第5話 もふもふと作業 其の壱
夕飯の支度と命じられ、茉歩は璐羽に引っ張ってもらって建物の外に出た。
平屋かと思えば、普通に二階建ての家屋。しかし、屋根には厳つい造りの巨大な煙突。煙は出ていないが焼け焦げたように黒い。他も見ていたいが、もふもふAIが腕を引っ張るので転げないように付いて行くのに必死だった。
「ろ、璐羽ちゃん! ゆ、ゆっくり出来ない? 転けちゃいそう!?」
『あ、ごめん! でも、早く行こう! 夕闇の陰が出ているから裏の山菜が見えなくなっちゃう!!』
「まだ明るいよ?」
移動して来て、関市に到着したのが正午過ぎ。この集落に通じるバスに乗り換えて、あの滝前に到着したのも十四時前か。今の天候を見ても、端末AIで調べれば日の入りも調べられると思ったが。
そもそも、高性能のAIが目の前にいる事を忘れていた。単純にプログラム言語の返答をする端末ではない。当たり前のように『会話が成り立つ』アンドロイド型のAIは、茉歩を誘導してくれる。
AIで音声ガイダンスを習得したとしても、結局は『チャットbot』に近い質疑応答がほとんど。何百通り以上のプログラム言語をダウンロードさせているだけで、『会話ぽい』が普通なのに。
あの不機嫌な表情の若手プログラマーが造り出したのは、人間の知能に出来るだけ寄せたAI。まだ数台しか国には起用されていないはずが、茉歩の目の前で草の上を跳ねている。
『山の天候は本当に変わりやすいよ! 遮光の具合も十分程度で変わっちゃう。この辺は出来るだけ、シューたちが環境整備しないようにしてるから。少しでも暗くなると、茉歩が怪我しちゃうからダメ!』
それ以外にも、環境の変化をデータとしてダウンロードしているのか、茉歩に教えてくれた。のんきに山登りしていたら、落ちて怪我をするとかは聞いたことはあったが。茉歩の持つにわかな知識よりも、データを常に更新しているこのAIは頼りにすべき。
何度も頷いてから、先を行く璐羽の後ろを付いて行く。転けないように、彼が道を選んでくれているのか、思った以上に歩きやすかった。
「ね、璐羽ちゃん」
目的地に急ぐ事も大事だが、肝心な事を忘れていたので歩きながら質問することにした。
あのイケメン美人もだが、多知獺のことを茉歩はこれっぽっちも知らないのだ。だからこそ、自分から住み込みの家政婦になると言い出したからには、相手を知る必要がある。コミュニケーションが苦手だと言っている場合ではない。
「多知獺さんは、私の……一応上司さんらしいけど。あのリンさんって人は誰なの?」
『琳は、マスターの幼なじみだよ。この村の中ではえらいえらい人の息子さんなんだ』
「えらい人?」
『んー。分かり易い言葉なら、村長の息子さん?』
「え。滞在許可あっさり出せたのって」
『琳が居るからだよ。普段はお医者さんなんだよ? お医者さんの言うことは、よーく聞きましょう?』
「う、うん! なんか的確な診断してたし! お薬出されてもちゃんと飲む!」
処方薬は一応持ってはきたが、そろそろ不安定な心労が来るはずなのに……ここまで璐羽に付いて来ても、何も体に震えは起きなかった。
『大丈夫! ボクがいるから、緩和の刺激はさっきのハグでたっぷり伝えたんだ!』
「は? 緩和?」
『ボクの開発理由はね? マスターの治療も兼ねてなんだよ』
そう言って、彼が立ち止まった先には雑草でない草の広がったところだった。璐羽がそれをひとつ摘み、茉歩の前に持って来てくれる。漢方に似た、濃い草の香りだった。
その香りに誘われたのか、茉歩は聞きたい質問をひとつに絞れた気がした。
「……多知獺さんも。障がいがあるの?」
『だいぶ治ったよ。それまでは過労に紛れていたらしいけど、服薬どころか点滴で長時間投薬とか。僕の毛にはね? 琳とマスターが共同開発した、特殊な緩和剤が含まれているんだ。キミが眠りと勘違いした症状は『昏睡』。琳が追加投薬してくれたから、今こんなにリハビリ出来るんだ』
「……あたしも、酷いの?」
『ハグで眠るように倒れたのは、マスター以外だと茉歩がはじめて。だから! 次は環境と食事で整えて行こう? キミの処遇は琳に任せて!』
ふわふわの手を掴まれるが、薬が含まれているとは思えない。
でも茉歩は、不思議と落ち着く。薬のせいだとしても、この心地よさからやはり離れたいとは思えないからだ。
「……ありがと。で、ここにあるのって山菜!?」
『うん! 僕は食べれないけど、琳の知識データがあるから教えられるよ! 天ぷらも作り方教えるね!』
「よーし! 健康人間になる!」
『おー!』
あの有象無象なビル街に戻って、籠もった生活には戻りたくない。いつまで滞在出来るか分からずとも、今は琳に言い渡されたミッションをこなすのに意気込んだ。