23 翌日の店長とイチ
【店長】
何年ぶりだろう、こんなに幸せな気持ちで目覚めたのは!久しぶりに気持ちの良い朝を迎えた。
僕は今までずっと一人でやってきた。モデルもジムも、今の出張トレーナーも。
だけど、これからはイチと一緒にできるんだね。こんなに嬉しいことはない。
僕が父のジムを潰さずに済んだのは、全部イチのお陰。
もしあの時イチがジムに入ってくれなかったら、ジムを閉じていて、父の愛したジムを潰した自分を、僕は許せなかっただろう。イチはジムの存続だけでなく、僕自身も救ってくれたんだ。
だから僕は、イチにどうしても恩返しがしたかった。
累が考えていたことは、ほとんど僕と同じだったのに、僕の提案ではイチにYESを言って貰えなかった。
思い返すと、僕はずっとイチにお金の話ばかりしていたように思う。慣れないジムの経営でお金に苦労していたから、お金が僕にとっての最大の価値基準だったんだ。
でも累は違った。
お金のことは、最初に簡単に株式の割り方を説明しただけで、あとは終始、累の思い描く夢を語ってくれた。
「師匠のメソッドは、人の悩みを解決することができる、特別なものなんです。それを知らずに困っている人達に、届けてあげましょう!そして皆を幸せにしてあげましょう!」
累が語るその未来の夢が、僕も頭に描くことができた。沢山の人たちが、イチのメソッドで救われて喜んで、幸せに笑っている姿を…。
そうだね、それはイチのメソッドの最高に素敵な活用方法だね。
「それにおれ、親父みたいに起業したいけど、売る商品を持っていないんです。師匠のメソッドを、おれに売らせてください!おれを幸せにしてください!おれもお客も、みんなを幸せにしてください!」
あはは、累、最後はイチへのプロポーズみたいだったよ!
・・・でも、そういうことなんだろうね。会社を興して一緒に未来を歩むということは、結婚するのと同じ。相手への信頼と自分の覚悟がないとできないから。
そしてイチは累の話を聞いた後、これ以上ない程の穏やかで優しい笑みを浮かべ、でも力強くこう言ったんだ。
「うん、やろう!オレにやらせて欲しい!」
良かった!イチもきっと同じ夢を描けたんだね。
僕は昨夜のことを思い出しながら、いつの間にか涙ぐんでいた。
思えば僕は、イチのその言葉をずっと待っていたんだ。
◇◇◇
【イリイチ】
オレはかつて夢を見ていた。
リングの上で、誇らしくチャンピオンベルトを掲げている自分の姿。スポットライトに照らされるオレ。会場を埋め尽くした観客達の大きな歓声に包まれていた。
そのことを考えると、恍惚とするほどの多幸感が湧き上がった。
しかし、事件を起こして事務所を追い出されてから、オレはもうその夢を見られないことに打ちのめされ、格闘にもスキャンダルにも、全てに疲れ果ててしまった。
学歴も無くまともな職にも付けず、独りでただ生きるだけの生活。
そんなオレを救ってくれたのは、このジムだった。周りの皆から必要とされ、自分の居場所を見つけられたからだ。
心穏やかに毎日を過ごせるこの生活が心地よく、オレはここから抜け出したくなかった。
店長がオレのことを想ってビジネスを提案してくれたことは分かっていた。でも、目立つことで誰かに叩かれ、周りの人達に迷惑をかけるんじゃないか…そんな心配から一歩も動けずにいた。
累の話を聞いて、改めて気付かされた。
オレはぬるま湯の生活から抜け出したくないだけで、そこから先の将来なんて何も考えていなかった。他人に迷惑かけないためと言い訳しながら、ただの臆病だっただけなのかもしれない。
オレはまた夢を見ていいんだな?
ずっと封印してきた想いが溢れ出す。
爺ちゃんから受け継いだ技術が世の中に認められることを。オレは格闘家のチャンピオンになって、爺ちゃんの技術を世の中に知らしめたかったんだ。
でも今度は独りじゃない。
ユーリと累がいる。そしてお隣君も仲間になってくれるだろう。きっとジムの客達も応援してくれる。
仲間と一緒に成功する自分達の未来を考えると、胸の奥から熱い物がこみ上げてくる。
累は言った。起業の最高のゴールは、株式市場へ上場することだと。オレ達が起業するなら、そこを目指そうと。
でも、その成功確率は極めて低く、0.1%以下らしい。
それを聞いてオレは鳥肌が立つほど興奮した。0.1%の世界で勝利したい!
そして、成功して皆で笑い合い乾杯している姿を思い描くと、オレは再び恍惚とするほどの多幸感に包まれた。




