二人の出会い③
前に海を抱き、後ろに山脈を背負って、村は小さいながらも他の村に比べて豊かだった。
穏やかにうねる海原は
きらきら
白く輝き、日常の忙しさを忘れさせてくれる。が、砂浜で誰かが作ったであろう砂山が、満ちてきた潮で流されかける頃、突如その姿を変える。激しい雨と共に、全て壊さんとばかりに荒れ狂い襲ってくる。
そして山は、高さはないが隣の山との間に深い谷を持ち、おまけに化け物が出ることで有名で、実際に被害も何件か出ていた。この地の領主の”使い”でさえ、滅多に来ない。
昔、不思議に思って村の大人連中に聞いたことがある。
どうして、村には誰も来ないの
どうして、子供だけで山のある堺から向こうへ行ってはならないの
と。大人達は
大人になったら教える
いつか、分かる日が来る
今はまだ、教えられない
としか答えなかった。
何故、大人達がそう言ったのかは今だに解らない。解らないが、
「今は、村を、皆を守りたい。」
ここで育った若者は、口を揃えてそう言う。
もちろん、あかねもそう考えていた。むしろその気持ちは誰よりも強いと、自身でも思っている。
何故か、後ろをついてきている侍が、その問に全て答えてくれそうな、そんな気がする。
龍が侍と話している時に、
ふ
と、村の大人達に昔した質問を侍にしてみたくなった。そして、それに
すらすら
と答えてくれる侍の姿まで、容易に想像できたのだから。
そう考えているうちに、家の門まで来てしまった。
ここ
「あたしん家。」
と、くぐった門はこの村の家にしては大きい。どう見ても、武家屋敷。玄関から廊下を渡って中庭を通り、一番奥の部屋の戸を開ける。小さな床の間に刀掛けと香炉が
ちょん
と置いてある。
わざわざ奥の部屋まで招き入れたのは、あかねが何も考えない無防備な娘だからな訳では無い。龍に言い含められているからなのだ。
ええか
「あのお方はこの村の大恩人じゃ。少しも失礼があってはいかんぞ。お前と話がしたいと言われるから行って頂くが、くれぐれも使いの間や次の間にお通しするなよ!一番ええ部屋で話をせえよ。」
と。
侍は床の間に背を向け座った。が、あかねは刀を刀掛けには戻さず脇に置いたままである。失礼な態度だとは分かっている。分かってはいるが山賊達の親玉を斬った、あの腕を見せられて
恐ろしがるな
という方が、無理がある。頭では急に斬りつけられたりはしないだろうと、解ってはいても身体はそうはいかなかった。
刀を、離そうとしないのだ。すぐ横にあるからといって、安全ではないことは充分にわかっている。
(…でも、こわい。)
あの
「まず、村を代表してお礼をいいます。皆を、村を、助けて頂いてありがとうございます。あの山賊達は最近村にやってきて、やりたい放題だったんで困っていたんです。」
(こういう時は、口に任せる!)
元々、よく考えて行動する様な質ではない。
「それから、よく聞きもせずいきなり斬りかかって、ごめんなさい!」
がば
と頭をさげた。
少し間があって、侍が
す
と、身を寄せた。直ぐには声がかからず、
(あれ?)
と思っていると、また
す
と近付いてきた。
(…どうしたんだろう?)
赦しがないと、頭を上げられない。
どうすれば
そう思っているとまた、
す
と近付いた。もう、頭を下げているあかねにも侍の膝辺りの着物が見える。
それから、
するり
手が伸びてきて、頬の辺りから顎へきたかと思うと
ぱ
と顔を上げさせられた。
………
ついさっきまで顔の半ばまで前髪に覆われていた侍の顔が露になっている。先程と同じく、美しい。
ぐい
と更に引き寄せられ息が掛かりそうな、いや、あと少しで唇が触れ合ってしまいそうな近さで見つめられた。
その紅い瞳は、誘う様に僅かに揺らめきその気が無くても堕ちてしまいそうだ。
…平気か?
え、と
「な、何が?」
怒られるか、赦してもらえるか、どちらかの言葉は予想していたが、こんな突拍子もない質問をされるとは思っていなかった。
お前は
「私の顔を見、眼を見ても何ともないか?」
平気か、とは先程の妙な感覚のことだろうか。
いや
「変な感じはしたけど、今は…、」
(…すっごい、話しにくい!)
話している間も、侍は顔を上げさせたまま、見つめてくる。まともに話せる訳が無い。親しい仲の男女でさえ、閨以外でこんな風に話しをすることは無いだろう。
そもそも、美しい者にこんなにも迫られれば、誰だって
どきどき
して、上手く話せないだろう。
(ええい、もう!)
あかねは侍の顔を
わし
と掴み少しでも遠ざけようとした。だが思いのほか離れない。それでもほんの少し遠ざかったのだからよしとしよう。
あのね
「近いから。人との距離、間違ってるからね。」
こーんなに
と、また侍の顔を近づけ
「近くで、話なんてできないからね!」
わかった?
侍は目を少し見開いたかと思うと、安堵したように息を吐き、再びあかねを抱き寄せた。
(…絶対分かってないよね、これ。)
しかし、何故か突き放せない。小さい子供が母親に縋っているような、そんな感覚に囚われる。
(あ…そっか。不安だったのか。)
侍の中での不安要素が、「今は何ともない」と応えた事で解消されたのだろう。
あかねの中でそれが
すとん
と腑に落ちた。落ちて来たからには、素直に受け入れてしまうのが癖でこの性分ばかりは、どうにも変えられない。
やはり
「この村の中でもお前達は特別だ。」
ぽそり
侍が呟いた。それが聞こえて、あかねは侍の頭をまるで子供をあやす様に撫でた。
侍は
きゅ
と抱き締める腕に力を入れた。傾く日をよそに、一層蝉の声が響き大合唱となっていく。
ようやく出会いを果たした二人。
これからは、転がるように運命が二人を飲み込んでいく。