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第3話 甘え

「くーちゃん、ハイお弁当」

「ありがとう」

「今日は遅くなるの?」

「ううん、いつも通り」

「そっか。気をつけて」

「うん」


 作ってもらった愛情たっぷりのお弁当を受け取って、いつも通りの会話。

 お風呂で遭遇事件から約一週間、彼は本当に非の打ち所の無い『保護者』だった。

 ちょっぴり期待した急接近とかの気配は全くないけれど、当初の予定通り、毎日「おはよう」が言えて、「おやすみ」も言えて、近くで笑顔が見放題だ。

 うん。充分じゃないか。これ以上欲張ると罰が当たりそうだ。

 僅かに自嘲しつつ靴を履いていたら、ふと背後から話し掛けられた。


「そう言えば、もうすぐ中間?」

「あ……う、うん……」


 嫌な所を突かれて歯切れの悪い返事をすると、彼がふっと微笑んだ。


「もし解らない箇所が有ったら、見てあげるよ」

「えっ。ホント?」

「うん。今晩から夕食終わったら勉強しよっか」


 思いがけない提案に心が躍る。何故かと言うと、今まで夕食が終わったら結構別行動になっちゃってたから。後片付けをしたり、お風呂に交代で入ったり、自分の部屋で課題とか友達とメールとかしてたり。彼も部屋に篭って何かしてるみたいだったし。

 そんな状況に何となく淋しさを覚えてたんだけど、今晩からは一緒に居られるの?

 まあ、名目は試験勉強だけれども、この際それは良しとしよう。理由は何であれ、彼の傍に居られるんなら大歓迎だ。


「いってきまーす!」


 弾んだ心がそのまま反映された声で告げて、軽やかに家を飛び出した。


***


「……亮ちゃん」

「うん? どれ?」


 その日の夕食後、ダイニングテーブルで始まった勉強会。

 彼が座ったのは、わたしの斜め向かいの席で、4人掛けであるこのテーブルの中で、わたしから一番遠い場所だ。そしておもむろにノートパソコンを開いて、何やらカタカタとキーボードを叩いている。

 わたしが呼ぶと、顔を上げて指した問題を見てくれる。そして、説明が終わると再びパソコンの画面に目を向けている。

 ……何か違う。「一緒に勉強しよう」って、こういう感じだったの?

 直ぐ隣に座ってくれて、分からない所を聞いたら「何処?」って後ろから覗き込まれて、思いがけなく肩や背中に密着する彼にドキドキ……! とかじゃないの?

 こんなに離れて座るんじゃ、そんなときめきイベントはまるで起こりそうにない。

 密かに溜息を吐き出しつつ、渋々問題に取り掛かる。

 教科書からチラリと顔を上げて彼を窺うと、真剣な顔付きでパソコンを操作していて、とても雑談など出来そうな雰囲気ではない。

 いや、そう言う表情も素敵だなとは思うんだけど、でもやっぱりちょっと淋しい。

 ちっとも進まない問題をシャープペンの先端でコツコツと突つきながら、暫く躊躇して怖ず怖ずと訊ねてみた。


「……亮ちゃん、何してるの?」

「うん? ああ、これか。卒論」

「え?」

「俺も4年だからね。やらないと」

「そうなんだ……」


 時々難しそうな分厚い本を開きながら作業している彼を、複雑な心境で眺める。

 毎晩、部屋に篭り気味なのは、もしかしてこれをってるからなのかな。

 何を遣っているのかはよく分からないけど、卒業論文というからには、とても大事なんだよね?

 「暇だから」と言って、あっさりと私の世話を引き受けてくれたけれど、本当は大分忙しいんじゃ……?

 優しい彼はそんな事一言も言わないけれど、自分の都合だけで此処に残ったわたしは、すごく迷惑を掛けているんじゃないだろうか。

 シュンとしてうつむいていたら、ふと視線を感じて顔を上げた。


「くーちゃん、どうした? どこか解んない?」

「……あ、うん……ココ……」


 分からなくて固まっていた訳ではないのだけれど、そんな事を考えていたとはとても言えず、先程からペン先で突ついていた問題を見せた。

 丁寧に説明をしてくれる彼の顔を見つめていたけど、胸がざわざわしていて、説明は全く頭に入らなかった。


「……で、こうなる、と。解った?」

「……うん、有り難う」


 ハイと返された教科書を両手で握って暫し固まった後、バタバタとノート類をまとめて胸元に抱えて立ち上がったわたしに、キョトンとした視線が向けられた。


「くーちゃん?」

「あの、ありがと亮ちゃん」

「え?」

「もう自分で出来るから。時間取って貰ってごめんね?」

「えっ……」


 絶句した彼にくるっと背を向けて、自室へ向かう階段をバタバタと駆け上がった。

 何か、かえって悪い事しちゃったな。最初から断っておけば彼の貴重な時間を削る事は無かったのに。

 この生活も迷惑かも知れないけど、もう始まってしまったものを今更取り消す事は出来ない。それならせめて、彼の負担を少しでも減らさないと……

 すっかり甘えていた我が身を振り返って、深々と溜息を吐き出した。


***


 反省の結果、翌朝からわたしは一人で起床した。

 そんな当たり前の事すらも彼に頼り切っていた自分がすごく情けない。


「おはよう、くーちゃん……早いね」

「あ、うん、おはよ……」


 彼が起きてきた時には、既に自分でトーストを焼いて食べ始めていた。

 彼の様に朝から豪華ゴハンといかない辺りが悲しいとこだけど、一応これが考えた末の『彼の負担を減らそう作戦』だ。


「亮ちゃんも食べる?」


 食べかけのトーストを置いて立ち上がりかけたら「いいよ」と制された。

 まあ、そうだよね。あの朝食に比べたらトースト1枚だなんて、お粗末すぎる。

 わたしを見つめたまま其処に立ち尽くしていた彼が、やがて躊躇いがちに口を開いた。


「今日……学校早いの?」

「……うん、まあ」


 本当はそんな予定は微塵も無いけど、正直に言えば彼の食事を食べない理由を聞かれる事は必至だ。

 だって、わたし迷惑でしょう? と真っ向から訊ねる勇気もなく、黙々とパンを食べ終えて席を立った。

 そのまま皿とカップを洗いだしたわたしを無言で見つめる彼の視線が何だか痛い。

 ズキズキと疼く気持ちを抱えて用意を済ませ、いつもより40分近く早い時間に家を出た。


***


「あれっ葛葉くずは、今日お弁当じゃないの?」

「あ……はは、お母さんちょっと寝坊しちゃって」


 昼休みにコンビニのパンを食べていたら友人に突っ込まれて苦笑を零した。

 従兄いとこの彼と住んでいる事は、クラス担任の先生以外は内緒なので、引きりながら苦しい言い訳を返す。

 ……そりゃ、突っ込まれるよね。毎日、あんなに手の込んだ、見るからに美味しそうなお弁当を持ってきてたのに、突然コンビニパンじゃね……

 ハアッと溜息を吐いて、もそもそとパンをかじる。

 朝昼と食べてないだけなのに、もう彼の手料理が恋しい。すごく食べたいけど……でも、わたしの為にどれ程の時間をいて作ってくれていたんだろうと思うと、どうにも申し訳なくて、渋々食べていたパンがますます喉に引っ掛かった。


「……ねえ、帰りに何か食べてかない?」

「ええ? 葛葉、昼ご飯食べながらもう放課後に食べる話?」

「食欲の秋だよ」


 笑った友人に笑顔で冗談っぽく返したけれど、頭の中は彼の優しい微笑みで一杯で、お腹を絞られる様な痛みが体内をズキズキとめぐる。

 昼休みが終わる直前、「今日は晩ご飯いらない」と作成したメールの画面に、こみ上げた雫が溢れそうになって、人知れずぎゅっと下唇を噛んだ。

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