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七十日目

 あれやこれやと少ししかない仕事をこなしていたら、いつの間にか本店の営業再開が、明日の二十九日に迫っていた。社長が目指していた今月中になんとか間に合った形だ。


 あの土曜日から二十日経った訳だけれど、なぎは未だに家から一歩も出られていない。話だけでもと私とふみちゃんで毎日メールはしている。今日の面白かった考え事を話してくれる時もあれば、疲れたしか書かれない時、二日続けて返信が来なかった後は心配して長文のメールを送ってしまったのだけれど、何事も無かったかのように絵文字いっぱいのメールが送られてきたりした。情緒不安定な日々が続いているようだ。


 店舗の方はというと、今週から準備が進められている。私のいる企画部の担当は主に料理だが、昨日までで材料の変更によるレシピの書き直しや試作テストも五品とも少々難はあったけれど無事成功に終わっていた。レシピに関しては既に本店に送ってある。今日は本店での試作テストに立ち会うことになっているだけだ。本来なら前日なんていうやり直しが効かない日にすべきじゃなかったのはみな分かってはいるのだけれど、食材調達の都合上前日にやるしかなかったのだ。立ち会いに行く社長と社員は不安を覚えつつ、十時に本社を発った。

 本店は二つ隣の駅のオフィス街にあり、ランチタイムに来店する客を主なターゲットにしている。そして客の男女比は3:7で圧倒的に女性客が多い。そういう訳か、本社には女性社員の方が多い。元々稜塚(たかつか)社長ほか数人で、十年前にこの本店から始めたというイタリアンレストラン「カルマーシ」なのだけれど、今では都内六店舗にまで拡大している。そんな本店なので、自らもキッチンに立っていた社長の思い入れも強かった。

 というような事を面接対策にネットで読んで必死で覚えた気がする。三年以上前のことだから確信は無いけど。


 本社への道をぞろぞろと歩いていると、隣を歩いていたふみちゃんから肩を叩かれた。振り向くと携帯画面に『さっきからブツブツなに言ってたの?』と書かれていた。独り言の筈だったんだけど、口は動いていたのか……。私も携帯を取りだし、『何でもないよ』と打った。このときばかりは不謹慎だけれど聞こえなくて良かったと思ってしまった。


 本店前に着くとまずは店の前のチェックに入る。試作テストとは言っても、査閲も兼ねているのだ。暫く閉店していたが、それを感じさせないほど清潔感があるなと印象を持った。そして店は想像していた程広くはなさそうだ。実は私が本店に来たのはこれが初めてなのだ。二号店になら行ったことはあるが、わざわざ本店に行こうとは思わなかったからだ。初見な事を悟られないよう上手く誤魔化しながらいざ店内へ。

 内装は二号店と同じく、クリーム色の壁と木のテーブルとイスが落ち着いた雰囲気を醸し出している。羽崎部長などは、チェック表片手に隅まで丹念に調べているので、私達は終わるまで待っていた。当然店員が私達に気付かないはずは無く、ずらっとキッチン前に並んで待っていた。

 全てのチェックボックスに書き込むと、私達も並んで軽く挨拶をして、早速調理に移った。店長と羽崎部長はチェックについて話があるようで、フロアに残って紙を見つめ合っていた。


 早速調理に入るかと思いきや、まだパスタが届いていないという。食材の配送時間も仕込み時間も明日からと同じにしてもらっている為、今日届いていないということは明日からも、と不安が残ってしまう。製麺所を決めたのは私だからばつが悪くなり、そろそろと下がってメールで確認を取る。すると製麺所も待っていたのか即座に「まだ届いていませんか。申し訳ございません。ただいま確認してまいります」と返事が来た。メールの文面を皆に見せ、苛立ちながら次の連絡を待っていると、段ボール箱を一箱抱えた若い男性が息を切らしながら入ってきた。男性は箱を一旦地面に置き、ポケットからシワのついた紙と、胸ポケットに刺さっていたボールペンを取りだして、「会社近くの一本道で車の衝突事故に巻き込まれて配送が遅くなりました。申し訳ございません」と書いた紙を見せた。ここで言い訳してくるのもどうかとは思ったけれど、険悪な雰囲気になるのを避けたのか、社長は男性の手からメモを抜き取ると「ホウレンソウ」とだけ書き線で強調して、店のドアを指差した。男性はペコペコしながらいそいそと店を出ていった。


 なにはともあれ食材は揃ったので、全員消毒を済ませてから料理のチェックに移る。まずはカルマーシの看板メニュー、ボロネーゼからだ。牛肉はスパゲッティと同じく仕入れ先を探すのに苦労した食材で、メニュー会議の時点で懸念されていたけれど、看板メニューは外せないと言うことでボロネーゼを作ることに決まったのだ。二ヶ月以上営業してなかったとはいえ流石に作り慣れているのか、手際良く進んでいく。レシピでも変わった点は主にスパゲッティの茹で具合と食材の変更で、茹で具合などは結局は書かれなくても良いような単なる目安に過ぎなく、食材の変更は無いので特に問題無く合格となった。

 次いで会議は私が参加する前に決まっていたペペロンチーネだが、これも大まかな変更は無くあっさりと合格だ。調理時間も目安と比べて二分も残す程だった。

 これまたすぐメニュー入りしていたカルボナーラも、ソースの量を30g減らすだけで問題なく出来るだろうと思ったが、開店当初から働いている熟練シェフは、完全に旧レシピで作ってしまった。目では新レシピを確認しているのに、手が慣れていないと後から愚痴をこぼしていたが勿論通用する訳がなく、料理長に叱られる姿を帰り際に目撃してしまったのはもう少し後のことだ。

 キッチンに入って一年しか経っていない、私よりも年下なスタッフが担当したのはボンゴレだ。必死で覚えてきたのか、口を動かしながらフライパンを握っていたが、塩加減を指摘されただけで一応合格にはなっていた。

 最後の一皿の和風冷製パスタも無事に合格を貰い、料理のチェックは終了だ。私のチェック項目は調理時間だったのでパスタは一口も食べられず、さっきから匂いに刺激されて、私のお腹は今にも声をあげて空腹を訴えてきそうだった。自分達で試作して何度か食べているので味の想像はついているから尚更だ。まあ、例え鳴っても誰も気付かないから平気なのだけれど。


 こうして前日の最終チェックは波乱もあったが、社長のOKを無事にいただけた。明日は土曜なので本来なら休みだけれど、何が起きても即座に対応できるようにと本社の全員が出社しなければならない。後は問題が起きずに、冷房の効いた本社から一歩も出ないことを祈るだけだ。

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