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第5話 目撃

 翌朝、一応起こされる前には起きて、朝食の準備を手伝った。といっても、皿を並べたりするレベルなので威張れる事では無いけれど。

 今朝は、トマトとチーズのオムレツに、野菜たっぷりコンソメスープ。それに、ポテトサラダとバターロール。

 一体いつの間にこんなに作ってくれたんだろう。尋ねると、彼がハニカんだ。


「昨夜、ちょっと寝付けなくてさ。下準備しておいたんだ」

「眠れなかったの? どうして?」

「……いや、まあ」


 思わず聞き返したら言葉を濁されて、それっきり沈黙が訪れた。

 黙ってしまうと、やたらはっきりと自分の鼓動が聞こえる。

 実を言うとわたしも、昨夜の彼の笑顔が脳裏から離れなくて中々寝付けなかったんだ。

 瞼を閉じると、直ぐ其処でふわりと笑う彼が浮かんで、ドキドキしてしまって。

 それに、昨夜は気に留める余裕が無かったけれど、会話を思い返すと彼が気になる事を言っていた。

 『浮かれてたから何かやらかしたかも』確かにそう言ったと思う。わたしは彼との生活に浮かれまくっていたけど、彼も何か嬉しい事が有ったのかな。

 そう言えば、わたしの見ていた彼は、昨日を除けばいつも上機嫌だった。

 何がそんなに嬉しいんだろう……気になる。

 ちらちらと彼の顔を窺っていたら、ふと目が合って昨夜同様、顔に熱が駆け上がりそうになった。


「………亮ちゃん、浮かれてたの?」


 赤面を誤摩化す為に尋ねると、「えっ」と発した彼が瞳をおよがせた。


「……や、別に。何も」

「……」

「ほら、早く食べないと。遅刻するよ?」


 聞き間違いじゃない。昨夜、確かに『浮かれてる』と言ったのに。

 明らかに動揺した彼にかされて朝食を口に詰め込むけれど、彼の嘘にも焦っている態度にも、胸がざわめいて味が分からない。

 分かり易く上機嫌で、突っ込まれたら誤摩化すって、まさか! 最近彼女が出来たとか?! 

 ふと浮かんだ嫌な想像に背中がゾクリと震えた。もしもそうだとしたら立ち直れない。

 わたしの片想いが発展しない事は分かってるけど、こんなに間近で彼の惚気のろけ等聞かされようものなら、家出したい程に辛い。

 スープを啜りながら彼をそっと窺うと、視線を下に落としたまま、頬の弛みを必死で抑えている様に見える。どうみても嬉しそうな彼を見て、お腹に入れた食事がまるで重石おもしの様にズシリと体内を圧迫した。


 途中から詰め込むだけになってしまった朝食を何とか終えて、学校に行く準備を整える。


「いってきます」

「うん、いってらっしゃい」


 彼に出掛けの挨拶をすると、物凄くにこやかに手を振られて、何かが胸にチクチクと刺さった。

 わたしを送り出した後、彼はどこで何をしているのだろう。通学はもう殆どしていないみたいだし……彼女とデートとか……?

 どうしても払拭できない重い思考に溜息を吐きつつ空を見上げたら、どよんと暗い雲が一面に拡がっていた。


***


「ただいま」


 学校から帰宅すると、珍しく彼は居なかった。

 出迎えてくれなかったのは初めてだ。何処に行ったのだろう?

 首を傾げながらリビングへと入ると、ダイニングテーブルの上にメモが乗っていた。

『ちょっと駅前に買い物に行ってきます』

 丁寧な字で書かれたメモは彼の几帳面な性格がよく表れている。

『おやつに美味しいケーキ買ってくるから待ってて』と締めくくられたメモに思わず顔がほころぶ。

 ケーキは勿論嬉しいけど、それをわざわざ買ってきてくれる彼の気持ちが嬉しくて胸が温かくなる。

 朝の不安は綺麗さっぱり消えて、ウキウキしながら着替えに上がった。


 早く帰って来ないかな。時計を見ながらリビングのソファーで落ち着かなく体勢を変える。時刻は2時45分。おやつにするつもりなら、そろそろ帰ってきそうだけど……

 立ち上がって、掃き出し窓に掛かったレースのカーテンをそっと開いてみると、目前のガラスに雫が落ちた。

 え? 雨?

 ポツリポツリだったそれは、見る見る内に本降りに変わって窓ガラスに打ち付ける。

(亮ちゃん帰って来れるかな)

 心配になって玄関に行ってみたら、案の定彼の傘は置きっ放し。

 この雨に傘無しじゃ、濡れ鼠もいいとこだ。

 駅前まで迎えに行こうと、携帯と財布を斜め掛けポーチに突っ込んで、彼の傘を握り締めて外に出た。


 ちょっと……降り過ぎ!

 自分の傘は勿論差しているけど、こう斜めに降られるんじゃどうにもならない。

 体の下半分はすっかりずぶ濡れで、脚に纏わり付くジーンズがすごく気持ち悪い。

 ようやく駅前が見えてホッと安堵の溜息を漏らした。

 何処か雨を凌げる場所に行って彼に連絡を入れようと辺りを見渡すと、偶然にも道の向こう側に彼の姿を見かけた。

 店の軒先で困惑した様に空を見上げる彼に弾む気持ちで駆け寄ろうとしたら、その店の入り口が押し開かれて、中から髪の長い綺麗な女性ひとが出て来た。


 20代後半に見えるその彼女は、躊躇ためらいもせず彼の腕をトントンと叩いて、振り向いた彼を見上げてにっこりと微笑んだ。

 ……誰? 知らない人。

 わたしに全く気付く事なく二人で談笑している様をまざまざと見せつけられて身体が動かない。

 総ての音声は、ザーッと流れ落ちるノイズの様な雨音に掻き消されて、耳に届く事無く排水溝へと消えて行った。


 それからどうやって家まで帰り着いたのか記憶が無い。

 吸収しきれない程の水分を吸い込んで重たい服を洗濯機に放り込んで、ぐるぐると回る様をぼんやりと眺める。

 そして頭の中を回るのは先程見た光景。

 すごく親し気だった。彼女に何か言われて、赤面して慌てている彼も見てしまった。

 『お似合い』ってああいう彼らの為に有る言葉だと思った。

 年上の美人好みか……わたしなんてまるで眼中にない訳だ。


 ……どうしよう、これから。もう、平気な顔をして彼との生活を続けて行く自信が無い。

 お腹の中で渦巻く何かがすごく気持ち悪い。

 どうする事も出来ない感情を持て余して、只々洗われている衣類を眺めていると、ガチャリと玄関を解錠する音が響いてビクッと身体を震わせた。

 程無くして洗面所を覗いた彼は、今朝と変わらない笑顔をわたしに向けた。

 いつもならキュンとするところだけど、今はズキンと握り潰される様な痛みが生じた。

 とても目なんて合わせていられなくて視線を下に落とす。


「ただいま。遅くなってごめんな。ケーキ食べよ?」


 箱を軽く掲げた彼に一瞬視線を遣って下唇を噛んだ。その箱は、先程彼女から渡されていた物じゃないか。彼女が彼の為に作ったケーキを食べるなんて、拷問以外の何物でも無い。


「いらないっ」


 思わず荒げた声にしまったと思いつつ、取り繕う為の嘘をボソボソと吐き出した。


「さっきシュークリーム食べちゃったから。ごめん」

「……ケーキ買ってくるって書いといたのに」


 買ってないじゃん。カノジョに貰ったんでしょ?

 そう言えば、買い物に行くって書いてたのに、そのケーキの箱以外何も持ってなかった。

 喜んだあのメモは、丸ごと全部嘘だったんだね。どうして? どうせなら、デートに行くって明記してくれれば良かったのに。そうしたらぬか喜びなんてしなくて済んだのに。


「………気付かなかった」


 これ以上ここに居たら泣き出してしまいそうで、彼の脇を早足で通り過ぎようとしたら不意に上腕を掴まれた。


「くーちゃん?」

「……放して」

「嫌だ」


 手に力が篭った彼を見上げたら、彼の揺れる眼差しに捉えられて思わず瞳が潤んだ。


「放してッ……!」


 ダメだ、もう誤摩化せない程に声までも涙で滲んでいる。


「どうしたの、くーちゃん」

「何でもない」

「何でもないわけないだろ」

「亮ちゃんには関係ない!」


 関係ないどころか、其処で悩みの世界が完結している程に関係大有りなんだけど、他に言葉が出て来ない。

 思わず叫んだら、ようやく掴んでいる手の力が弛んだ。

 その手が僅かに震えているのを感じて視線を上げると、泣きそうな彼と目が合った。


「………頼りにならない?」

「え?」

「俺じゃ……頼りにならない?」


 頼りになるとかならないとか、そういう問題じゃない。彼にだけは口が裂けても言えない悩みなのだから。

 ってもわなくても、どっちみちここに居られないなら、下手に告げて傷つきたくない。逃げかな。でもバッサリ振られるのが分かっているのに気持ちを告げるなんて、早々出来る事じゃないと思う。


「……わたし」

「うん?」

「転校しようと思う」

「え!?」


 驚愕した彼にぺこりと頭を下げた。


「短い間だったけど……ありがとう」

「ちょっ……何だよ急に!」

「やっぱり、お父さんやお母さんと離れるの淋しいし」

「……ッ」

「それに……亮ちゃんの邪魔しちゃ、悪いし……」


 嗚咽を堪えたら掻き消えそうな声になった。でも、これがわたしの出せる精一杯だ。


「邪魔? 何が?」

「だって、わたしが居たら誤解されるかも知れないし……!」

「は?」


 彼氏が、従妹いとことはいえ女と二人で住んでるなんて嫌に決まってる。

 そう思って発した言葉は、彼の怪訝な声に遮られて。おまけに両腕を掴まれて彼と相対させられてしまって逃げ場がない。


「何……言ってんの?」

「だからッ……彼女に……」

「は……?」


 絞り出す様に口にした言葉は、耳から入って胸にグサリと刺さった。必死で告げたのに、彼はキョトンと呆けている。それが何だか妙に癇に障って、堪えきれずに声を荒げて言った。


「っ二人で住んでるなんて、亮ちゃんの彼女に誤解されるでしょ?!」


 叫んだと同時に涙腺が決壊した。両腕を固定されているので、それを拭う事も隠す事も出来ず、彼の目の前でボタボタと涙が流れ落ちていく。

 ……終わった。もう告白したも同然だ。しかも、最悪の形で。


「………あのさ」


 口を開けてわたしを眺めていた彼が、ややあってボソリと呟いた。


「俺、彼女なんて居ないけど」

「……嘘! だって今日駅前で……!」


 涙声過ぎて不明瞭な科白せりふをぶつけると、彼が驚いた様に目を見開いて言った。


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