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第2話 引っ越し

「亮介くん、この棚はこっちで良いのかな?」

「あっすみません、お願いします」

「葛葉、ちょっと雑巾持ってきてー」

「はーい」


 案の定眠れなかった夜から数日後の日曜日、遂に彼がうちに越して来る事になって、朝から家族総出で引っ越し作業が行われている。

 実は、昨日の夜まで半信半疑だったのだけれど、こうして荷物が搬入されているのを見て、ようやく実感が湧いて来た。

 ワクワクが止まらなくて、正直言って普段ならあまり好きではない掃除が、楽しくて仕方が無い。

 しかし、両親の荷物も同時に運び出したりしているので、本気で家中がひっくり返っている。

 これは本当に今日中に片付くのだろうか。

 これから彼の部屋になる筈の部屋は、わたしの自室と壁一枚隔てた隣に位置した8畳間で、ほんの数日前まで物置同然だった。

 置いていた物は何とか片付けたけれど、彼のベッドは未だ分解されたままだし、主に段ボール箱である荷物は山と積まれている。なのに、時間は既に午後のおやつにしようかという頃だ。そして、両親の出発時間も刻々と迫っており、片付ける人手は確実に足らなくなる。

 今夜から彼は此処に住まうというのに、果たして寝る場所は確保されるのだろうか。

 もしも間に合わなかったら、……「くーちゃん、ごめん。今晩一緒に眠ってもいい?」……なんて言われたらどうしよう!? どうしようって言うか、勿論オーケーだよ! っでも絶っ対に眠れない!

 うっかり一人で盛り上がって内心叫びまくっていたら、不意に背後から「くーちゃん、ごめん」と声を掛けられて、思いきり身体がビクッとしなった。


「ははハイ?!」

「何?」


 完全に声が裏返ったわたしに、可笑しそうにクスッと笑った彼は、わたしの手元を指して言った。


「その雑巾、貸してもらっても良い?」

「あ、……ど、どうぞ」

「ありがと」


 微笑んで作業に戻った彼を目で追うと、いつの間にやら組み上がったベッドを拭いているところだった。

 寝る場所、有るし……!

 あっさりと潰された妄想にがっくりして、彼にバレない様に深々と溜息を吐き出した。


***


「じゃあ、行くけど……葛葉、本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ、亮ちゃん居るし」

「亮介くんに甘えてばっかりじゃダメよ。ちゃんと自分の事は自分でするのよ?」

「分かってるよ」


 少々拗ね気味に答えた私に「本当に大丈夫かしら」と、溜息と共に呟きながら出て行った母の背中に、はーっと溜息を吐いた。

 どれだけ信用されてないんだろう、わたし。

 ついつい彼に愚痴ると「違うよ」と諭された。


「くーちゃんが可愛くて仕方ないんだよ」

「でも」

「心配なんだよ。未だ16なんだから」

「……」


 それは分かるけど、もう16なのに。いつになったら大人として扱ってくれるんだろう。

 それに、彼からしても未だほんの16の子どもだと思われている事が悲しい。

 ちょっぴり沈んで玄関に立ち尽くしていたら、彼にポンポンと肩を叩かれた。


「もうちょっと片付けたら、ご飯にしよう?」


 そう言われると何だか急にお腹が空いてきた。ダメだ。こういう所がお子様なのか。

 でも、一度意識した空腹感は、増す事は有っても消える事は無い。


「……ゴハン、何?」

「何食べたい?」

「うーん……和食」

「くーちゃん和食好きだよな」


 そう言って笑った彼がわたしの頭をクシャクシャッと撫でて、にっこりと微笑んだ。


「簡単で悪いけど、親子丼とかどう?」

「え、大好き!」

「良かった。じゃあもうちょっとしたら一緒に買い物に行こっか」


 買い物! 彼と一緒に?

 嬉しいお誘いに、凹んだ事も一瞬で吹き飛んでウキウキと掃除を再開した。


***


 それから約1時間程経って、約束通り近所のスーパーへと買い物に行った。

 帰宅して、彼が手早く作ってくれた親子丼は本当に頬が落ちそうで、食事中に何度も「美味しい!」と言ったわたしに、彼は「大げさだよ」と照れ笑いを零した。

 これから毎日こんな美味しいご飯が食べられて、いつでも彼の笑顔が見られるなんて、幸せすぎてクラクラするよ。


「ご馳走様でした! 亮ちゃん天才だね」

「だから大げさだって。くーちゃん先にお風呂入っていいよ。汗掻いたでしょ」

「あ……うん」


 当たり前だけど、お風呂もトイレも共用なんだよね。彼に限ってうっかり開ける事は無いと思うけど、何だか妙にドキドキしてしまう。

 鍵のかからない脱衣所の横開きの扉を気にしながら、恐る恐る服を脱いで浴室へと入った。

 身体を洗った後、湯船にちゃぽんと浸かりながら、張ってしまった腕や脚を揉み解す。

 あー……でも今日はさすがに、精神的にも肉体的にも疲れた。馴れないドキドキと、滅多にしない力仕事。

 気持ちのいい湯加減にぼんやりしていたら、いつの間にか意識が遠退いていたらしい。


「……ちゃん。くーちゃん! 大丈夫?!」


 ふと気付いた時には、浴室のスライドドアが大きく叩かれていて。

 寝ちゃったんだ! 慌てて湯船から立ち上がったのと、ガラリとドアが開けられたのは同時だった。

 彼と目が合って思考回路がショートした。数秒後、おでこの端までも真っ赤に染めてザバンと湯に座り込んだけれど、時既に遅し。


「ごっごめん!!」


 私が座った次の瞬間、勢いよくドアは閉められたけど、珍しく慌てた彼の様子からしても、完全に見られた。目が合った後、視線が下に降りてたし!

 どうしよう! どんな顔して出て行けば良いの?!

 バタバタと足音が去った脱衣所の外を涙目で見つめたまま、暫し呆然と湯船に浸かっていた。


 いつまでも風呂に入っている訳にもいかず、のろのろとパジャマを着てリビングへと顔を出すと、ソファーに掛けていた彼が、気まずそうな表情でちらりと此方を振り向いた。

 そして不意に立ち上がったかと思うと、私に向かって勢いよく頭を下げた。いやむしろ、腰を折ったと言っても良い程に深々と。


「ごめん!!」


 そんなに謝られると何だか申し訳ない。そもそも風呂で眠ってしまった私が悪いのに。


「あ、ううん、良いの。亮ちゃんが悪い訳じゃないから」

「……でも、」

「それに、まあ今更だよね? 昔はしょっちゅう一緒にお風呂入ってた訳だし……」

「……」

「だって『お兄ちゃん』だもん。全然気にしてないから。亮ちゃんも気にしないで?」

「………そっか。分かった」


 いや、正直言うと即刻逃亡したい程に恥ずかしい。でも、初日のこんなハプニングぐらいで今後の楽しい同居生活を潰すわけにはいかないから。

 ここはひとつ、見なかった事にして貰おうと、少々早口で喋りながら何とか笑顔を浮かべたけれど、流石に目を合わせる事は出来なかった。


***


「くーちゃん、朝だよ? 遅刻するよ?」


 翌朝、私を優しく起こしてくれた彼は、本当に何事も無かったかの様に、にっこりと微笑んだ。

 ああ、昨夜の事はホントに無かった事にしてくれたんだな。いつまでも言うと私が気にすると思って。やっぱり、優しい。

 キュンと締まった胸を抱えつつ、急いで洗顔と着替えを済ませて食卓に着いた。

 朝食を食べ終えて茶碗を洗おうとすると、「遅刻したらいけないから」と笑って送り出された。

 自分の事は自分でする様に言われているのに、何だか申し訳ない。

 昨日もお言葉に甘えて、ゴハン食べて直ぐにお風呂入っちゃったし……と考えて昨夜の失態が脳裏をよぎり、慌ててかぶりを振った。

 ああもう、忘れるって決めたのに!

 というか、忘れないと、この先やっていけないから!

 止めどなく流れ出る溜息を携えながら、学校へと重い脚を引きった。

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