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ヴァランデール王国譚(短編集)

推しからの、お知らせ葉書。

掲載日:2026/01/22

 一枚の葉書で、私の恋は終わった。


 葉書を覆う目隠しシールを剥がすと、大好きな彼と一緒に微笑む綺麗な女性の写真。添えられた言葉は結婚報告。


 小学生の頃から彼に憧れて、十五歳でやっとファンクラブの入会要件を満たした私が、最初の会報よりも先に受け取ったのが、この葉書。


 彼は芸能人だから。

 中学生の私が、彼に手が届く訳がない。

 表向き、口ではそう言っていても、心に秘めた恋は真剣だった。


 彼の顔は本当に幸せそうで、眩しいくらいに輝いていて。

(……おめでとう、よかったねと言わなきゃいけないんだな)


 さーっと、音を立てて、心の熱が引いていく。

 今、まさに、体験しているのは、きっと百年の恋が醒める瞬間。


 葉書を破こうとしたのに、樹脂でコーティングされた紙は硬くて破けない。ハサミで彼の顔を切ることはできなくて、私はそっと机の引き出しの奥へと葉書を仕舞いこんだ。


      ◆


 翌日、重い足取りで学校へ行くと、彼の結婚は知れ渡っていた。ファンクラブ会員限定の情報も、ネットに流れるとあっという間に知れ渡る。


 常日頃、彼の大ファンだと公言していた同級生の佐多見優美香(さたみ ゆみか)は、クラス皆の玩具のように扱われていた。

(彼のファンだって言ってなくて良かった……)

 同担拒否の優美香に知られないように、いつも慎重に話題を選んでいたことが功を奏するなんて、想像もしていなかった。


「いやー、可哀想になー。元気だせよー」

「さあ、次行こう、次!」

 悪ノリした男子生徒たちが、げらげらと笑うのを聞きながら、胸の痛みをじっとこらえる。憧れの彼が結婚しちゃったから次、という切り替えが出来れば、この痛みもなくなるだろうか。


「相手が元アイドルだもんなぁ。勝ち目ねーよな」

「ちょっと! 傷口に塩塗らないでよ!」

 叫び返す優美香も十分に可愛いと思う。きらきらと輝いていて、いつも明るく笑っている。


「あれ? 缶バッチは?」

「ショック過ぎて全部捨てた! CD叩き割ったし、カレンダーも雑誌も全部捨てた!」

 優美香のサブバッグに大量に付けられていた缶バッチも、学生カバンに下げられていた手製のぬいぐるみも綺麗さっぱり消えていた。


「今まで、彼女がいるなんて匂わせもなかったし、ずっと独身でいるって信じてたのに!」

 優美香の叫びが、私の心に突き刺さる。私も、そう思っていた。男の友人が多くても、彼は孤独だという幻想を持っていた。孤独な彼を理解できる女は自分だけ。出来る事なら、孤独な彼を隣で支えたい。真剣に願い続けていた。


 孤独な彼。それは勝手な幻想で妄想でしかなかったと、恥ずかしさと気まずさと、なんだかよく分からない感情が心を乱していく。私が好きだったのは、アイドルとして振舞う彼の姿を見た自分が、勝手に生み出した幻影の彼だったという現実を突きつけられて、胸が痛む。


「あー、もう、ショックで立ち直れないー!」

 机に突っ伏して、ばたばたと暴れる優美香を、友人たちが背中を撫でつつ慰める。


「もっと若い子の方がいいよー。次いこ、次」

「あ、でも、私の推しはダメ」

「そうそう。同担いない子にしてよねー」

 気遣う友人たちからも、優美香の同担への攻撃性を恐れているのが伝わってくる。


「よし! 新しい、私だけの王子様見つける!」

 顔を上げた優美香はスッキリとした雰囲気で、私は、そんな優美香をうらやましいと思った。


      ◆


 放課後の教室は、時間が穏やかに流れている。窓から入ってくる部活の声は、何故か遠い。


 私が黒板を雑巾で拭き、黒板消しをクリーナーに掛ける間、がたがたと音を立てながら、乱れた机の位置を整えているのは、同級生の島潟聡樹しまがたさとき。すらりとした長身で、銀縁の眼鏡を掛け、物静かで存在感が薄い。名簿順で決められた日直の仕事はいつもペア。


「雑巾洗ってくるから、先に帰ってていいぞ」

「ありがと。でもそういう訳にいかないでしょ。これも日直の仕事なんだから」

 中学一年から三年まで同級生。日直もずっとペアだと、言葉も軽くなってくる。


「真面目だな」

「真面目だけが取り柄なの」

 本当に、それだけだと思う。私には、優美香や他の同級生のような可愛らしさがないと、わかり過ぎている。


「俺、つい最近歌手のファンクラブに入ったんだけどさ、会報来る前に昨日結婚報告葉書来て、マジかって驚いた」

「それって……」

「今日、クラスの奴らが騒いでた歌手。あ、男が好きって訳じゃないからな。俺はあの人の歌声が好きなんだ」

 女性ファンばかりの彼に、男性ファンがいるとは知らなかった。しかも身近に。


「俺、十年くらい前に、隣町のショッピングモールで歌ってるのを見たんだ。あの小さいステージ知ってるだろ?」

 近辺で一番大きなショッピングモールは、家族で行く買い物先の定番だった。建物中央の吹き抜けに配されたステージはかなり小さくて、彼がそこで歌っていたのは意外だった。十年前といえば、彼が全く売れていなかった頃で、私がファンになる前のこと。


「ちょうどクリスマスシーズンで、サンタが風船とか配ってて、誰もステージなんか見てなかった。でも、あの人が歌い出したら、皆が一斉に注目した。声量がとんでもなくて、歌声がパワフルでさ。落ち着きのない幼稚園児だった俺が、しばらく固まるくらいだった。で、その時からあの人が憧れなんだ」

 聡樹(さとき)の笑顔は、今まで見たことがないくらいに輝いている。いつもは控えめで静かに微笑む印象しかなかった。

(そうだ。私も彼の歌声で好きになったんだった)

 私のきっかけは、テレビで聞いた歌声が心に響いたから。彼の姿は作られた物でも、歌声は本物。


「歌手を目指すの?」

「いや。俺の目標は、ノーベル賞受賞。受賞確認の電話に『今、カップ麺にお湯注いだところだから、後で掛け直してくれ』って言うのが夢」

「何それ」

 白衣を着て、片手にカップ麺を持ちながら電話している光景がリアルに想像できて笑ってしまった。


「やっと笑った。朝からずっと暗い顔してたから、気になってたんだ」

「……そんなに暗い顔してた?」

 動揺を完璧に隠していたつもりだったのに。細心の注意を払って普段通りの行動を心掛けていた。


「あー、いや、気づいてるの俺くらいじゃないかな。……俺がファンクラブ入ったのはライブのチケット取る為なんだ。今まで、ずーっとチケット申し込みしてるけど、一度も当たったことないからさ。ファンクラブなら優先枠とかあるだろ?」

「あ、そっか。そうだよね。私、ライブは高校生になってからって親から言われてるんだけど、そんなにチケット取るの厳しい?」

 葉書のせいで何もかも吹っ飛んでいたけれど、そもそも、私が申し込んだのもライブに参加したかったからだった。


「厳しい厳しい。親と姉貴に頭下げて頼んでも、一枚も取れたことねーよ」

「うわー。ちょっとドキドキしてきた」

 デジタルデータではなくて、直接、彼の歌声を聞いてみたい。そんな気になってきた。


「高校になってチケット取れたら、一緒にライブ行くか?」

「そ、それって……」

「あ、いや、その、デートとかそういうのじゃなくて! 俺の回りであの人のファンがいないっていうだけで! 姉貴は興味ないって言うし、友達もチャラいの嫌だって言ってるし!」

 焦りながら早口になる聡樹(さとき)に興味が沸いてきた。普段は物静かな聡樹が好きな曲はなんだろう。


「私もファンクラブ入ってるけど、二人ともチケット取れたらどうする?」

「ファンクラブ入っててもなかなか当選しないっていうし、そんなミラクル滅多に起きないだろ。万が一の時は、その時考えればいい」

「それもそっか」


 聡樹(さとき)と話していると、私は最初の純粋な想いを思い出してきた。

「どの曲が好き?」

「全部好きだから、一番は決められないなー」

「じゃあ、好きなの二つ」

「トップスリーとかじゃなくて、二つなのか?」

「そう。一番好きな曲って聞かれたら最新曲と迷うでしょ? 三曲だったら順位に迷う。二曲だったら、本当に大好きな曲がわかるかなって」

 常に最新曲が一番好きでないと失礼だと声高に言う人がいる。古い曲が好きと言えない空気感があることもある。だから二つ。配慮が過ぎると思っても、配慮しなければ生きてはいけない世界から逃げ切ることは難しい。

「そうか。俺が好きな曲は……」


 好きなことについて話していると、百年の恋が醒めた瞬間の虚無感が薄れていく。それでも失恋の衝撃は、胸の奥で疼いているから、完全に忘れることはできないかもしれない。


 自分で作り上げた幻想への恋は終わり。はっきりと区切りが付けられた。

 良い思い出だったと笑うには、ハードルが高すぎるけれど。

 憧れと現実とのバランスを取りながら、新しい恋を見つけたい。 

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― 新着の感想 ―
聡樹のように男女関係なくアーティストの技量に惹かれることはあっても、熱心なファンや推し活する心情はイマイチ分からないので、主人公視点の気持ちの変遷は読んでて興味深かったです。
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