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第3話 奇病治療とお人形

 地下二層の探索を終え、僕は小さく息を吐いた。


 足元では、相棒のクロムが申し訳無さそうに鼻を鳴らしている。


「気にしなくていい。君の嗅覚は優秀だ」


 そう言って、僕は硬い毛並みを撫でてやる。


 問題なのは、このダンジョンの生態系だ。


 遭遇するのは、羽虫のようなコウモリばかり。戦力として加えるには、あまりに貧弱すぎる。


 僕が求めているのは、この地下迷宮の守護者となりうる、強大な個体だ。


  女神が語っていた「資源採掘場」――国が管理するダンジョン。そこへ行けば、望む獲物がいるはずだ。


 だが、そこは厳重な監視下にある。侵入するには冒険者としての身分証と、高額な通行税が必要となるだろう。


 当然、産まれたばかりの僕に、人間社会の貨幣などない。


  『創成』で金貨を模造することはできる。だが刻印の精巧さ、流通による摩耗――偽造が露見すれば国を敵に回す。今の戦力では得策ではない。


 結論はひとつ。


 正当な手段で、人間から搾取するしかない。


「留守を頼むよ。すぐに戻る」


 メルが不満げに触手を震わせたが、僕は構わず地上への階段を登った。



* * *



 城塞都市バルディア。


 石造りの城壁に囲まれたその街は、人間たちの熱気と欲望で溢れ返っていた。


 汗と、香辛料と、鉄の匂い。


 路地裏の影から様子を伺いながら、僕は冒険者ギルドの掲示板に目を凝らす。


 薬草の採取。ドブさらい。荷運びの護衛。


 どれも銀貨数枚程度の、割に合わない仕事ばかりだ。通行税を稼ぐのに何ヶ月費やすことになるか計算するのも馬鹿らしい。


 その中で、一枚だけ異彩を放つ依頼書があった。


 羊皮紙の質からして上等なそれは、王家の紋章に次ぐ権威を持つ「剣と盾」の刻印が押され、破格の報酬を提示していた。


『求む、住み込みの看護人。

 報酬:金貨二十枚(成功報酬を含む)。

 条件:魔力制御に長けた女性であること。

 対象:バルディア公爵家令嬢、エリス様の奇病治療』


 バルディア公爵家。


 この国の軍事を統括し、代々「剣聖」を輩出してきた武門の名家だ。


 そんな家の令嬢が、なぜ一般公募で治療者を求めているのか。


 少し考えれば理由は察しがついた。武を尊ぶ家系にとって、原因不明の病弱な娘は外聞が悪い。表沙汰にできない事情があるのだろう。


 報酬は金貨二十枚。


 一般的な冒険者が一年かけて稼ぐ額だ。これなら通行税を払っても十分な釣りが来る。


 条件の「女性」という項目を見て、屈強な男たちが舌打ちをして去っていくのが見えた。


 深窓の令嬢が相手となれば、男を寝室に入れたくないという理屈も理解できる。


「……合理的判断だ」


 僕は人気のない路地裏の最奥へと足を踏み入れた。


 壁に立てかけられた古い姿見を見つける。ひび割れた鏡面に、中性的な少年の姿が映っている。


 身体に指を這わせた。


 『創成』の光が指先から溢れ、肉体という粘土を作り変えていく。


 肩幅を削り、骨盤をなだらかに。筋肉を解いて柔らかく編み直し、喉仏を押し込んで声帯を調整する。肉体が粘土のように従順に形を変えていく。

 

 仕上げは「外装」だ。


 色彩の薄かった髪に、鉄錆と月光を混ぜたような灰銀色を与える。それを高い位置で二つに分け、ツインテールに結い上げる。あえて幼さを残すことで、警戒心を削ぐための偽装だ。


 瞳は、感情を映さない琥珀色を選んだ。暗がりで光る猫のような、あるいは宝石のような硬質な金色。覗き込めば射抜かれそうなその鋭さは、華奢な外見とのアンバランスさを生み出している。


 最後に、空気中の塵と魔素を凝固させ、漆黒のメイド服を織り上げて身に纏う。


 数分後。


 ひび割れた鏡の中に立っていたのは、硝子細工のように繊細で、可愛らしくもあり、同時にどこか致死性の毒を秘めたような危うさがある。


 人間離れした、作り物めいた美しさ。


 だが、これなら誰も正体など疑わないだろう。


「……行こっか」


 唇から紡がれた声は、予想通り冷たく、澄んでいた。



* * *



 通された公爵家の屋敷は、城と見紛うほどの威容を誇っていた。


 廊下には歴代当主が狩ったとされる魔物の剥製や、使い込まれた武具が飾られている。


 ここには「強さ」こそが正義だという空気が満ちていた。


 だからこそ、案内された部屋の異質さが際立っていた。


「どうぞ、こちらです。……どうか、お嬢様を怖がらないでやってください」


 老執事が沈痛な面持ちで扉を開ける。


 部屋に入った瞬間、肌にまとわりつくような重苦しい気配が僕を迎えた。


 天蓋付きのベッドを中心に、部屋全体が濃密な澱で満たされている。


 常人であれば、この場にいるだけで吐き気を催し、精神を病むレベルの汚染濃度だ。医者や聖職者が逃げ出すのも無理はない。


 だが、僕にとっては違う。


 僕は思わず、舌なめずりをしそうになるのを堪えた。


 喉の奥が熱くなる。


 これは病気などではない。極上の晩餐だ。


「……う、あ……」


 ベッドの上で、少女が小さく呻いた。


 エリス・フォン・バルディア。


 透き通るような金髪は脂汗で頬に張り付き、呼吸は浅く、今にも途切れそうだ。


 彼女の体内では、行き場を失った魔力が負の感情と混ざり合い、ヘドロのように渦巻いて生命力を食い荒らしている。


 枕元の棚に、小さな木剣が飾られていた。埃を被り、握られた形跡すらない。


「下がっていてください」


 僕は執事に短く告げると、ベッドの脇に音もなく歩み寄った。


 少女がうっすらと目を開ける。


 その瞳は焦点が合わず、見えない怪物に怯えているようだった。


「……こ、ないで……きもち、わるい……」


「ご安心を。すぐに楽にして差し上げます」


 僕は躊躇なく、その熱い額に自分の手を重ねた。


 治療術式など必要ない。


 僕がすべきことは、ただ食事をするだけだ。


 掌を通して、彼女を蝕んでいたドロドロとした熱が、僕の体内へと奔流となって流れ込んでくる。


 ――甘い。舌の根が痺れ、背筋を快楽が駆け上がる。


 ダンジョンの乾いた土から吸い上げる微弱な魔素とは、比較にならない。


 長い時間をかけて醸成された孤独と、純粋な魔力の結晶。


 それは極上の蜜のように、僕の乾いた魔力回路を潤していく。指先まで力が満ち、視界が鮮明になる感覚。


 僕が満たされるのと反比例して、エリス嬢の表情から苦悶の色が消え失せていった。


 こわばっていた眉間が緩み、呼吸が深く、穏やかなものへと変わる。蒼白だった頬に、薔薇色の血色が戻っていく。


 十分ほど経っただろうか。


 まだ吸える。だが、僕は手を離した。


 一度に吸い尽くしては身体への負担が大きい。それに何より――この貴重な「餌場」を、一度きりで失うのは惜しい。


 立ち上がろうとした時だった。


 シーツから伸びた細い指が、僕の袖を弱々しく、けれど確かな力で掴んだ。


「……あ」


 エリス嬢が、僕を見上げていた。


 その瞳からは、先ほどまでの怯えが完全に消えていた。


 代わりに宿っていたのは、熱に浮かされたような、あるいは奇跡を目の当たりにした信徒のような、陶酔の色。


「……身体が、軽いの。暗い霧が、晴れていくみたい」


 彼女は夢見心地で呟き、僕の手を自分の頬に押し当てた。


 今まで彼女に触れた者たちは、その澱の気配に顔をしかめたことだろう。


 だが、僕は違う。


「あなたは……?」


「ただの通りすがりのメイドですよ」


 僕は営業用の微笑を浮かべ、そっとその手を布団に戻した。


 金貨二十枚分の仕事は果たした。


 だが、彼女の視線は執拗に僕を追っていた。


 その瞳の奥に灯った光が、単なる感謝以上の重たい感情を含んでいることに、僕は気づかないふりをして部屋を後にした。


 廊下に出てなお、あの縋るような指先の感触が消えなかった。

実はこれ、病気ではありません。


バルディア家は代々「剣聖」を輩出する武門の家系ですが、その血筋には膨大な魔力を保有する素質があります。本来は「剣気」として放出・消費されるはずのそれが、エリス嬢の場合は体質的に外へ出せない。


加えて、武を尊ぶ家系で「弱い自分」への劣等感や孤独感が魔力と混ざり合い、あのような状態に……。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


楽しんでいただけましたら、評価・ブックマークなどで

応援いただけると励みになります。


次回もよろしくお願いいたします。

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