東峯と申します。こういった大役を受けたのは今回が初めてでございまして、幾分か緊張しているのですが一所懸命務めますので、どうぞよろしくお願いします」
会場が温かい拍手の音に包まれた。
「ありがとうございます。それでは、新郎よりウェルカムスピーチを頂戴いたします」
矢衣先輩がスッと立ち上がり、マイクを手にする。
「本日は、遠方より多くの方に集まっていただき、まことにありがとうございます。先程当ホテルのチャペルにて 結婚式がつつがなく執り行われ、私たち二人は晴れて夫婦となりましたことをご報告申し上げます。ささやかなおもてなしではございますが、細かなところから二人で数ヵ月前から話し合って一つずつ選びましたので、どうぞお開きまで楽しんでいただければと思います。
本日は、まことにありがとうございます」
先程以上の拍手が巻き起こって、矢衣先輩は一礼して席に戻る。マイクは再び司会に渡る。
「ではここでお二人の馴れ初めをご紹介させていただこうと思います。二人は同じイタリアンレストラン『カルマーシ』の本社の開発部に勤めておりまして、新婦の風美さんが新郎の一志さんの一年後輩に当たります。入社したばかりの風美さんは一志さんから指導を受け、その時から話し方も仕事も非常に丁寧で、些細な事まで気に掛けてくれる一志さんに、密かに好意を寄せていたそうです。昨年まで進展はありませんでしたが、あの『同時振動無感期』がきっかけとなり、後輩を心配した一志さんが風美さんに連絡を取ったことから二人の仲は急速に縮まります。因みに、新郎とは特に仲が良いと周りからも言われておりました私には、何の連絡もございませんでした」
会場のあちこちから笑い声が漏れる。そういえば私の所にも次の日に矢衣先輩メールしてくれてたな。
「仕事が無く、何もすることの出来なくて心細かった風美さんにとって大きな支えになっていたそうです。更に、一志さんが提案して数回文通をした事によって、風美さんは一志さんの温かい人柄をより知ることが出来たそうです。手書きの文字というのも大事なアイデンティティーのひとつですよね。そして、風美さんが思いを伝えて睦月十五日に交際を始め、昨年長月に同棲を始め、今日の結婚に至ります。大学入学当初から新郎と交流のある私といたしても、この度の結婚は喜ばしい限りでございます」
二人とも恥ずかしそうに微笑んで、ちょっと俯いている。あの初々しい感じ良いな。
「えぇ、では新郎新婦共に勤めております、レストラン『カルマーシ』の社長稜塚様よりご祝辞を頂戴いたします」
社長はキビキビとした動作で前へ出ていき、マイクを手に持った。
「一志君、風美さんご結婚おめでとうございます。両家のご親族ならびにご臨席の皆様にも心よりお祝いを申し上げます。私はただ今ご紹介にあずかりました、『カルマーシ』の稜塚と申します。 お二人が当社に入社して以来、約五年程のお付き合いとなります。二人共大変意欲に溢れておりまして、今では欠かすことの出来ない大事な社員でございます。
特に一志君は上司は勿論の事、後輩にも丁寧な対応で、社員皆から好かれております。また風美さんは独特の感性を持っていて、期間限定の商品に関する新鮮なアイデアを多数考案しております。
このような素晴らしいお二人がこれから先も幸せな日々を過ごせるようお祈りいたしまして、私からのお祝いの言葉とさせて頂きます」
拍手をしていると、社長や二人とその親族の方が席についた。入れ替わりに司会の方が出てきた。その間にウェイターからシャンパングラスを受け取る。
「稜塚様ありがとうございます。グラスが行き届いたようですので、お二人の共通の直属の上司であります『カルマーシ』開発部長の羽崎様より乾杯の言葉を頂戴したいと思います」
羽崎部長が何時もと変わらない澄ました顔でマイクの前へと移動する。私も立ち上がって、グラスを胸の前へと持ち上げる。
「名前で呼ぶのは慣れませんが、一志君、風美さん夫婦の末長い幸せ、そして両家の繁栄を祈念いたしまして。乾杯」
「乾杯」
二人の方へグラスを掲げ、シュワシュワと泡立つシャンパンを半分ほど飲む。隣のなぎは一気に飲み干していた。そしてまた拍手を送る。
拍手が鳴り止み、みな着席したところでウェディングケーキと長いナイフが運ばれてきた。
「それでは皆様お待ちかねのケーキ入刀に移りたいと思います。夫婦初めての共同作業です」
音楽が華々しいものに変わり、二人がケーキの前で一つのナイフを持つ。カメラマンが何枚か写真を撮った後、いよいよ入刀だ。
「ケーキ入刀で……」
「くしゅん」
ふみちゃんが慌ててナイフから手を離し、後ろを向いてくしゃみをした。これには会場から苦笑いが起こった。
「風美さん落ち着きましたか?」
「……はい」
「では気を取り直してもう一度、ケーキ入刀でございます」
大きなウェディングケーキが二人によって分けられた。ただ、ふみちゃんがくしゃみを堪えていたので、切り口は歪に曲がってしまっていた。
「続いてファーストバイトでございます。まずは新郎から新婦へ」
嬉しそうにスプーンのケーキを頬張るふみちゃん。
「次に新婦から新郎へです」
ふみちゃんがスプーンを逆さに持って……あれ?持ち手であろう方でケーキを掬い、食べさせた。ちょっと複雑そうな顔の一志先輩。
その後更に小さく切られたケーキが私の手元にもやって来た。
「ここで、花嫁は一旦お色直しのため中座させていただきます。今一度拍手をお願いします」
ふみちゃんは少しふらついているようだったけれど、無事転けることなく退場した。
「それでは花嫁のお色直しが整うまで、ごゆっくりお食事をお召し上がりください」
目の前にはパスタやパエリアなど、イタリア料理が並んでいる。
「美味しいね。でもふみちゃんどうしちゃったんだろ」
「いつもの事だし、アルコールも入っているから」
「そっか」
いつもの事で納得してしまう私も、どうかしているかもしれない。
その後も式はつつがなく執り行われた。二人の友人達による余興の後、とうとう社員一同による余興の時間だ。なぎがピアノで伴奏を弾いて、皆で五年くらい前に流行ったウェディングソングを歌う。一度も合わせられていないので若干不安だ。
なぎは三ヶ月程練習したそうだ。同時振動無感期の間は弾けなかったので、大分腕が鈍ってしまったと笑って言っていた。元々ピアノは専門じゃないから固い鍵盤の感触を思い出すまでに時間がかかっちゃった、とも。
そんななぎは今日、最近にしては珍しく肩を出したドレスを着ている。それでも左手首を隠すようにしているのはリストカットか何かの痕があるからだろう。今年に入ってから三人で居酒屋に行った時、ふと手首の傷を眺めながら、
「音の無い世界でなんて生きていけないと思っていた」
と感情の消えた声で呟いていた。
それ以上はとても尋ねられなかったけれど、心から漏れ出てしまうほど辛かったんだろう。
それでも、今は幸せそうに前奏を弾いている。なぎの演奏を初めて見たけれど、あんなに良い顔なのは見たこと無いと思うくらいの笑顔だ。二人を除く全社員がその幸せに満ちた音色に合わせて歌い出す。私としては歌詞も音程も間違えず、合唱としても危なげ無く終わったところで、拍手を貰って各々席に戻る。歌っている間にふみちゃんが涙を流したのを見て、ちょっと嬉しかった。
数回噛んでいた花嫁から父への手紙や、新郎の感謝の挨拶があり、
「宴たけなわではございますが、これをもちまして披露宴をお開きとさせて頂きます。本日はお忙しい中ご列席をたまわりまして、まことにありがとうございました。お名前を書いた紙袋を、皆様お一人ひとりにご用意いたしております。お帰りの際はお荷物等忘れることの無いようお気を付けください。最後に、本日は拙い進行でしたが最後までお聞きくださり、まことにありがとうございました」
という司会の言葉でお開きになった。
さて、二次会も無いし帰りますか。引き出物の中身は何だろうな。
今まで読んでくださりありがとうございました。