21 累の過去:イチとの出会い
ジムは古くからのお客さんで賑わっていて、いつも混んでいた。
カリスマ・トレーナーという人は、ジムのスタッフではなく、自分がトレーニングに来たついでに、他の客も見ているだけだった。
つまり、そのトレーナーを予約できるわけではなく、偶然に出会えればラッキーということだ。
おれは学校が終わると、車で往復2時間かかるそのジムに毎日通った。
そして、ようやく5日目で、そのカリスマ・トレーナーに会うことができた。彼は背が高く、大柄で素晴らしい筋肉を持ち、皆から「イチさん」と呼ばれていた。
しかし、出会えたものの、当然その人は人気者で、彼のトレーニングを受けたい人が常に周りを取り囲んでいた。
大人の常連さんが多く、新参者の子供のおれなんか、到底声をかけることができなかった。
そこでおれは、一計を案じた。題して「おバカになる作戦」だ。
礼儀正しく大人しくしていたら、あの取り巻きの大人たちには勝てない。だからおれは、バカになりきって、その人に近づいた。
「ねーねー、オレにも教えてくださいヨー!」
羞恥心をかなぐり捨て、なりふり構わず声をかけてみた。
その人は驚いていたけど、断れない性格みたいで、「いいよ。次見てあげるから、少し待ってて」と言われた。
おれは「やったー」と心の中でガッツポーズをした。
やがてその人が来て、「ちょっと触らせてね」と言って、おれの体を触り、「アスリート?鍛えられていて、キレイな筋肉だね」と褒めてくれた。
でもすぐに、おれの体の異変に気付いた。
例の骨折した箇所を触って「ここの筋肉だけ硬いね。筋膜が癒着しているみたいだ」と言う。おれの体の異変に触診だけで気付いた!?すごい、本物だ!
以前骨折したことを伝えると、部屋の隅にあるベッドに連れていって、ストレッチを施してくれた。そして筋膜や筋肉をほぐしてから、アプローチするトレーニングを教えてくれた。
彼の説明は分かりやすく、自宅でできるストレッチやトレーニングの方法まで教えてくれた。時間は僅かだったけど、今まで受けてきたどの治療よりも、おれには一番効果があった。
「おれが元の体に戻るには、この人が必要だ!」
しかし、彼はいつ来るか分からない。車で往復2時間もかけて行って会えないと流石に辛い。なので、会えた時には確実にみてほしい!
因みにジムの暗黙の了解で、彼のスケジュールを聞くことはご法度らしい。彼も誰にも教えないらしい。それはそうだろう。皆そこに集中するに決まっているから。
そこでおれは、おバカに加え、「鉄面皮のずうずうしさ」も加えてみた。彼に出会えた時、その機会を最大限活かすため、「おれのこと先にみてくださいヨー!」と我儘を言ってみる。
10代の子供はほとんどいないせいか、大人の客は渋い顔しつつも、仕方ないなーという感じで譲ってくれた。
更に、彼がおれの元を去ろうとする時「えー?もう少しやってくださいヨー!」と我儘を言うと、彼も仕方ないなーという感じで時間を延長してくれた。
これは使える!
まわりの大人は皆おれのことを煙たがっており、彼にも好かれてないことは分かっている。十分に分かっている。
そこで、ある程度の顔見知りレベルになったところで「師匠!」と呼んでみた。あれ?意外やまんざらでもない様子。
「師匠のトレーニングすごく効くので、おれ弟子にしてくださいヨー!」と言って、勝手に師匠と弟子という関係性にもっていった。
遂におれは、遠くからでも「師匠!」の一声で、彼を振り向かせるスキルを手に入れた!
あとは、車で往復2時間かけて通っていても、「偶然にしか会えない」という、確実性に欠けるこの状況をどうするか…。
そこで親父に強請って、ジムの近所にマンションの部屋を買ってもらい、学校が長期休みの間、こまめに通えるようにした。
かくして、おれは、師匠直々のゴットハンドとトレーニングのお陰で、完全に元の体に戻ることができた!人にどう思われようが、おれにとっては、目的を達成する方が大事なことだ。
ところが先日、とんでもないライバルが現れた!
ジムの客の間で噂になった。師匠が若い男子をジムに連れてきたらしいと。そして付きっきりで、彼の面倒を見ていたと!その噂は事実だろうか?
はたして、おれはその噂の男にあうことができた。が、師匠も一緒で、師匠はそいつを優先していた!噂は本当だった…。
おれの我儘が、彼の前では全く効かない…これはヤバい…。
そいつには「二番弟子」という名前を付けて、おれより格下であることを印象付けたが、どうも彼は天然みたいで、おれの嫌味は効かないようだ。
さて、これからどうするかな…。
師匠のような逸材を逃さないための、新しい算段を練らないと。




