勇気ある若者と愚かな魔物
ある山に、輝かんばかりの純白の毛と赤い瞳を持つ一匹の魔物がいた。四つ足で駆けるその姿は、地上を走る稲光のようだった。
親はいなかった。群には属していなかった。
時折同じ山の中で灰色の毛並みと黒い瞳を持つ四つ足の魔物の群を見かけることがあったが、彼らはこの白い魔物のことを忌々しげに横目で見るだけで仲間に入れようとはしなかった。
ある頃からこの山の麓に人間が住み着き、小さな村を作っていた。その頃には山の中ではすでに敵のいなかった白い魔物には知る由もなかったが、彼らは人同士の争いに敗れて生きる地を追われた人々だった。
長い時を生きて知恵をつけ、人の言葉すらも解するようになっていた白い魔物は、あるとき退屈しのぎにその村を訪れた。人の味がどのようなものであるのか試してみたくなったのだ。
村人は白い巨躯と赤い瞳に恐怖を覚えて逃げ惑ったが、村の中で最も勇気のある青年が魔物の前に立ち塞がった。
「白き魔物よ、何用だ」
震える声で槍を構え、しかしまっすぐに自分を睨むその瞳に、魔物はいままでに感じたことのない感情を覚えていた。
そこで魔物はこう言った。
『毎年、季節の変わる頃に山で捕まえた獣を贄として捧げろ。そうしたら外敵から守ってやろう』
青年はその言葉に戸惑ったような表情を見せたが、しかし、自分一人では判断できない、村長たちに聞いてくると答える。
それを聞いて魔物は頷くと
『季節の変わる頃にまた来る』
そう言いおいて山へと戻っていった。
山へと戻った白い魔物の前を、灰毛の四つ足たちが横目で見ながらその視線から逃れるようにこそこそと走っていく。白い魔物はそれを見て、おそらくは自分と同種であろうはずの彼らよりもあの人間の方を近しく感じていることに、僅かな驚きを感じていた。
それから白い魔物は季節の変わり目になると村へと現れ、村人たちが狩った獣を食べた。その代わりとして、最初に言った通り村の外からやってくる敵から村を守っていった。
白い魔物に守られ、村は少しずつ発展をしていった。
そんなある日、村に軍勢が迫ってきた。
彼らは村人たちをこの地へと追いやった者の子孫だった。
いくら発展したとは言え、村人たちには彼らに抵抗するような武力はない。抵抗して死ぬか、投降してでも生きるべきかと話し合いがされている村に、魔物がやってきた。
『山に逃げろ。安全になれば戻って来い』
魔物は村人にそう告げると、村に迫る軍勢に向けて走り始める。それは村人たちの目には、地上を走る稲光のようにも映った。
しばらくの時が経ち。
山から戻った村人たちが見たのは、一人残らず地に伏す軍勢と、その中心で毛並みを赤に染めて立ち尽くしていた魔物の姿だった。
体中余すことなく傷がつき、もはやその命も消え去る直前であることは一目で見て取れた。
魔物は言う。
『もはや贄は必要ない』
そして魔物はその体を引き摺るようにして、ゆっくりと山へと戻っていった。
山では灰毛たちが、人のために命を捨てた白い魔物を嘲笑っていた。しかし魔物はそんなことは気にも留めない。
寝床に横たわり、最期になるであろう眠りに落ちようとする魔物の頭に浮かんだのは、初めて村に行ったときに自分に槍を向けた、あの勇気ある若者の姿だった。
あの若者は蔑むでもなくまっすぐに自分を見てくれた。
ただそれだけのために命まで捨てた愚かな魔物は、こうして静かに目を閉じた。
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