その手で触れて③
おい
「何処に触れようとしている。」
侍の腹の底から怒りに満ちた声に、吉二郎と龍は震え上がった。侍と幼い頃に出会ってから今まで、こんなにも機嫌が悪かったことは無い。
機嫌が悪いどころでは無い。こめかみに青筋?まで見えるのだから。
いやいや、
理由は知れている。
羽衣があかねの豊満な胸に触れようとしたからだ無理もない。が、晒を巻いている上に小袖まで着ているのだから触れたからといってどうという事も無いはずなのだが。
びくびく
と羽衣はあかねの影に隠れ、まるで怯える子供のようだ。
こらっ!
「怯えてるだろ。」
だめ!
とまるで母親の様に羽衣を庇う。
く
「庇うな。………、…はぁ。」
頭を抱えるようにうなだれる侍の肩をあかねはなだめるように優しく叩く。
怖がってる
「だろ。びっくりさせちゃ、だめなんだよ。」
頷くように、羽衣はあかねに張り付いた。
ぎろ
と侍は羽衣に鋭い視線を向ける。
もう
「また。」
あかねは仕方なく侍の顔を両の手で掴んで引き寄せる。
あんた
「強いんだろ。強い奴は弱い奴を守ってやらなきゃ駄目だろ?」
あかねは侍を
じっ
と見据えた。
勿論あかねは自分が何をされようとしていたのかを知らない。しかし、例えされていたとしても、今と同じ事を言ったに違いない。人間の、しかも成人男性にされたのなら話は別だが。
侍にその事がひしひし伝わってくる。魂が触れ合った者同士だからという訳では無い。あかねの場合は分かりやすく顔に出ているのだから。
侍は小さくため息をつく。何を言ってもあかねは引かないだろう。
分かった
「が、あかね、身体から離せ。その羽衣は浮かび上がる事も出来るのだ。高い所を怖がるお前を恐怖させる訳にいかん。」
侍の言葉を聞いてあかねが羽衣を
じ
と見つめる。確かに空に行かれたら最後、正気でいられる自信はない。
羽衣は知らん顔をするようにあかねが顔を近づけると
つい
と離れたが、今度はあかねが羽衣を掴む。
うん?
「そんな事するのか?」
ぷるぷる
と否定するように羽衣は左右に揺れる。
「しない?」
うんうん
上下に揺れている。
「ほんとに、ほんとだな?」
うんうん
「飛びたい時は、あたしから離れてよ。」
うんうん
「びっくりしたときとか、危険が迫ってても?」
少しずるい聞き方だ。
う…ん?うん?
羽衣はどう答えていいのか分からずに、首を捻るように体を左右に曲げている。
とにかく
「離れろ。」
べり
と侍は剥がすように羽衣を引き離そうとする。
が、ある所から羽衣が巻き付いているわけでもないのにも関わらず、取れない。まるで、あかねの肌に貼り付けたか、縫い付けたかのように侍が力を入れて引っ張ると、あかねの肌も一緒に引っ張られて痛がった。
い 痛ってー
す、
「すまん。しかし、何故離れん?貴様、羽衣の分際で我妻の身体を乗っ取るつもりではないだろうな?」
侍は羽衣をまるで胸ぐらを締め上げる様に掴む。羽衣は恐ろしいのか、全身を震わせて
ぷるぷるぷる
と左右に揺れる。
違う
と言いたいのだろう。あかねとくっついている所を指差すようにしたかと思うと、
ぐい ぐい
と自ら動き、取れない事を主張しているようだ。
取れない
「のは、こいつの所為じゃないみたいだよ。」
…
「そうらしいな。」
まさか
「羽衣に取り憑いている奴の仕業では?!」
恐怖状態から解放されて、漸く口が利けるようになった龍が言う。
…
「…ねえ、それってさっきの人の事?」
?!
「あかね、やはり何か見えていたのか?」
戸を開けた時に、羽衣越しに知らない男の姿が見えたのだと言う。部屋に入って来た時のあかねの目線が可怪しかったのはこのためだ。
今も
「見えるか?」
侍に言われるまま、もう一度見てみる。
ごめんね、ちょっと見せてね。
と羽衣を広げて透かし見る。
うーん
羽衣のうっすらと透けた体を注意深く見ていく。羽衣も何故か反対側の体を持ち上げている。まるで自分自身を点検しているかのようだ。
…
「あっ居た。ここ!」
羽衣の体を半分もいかないうちに、さっき見た男が見えた。男は、あかねと変わらない位の背丈で細いが、鍛えられた身体つきに不釣り合いな優しい顔が乗っている。侍と龍達だけでなく、羽衣自身にも見えないらしい。
その男は、あかねに頭下げる。侍や龍達にも頭を下げているところを見ると、向こうは此方が見えているようだ。
何か
「挨拶してるみたいだけど、聞こえないなあ。」
あかね
「少し、眼と耳を借りるぞ。」
?
思案顔でいた侍だったが、また何やら
ふつふつ
言ってから、あかねと自分の眼と耳に交互に触れていく。侍が最後に自身の眼に触れると、瞳の色が滲むように黒く変わる。その眼で、羽衣を見る。
お前は
「”弓彦”。」
あかねに見えていたのは侍が知る人物だったようだ。
弓彦と呼ばれたその男は、何か話しながら身振り手振りで此方に話しかけようとしている。だが、やはりあかねの言うように声までは聞こえない。
「弓彦って?」
この
「羽衣の持ち主の夫だった者だ。」
だった?
侍は深く頷く。少しの沈黙があって、侍はあかねの方に向き直った。
じっ
と見つめてくる侍を少し不思議に思った。もしかしたら、聞いてはいけない事を聞いてしまったかと思い内心焦っていると、横で龍が吉二郎と
こそこそ
話している。真横にいるあかねと侍にも内容は良く聞き取れず、時々
か
とか
く
とか聞こえる。声にならない声で話しているようだ。その代わりに、表情が顔芸でもしているかの様に
くるくる
変わる。
何やて?
「あかねちゃんがかいな?お館様の?」
お前
「今頃気ぃついたんか。鈍いやっちゃのーぅ。」
いや
「さっきは怖ーて、そこまで気ぃ回っとらんわ」
龍が大きな声で驚いたのを皮切りに、2人共声を抑えられなくなったのか聞こえるように会話し始めた。2人の会話はどうも侍とあかねの間柄についての事のようだ。
2人はそこまで会話して漸く侍の視線に気付いた。
おわ
「こ、これはあまりの事につい声が出てしまい…。」
くっついて怯える。侍は肩で息を吐く。長い前髪をかき上げつつ、
ああ
「気にするな。それより、吉二郎後で話がある。あかね、弓彦については明日教えてやる。」
侍は、2人を台所へと半ば押すように連れて行った。




