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7 僕が店長になった理由(わけ)

松村まつむら 優吏ゆうり 21歳の時】


今から4年前、僕が21歳の時、働き盛りだった父が突然亡くなった。あまりに急な出来事だった。


僕はその頃モデルの仕事をしていたけれど、正直そこまで人気は無く、歩合制の給与では、自分の小遣い程度の稼ぎしかなかった。


専業主婦の母と、高校生の妹と、僕… まともに稼げる者が一人もいない…。父の保険金や預金を遺産分与したけど、これから先は長いから、全員それには手を付けるのは止めようということになった。


「優吏、母さん、パートで働きに出ようと思うの」

何を言ってるの。母さんは大学卒業してすぐに父さんと結婚して、ずっと専業主婦だったじゃない。主婦業以外はしたことが無いって言っていたでしょ?


「兄さん、私大学は行かないで、高校卒業したら働く!」

何をいってるの。行きたい大学があるって、あれほど受験勉強をしてきたじゃない。僕が高卒だから、代わりにお前が大学行くって約束してくれたでしょ?


でも二人にそんなことは言えなかった。

僕たちのこれからの生活の為に、現実的な提案をしてくれている、母と妹…。では僕は? もし僕がもっと安定した職に就いていたら、母や妹を養っていけたんだろうか? モデルなんて水商売ではなくて…。



亡くなった父は、ジムを経営していて、いつも客に囲まれていた。父は若い頃から体を鍛えていて、彼自身がジムの広告塔のような人だった。父は身体を動かすこととトレーニングが大好きで、ジムの経営は父の趣味の延長上にあったように思う。いつも客と楽しそうに専門の話に花を咲かせているのを見ていた。


僕らの住んでいる町は有名大学のあるところで、土日は仕事休みのサラリーマン、平日は運動部の学生で、どの日も比較的客足が途絶えず、父のジムは繁盛をしていた。


そんな地の利の良さを知ってか、ある企業から、ジムの経営ごと買い上げるというオファーがあった。

僕は父が大好きだったから、父の愛したジムを手放すことには反対だった。ジムまで手放したら、父の全てが消えてなくなってしまうように思えたから。


そこで僕はモデルを休業し、父の仕事を引き継いでジムを続けることに決めた。



父のように上手く稼げるか分からないけど、でも既に沢山の客はいて、毎月の利用料が引き落としで入金されるから、当面は僕ら三人が食うに困らないはず。妹だって、大学を諦める必要はないはず…だった。

でも、そんな僕の考えは甘かった。


ジムの客は父がトレーニングを一人一人丁寧に見ていたことから、父のファンのような人たちで、彼の人柄と信用で通ってくれていた人達ばかりだった。


僕はジムでトレーニングしたことはほとんど無いし、マシンの使い方だって分からない。父のように教えられる技能は何も無い…。


その上僕がゲイで男好きという噂が立った。モデル時代にチャラチャラした派手な格好で、男の友達と遊びまくっていたから、そう言われても仕方がない。実際僕はバイセクシャルだから反論のしようもない。


そうなるともう、ジムから客が離れていくのを止めることは出来なかった。


次々と人が去り、残ってくれたのは、古くからのお馴染みさんだけ。マシンの使い方にも熟知し、幼い頃からの僕を知っている、ごく僅かな人達だけしか残らなかった…


そして1年も経たない内に、生活費を稼ぐどころか、店舗の家賃や維持費さえ支払うのが厳しくなってきた…。


以前ジムの経営を買い上げると言ってくれた企業に連絡したけれど、既に他で満たされていると断られた…。でも、それはただの言い訳で、かつて客で賑わっていたジムの価値は、今や客がいなくなり、その価値を失っているんだろうと思った。


意地を張らずに、あの時売っていれば良かったのかもしれない。後悔先に立たずとは、まさにこういうことを言うんだな…と感じた。


僕はモデル時代に買ったり貰ったりした服や靴、時計などを全部売り払った。でも、それでも得たお金は焼け石に水程度だった。


銀行に融資を頼みに行っても、経営状況を見られて、将来の売上見込みが無ければ、1円だって貸してはくれない。僕らが住んでいるマンションを担保にするなら…と言われたけれど、そんな博打は打てない。


そうなると、残された方法は一つ、手を付けないと決めていた父の遺産を切り崩していくしかない。


具体的な解決策はなく、どうしようかと途方に暮れていたが、お客がいる限りは店を続けないといけない。毎日ジムに行っては掃除し、お客を迎え、ジム内のマシンを磨いて…という日々を送っていた。



ある日、壊れたシャワーを修理するために奮闘したけど、僕には修理の知識がなく、どうしようもなくなっていた。何一つ上手くいかず、心の中で「父さん、助けて」と呟いた。


その時、エントランスから「こんにちは」と、低くハスキーな声が聞こえてきた。


「はい?」と言って、声のする方に向かうと、背が高く体格の良い男性が立っていた。


その男性を見て、僕は一瞬、父が戻ってきてくれたのかと錯覚した。


父は体が大きく、身長が190cmもあり、この男性も父とほぼ同じ大きさだった。肩幅も広く鍛えられた体で、父のシルエットにそっくりだった。懐かしい父の姿を思い出し、僕は目頭が熱くなった…


「ジム、見学させてもらえますか?」

最近は珍しい新規の客。こんなチャンスは滅多にないから丁寧に対応しないと。


「すみません、今シャワー修理をしていたところで…」

「少々お待ちいただければ、すぐにご案内します。靴を脱いでそこの椅子に座っててください」


どうか帰らないで、お願いだから少し待っていて…と心で祈る。


すると、その男性から予期せぬ提案がされた。


「シャワーの修理、手伝いましょうか?オレ、配管工のバイトをやっていたことがあるんで、もしかしたら直せるかもしれません」

「上がって見せてもらっていいですか?」


客にそんなことを頼むわけにはいかなかったけれど、僕にはシャワーは直せない。

僕は思い切って修理をお願いすることにした。


「ありがとうございます!実は上手く直せなくて困っていたんです、お言葉に甘えて助けていただけますか?」


正直に打ち明けると、その男性はフッと優しく笑い、「本当にお役に立てるか分かりませんけど…やるだけやってみます」と言いながら、僕の後をついてきてくれた。



シャワールームに入ると、その男性は「ほぅ!」っと小さく感嘆の声を上げた。


このジムの売りでもあるシャワールーム。風呂のない安アパートに住んでいる学生が、風呂屋替わりに使えるようにとの想いを込めて作った場所。父の想いが詰まっている特別な場所だ。


その男性は、問題のシャワーのヘッドを見るや否や、パッキンの老朽化と根本のゆるみが原因だと言った。確か予備のパッキンがあったはず…倉庫から新しいパッキンを持ってきて渡すと、彼は手際よく修理をしてくれた。


「ありがとうございます!」と、深々と頭を下げて礼を言う。

「いえ、オレ高いところの作業や水回りは得意なんで」と彼は笑顔で答えてくれた。


「ところで、ジムの中、見せてもらっていいですか?」

そうだ、ジムの見学に来てくれたんだ!気に入ってくれるといいんだけど…


彼は、ジムのマシンを一つずつ見ながら「良いマシンが揃ってるな」と独り言のように呟いた。父が拘って揃えたマシン。見る目のある人には分かるんだなと思った。


「それに手入れもちゃんとしている…」

ああ、それは僕の仕事だ。僕はマシンの使い方もトレーニングも知らないから、せめて掃除と手入れだけは徹底しようと決めて、毎日磨いている。


「決めました。オレここに通います。申込書ってありますか?」

やったー!僕がジムを引き継いで初めての新規のお客さん!


それが、イチと僕との最初の出会いだった。



あの出会いから3年、イチはこのジムにはなくてはならない存在だ。イチ目当てのお客さんで、ジムの経営は大きく上向きになり、妹は無事に大学に進学することができた。


イチは、天国の父さんが、僕らを助けるために遣わしてくれた、救世主なのではないかと思っている。そしてイチの姿に父さんの面影を見つけると、懐かしくて幸せな気持ちになるんだ。

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