月夜で待ってるから②
十年前
「旦那さんから衣をお預かりしたあと、」
吉二郎は衣を隠せる場所を探し回って、ようやく村にある小さな祠に決めたという。
しかし、祠の中や下ではない、と言う。
旦那
「さん。”物隠しの術”というのはご存知で?」
侍は首を横に振った。物探しや、人探しはあっても、物を隠すなどとは聞いたことがない。否、
成程
「目眩ましというのがあったな、それの応用か。」
くつくつ
と吉二郎は笑った。侍はどうやら吉二郎にとって”いい生徒”のようだ。察しのいい生徒を教えている時程、気持ちの良いものはない。大昔に戻ったような感覚で、術式を教える。
その、”いい生徒”の栄誉を称え、酒を注ぐ。侍はそれを
くい
とやってから、
吉二郎の杯にも注いでやる。吉二郎はそれを大事そうに啜った。
旦那
「さん。しかしこの術は欠点がありましてな。その…。」
珍しく歯切れが悪い。残りの酒を流し込んでから続けた。
「あと一月程は解けまへん。」
詳細を聞いていると、玄関の方で声がする。賑やかなやり取りが聞こえたかと思うと、あかねが大きな皿を手にやってきた。
また
「どないした。正月でもないのにえらい豪勢じゃのう。」
昼間の
「お礼にって、お弦さんたちが持ってきてくれたんだよ。」
二人がいる縁側には、既にあかねが拵えた料理が
ずら
と並んでいる。それを、どうにか避けて真ん中にその大皿を置く。どう見ても、二人で食べ切れる量ではない。
何
「言ってんの、さすけさん達の分もあるんだから。」
侍の目元が少し緩む。そして、また何もない所へ呼びかけた。
うふふ
以外にも出てきたのは、年若い少女、もとい、さすけだ。手をついて頭を下げた姿で出てきた。
嬉しい
「この様に我々にまで御心を割いて頂き恐悦至極に御座います。」
まあ、あかね様
”さすけ”が顔を上げた途端に”赤く”なった。少しわざとらしいその態度に
む
となる。別にこれ位どうということも、ないはずだ。さらしを外して、足が腿の真ん中辺りまで見えているだけだ。こんな格好の村人なら、そこいらにいくらでもいる。男女関係なく、だ。しかし、あかねも自身の身体の”破壊力”というものを理解していない。色気も何も無くても、”見せるところ”を見せてしまえば男というものは、
ころり
といってしまう。その事を若いあかねは理解していない。
(おやおや…。)
若い女の複雑な心を見抜くまではいかないが、何かを察知したさすけは内心
くすり
笑った。
いえいえ
「失礼致しました。我々は後で頂きます故、お心遣い感謝致しまする。」
ともかくも、主人に知られるまえに話題を元に戻さねばならない。頭を再び下げた時にはまた二・三十人に増え、一緒に頭を下げたかと思うとそのまま消えた。
あ
「そうそう、悪いけどあたし先に寝るね。じいちゃんとお侍さんまだ呑んでるでしょ?」
おう
「呑む〜。けんど、どないしたんじゃい、まだまだ日は沈んどらせんぞ。」
吉二郎の言葉通り、赤々とした太陽は沈みかけてはいるが、まだ海の上である。
じいちゃん
「忘れたの?明日から”七神様の日”だよ。」
ありゃ
「もう、そんな時期かいな。」
そう
「だよ。夜明け前には”潜り”に行くから、…」
「潜る、とは?」
侍が横から聞いた。
ああ
「あたし、海女なんだよ。七神様の日ってのは村の神様のお祭りだよ。明日からその日に採れた物をお供えするから、それ採りに行くんだよ。」
ならば
「私も共に行こう。」
え?
旦那
「さん。よろしゅうお願いします。」
と、二人で勝手に決めてしまった。突っ込みたい気持ちが喉まで出かかっていたが、なんとか飲み込んだあかねだった。
翌日夜明け前ー。
あかねと侍は船上の人となっていた。
ゆらゆら
揺れる水面を
ぼう
と眺めながら侍が操る櫂の音を聞いていた。
ぎぐい ぎぐい
と力強く響く音は頼もしいようでもあり、恐ろしいようでもあった。
まだ夜明けは遠く、どの方角の空も真っ暗闇である。その中で、なんとか沈むまいと頑張っている月だけが、辛うじて辺りを照らしてくれていた。薄暗い月明かりを頼りにしているとは思えない速さで船が進み、漁場まではもう少しという所まで来た。
あちらこちらから岩が突き出ている。ここからは、慎重に進まなくてはならない為、どうしても速度を落とす必要があるが、
するする
と、経験豊富な船乗りでさえ嫌がるような場所を、順調に進んで行く。そのうち、目指していた漁場へと着く。
まだ周囲が暗いため、ゆっくりと用意する時間はありそうだ。
ごそごそ
やっていると、侍が声をかけた。
この辺り
「で潜るのか?」
うん?
「そうだよ。もっと明るくなってきたら、もう少し沖に出て採るよ。」
……
侍の沈黙に、あかねは顔を上げた。
ん?
「どうしたの?」
険しい表情で海を見つめている。何か妙な物でも見えるのだろうか?
薄暗くて遠くまでは見渡せないが、海はいたって穏やかで風もない。あかねにとっては、何時もの海と変わらなかった。が、しかし吉二郎の事もある。吉二郎が反対せずに、わざわざ村の恩人にこんな事をさせるとは思えない。
昔からそうだった。感が鋭く、嵐が来ることも、津波が来ることも、山火事も、日照りになる事でさえ言い当ててみせた。そのおかげで、多くの村人が助かってきたのも目の当たりにしてきた。はっきりと、
こうなる
とは言わなかったが、
何か起こるかもしれない
と思ったのだろう。”その感”にまた頼るしかない。
そんな事を考えていると、いつの間にか隣に侍が座っている。大きな身体のくせに、船を揺らさない様に移動できるなんて一体どういう工夫があるのか。
少し
「触れて良いか?」
と、手を差し出している。乗せろということなのだろうか?と、
そろ
手を置くと、侍はもう一方の手をさらに上に置きあかねの手を包む。何をするのだろうと思っていると、目を閉じまた何やら
ふつふつ
言っている。
(…?)
何だか包まれた手が暖かい。いや、両の手に挟まれているのだから温かいのは当たり前なのだが、それだけでは済まない熱量だ。
(あったかいのは、ありがたいな。)
と思ったのも束の間、手と手の間から光が漏れ始め幾つもの色が放たれる。それに、よく見るとあかね自身の身体も色が浮かんでは消えていく。
それらが収まると侍はゆっくりと目を開け、あかねの手を離した。
目を開けた一瞬、侍の瞳が淡く光って見えた。
守り
「の呪いはこのくらいで、いいだろう。」
(ああ、なんだ、おまじないかあ。)
「ありがとう。」
そんな事もじいちゃんはしてたなあ、と思いながら空を見る。東の方が少し明るくなってきた。時間だ。
よし
「行くね。」
殆ど羽織る様にしていた着物を脱ぐ。晒しと下帯のみになり、道具を腰の縄に差しゆっくり海に入る。
あかねが潜り始めてからしばらくすると、茜色に染まった空がようやく日に顔を出させ、鳥や蝉達も活動をしだし辺りは賑わしくなる。
少しずつ移動しながら栄螺や鮑を採っていく。もう岩が突き出た辺りをとっくに外れている。かなり深い場所らしく、一度潜ると二分近く上がってこない。代わりに獲物も大きさを増している。
何十回目になるだろうか、呼吸を慎重に整え潜ったきり、中々上がってこない。
……
もうすぐ、三分になる。
遅すぎる
侍は水面に手をかざす。波打っていた水達は動きを止め、まるで水槽でも覗いているかのように海底まで露わになる。船を動かしつつあかねを探す。
!!
その時、あかねにかけていた呪いの一つに反応があった。瞬時に侍は船を蹴って飛び上がる。大地を蹴った訳ではないにも関わらず、自身の身の丈の何倍もの高さまで到達し、まるでそこに地面でもあるかのように静止する。そして、眼下に広がる海に手をまたかざした。
すると今度は、見渡す限りの海から何かが上がって来る。岩や泳ぐ魚達、海底の様子だ。
呪いの反応があった方向だけは分かっているが、あかねの姿が見えない。素早く視線を走らせた先に、人の手が見えそこへ向かって海へと飛び込んだー。
侍が見つけた”手”はあかねのものなのだろうか?
次々に不思議な事をしだした侍は、一体何者なのか...。
次回更新日は10月6日予定です。