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14 イリイチの過去:祖父への懺悔

その後しばらくの間、オレは抜け殻のようだった。朝起きても何をするべきか分からない日々が続いた。


目立つ外見のオレは、夜の工事現場や人目に付かない仕事を探して転々としていた。

しかし「人の噂も75日」とはよく言ったもので、オレの話題はすぐに廃れ、2か月もすれば忘れ去られたようだった。


そこでオレはあまり人目を避けずに、もう少し割の良い仕事を探し、深夜のファミレスで働いた。そして幾らか金が貯まった頃、格安航空券を手に入れてロシアに飛んだ。


以前は爺ちゃんの家に遊びに来るのがあれ程楽しみだったのに…今は心が重く憂鬱だった。


空港からまっすぐ爺ちゃんの墓に向かうと、墓には新しい花が飾られていて、墓石もきれいに掃除されていた。最近誰かが来てくれたのだろう。


爺ちゃんの好きだったウォッカのボトルを墓の前に置き、その場に座り込んだ。そして泣きながら謝った。


「爺ちゃん、ゴメン。オレ達の夢を壊してゴメン…」


泣きながら謝り続けた。ダメなオレを叱って欲しかった。



思えば、オレはあの事件からまともに泣いたことは無かった。

爺ちゃんの墓の前で、堰を切ったように閉じ込めていた感情が噴き出していた。


泣き崩れていると、後ろから誰かが近づいてきた。でもオレは顔を上げられなかった。


オレの背中に温かい手が添えられた。

「ごめんなさい、イリイチ…」マリアの声だった。


彼女の声にようやく顔を上げた。


マリアは涙を流しながら、オレを抱きしめた。

「全部私のせい!あの時一人で行かなければ良かった…初めての店だったのに…」


オレは彼女をゆっくりと抱きしめ返した。

「違うよ、マリア、キミのせいじゃない。オレがバカだっただけだ…」

マリア、ごめん。キミまで巻き込んで、こんなに悲しませていたなんて…。


オレの嗚咽にむせた声に、マリアは驚いた顔でオレを見つめた。

そしてオレを宥めるように「そんなに自分を責めないで、イリイチ…」と囁いた。


「もう止めましょう、お互い自分を責めるのは…」

マリアは優しくオレを見つめ、親指でそっとオレの涙をぬぐってくれた。

「泣かないで、イリイチ…私ももう泣かない…」


彼女の言葉が少しずつオレの心に染み入り、ふっと力が抜けた。マリアはオレの手を握り、墓を後にしようとした。


「でも、オレ、爺ちゃんに申し訳が無い。せっかく爺ちゃんからもらった夢も何もかも、全部壊してしまったから…」


マリアは優しく笑った。

「イリイチが祖父の元で強くなったこと、それだけで祖父はきっと嬉しかったはずよ」


そして、そっと手のひらでオレの頬を包み込み、こう言った。

「笑って、イリイチ。祖父のために、あなたのために」


その時、爺ちゃんの言葉が浮かんできた。爺ちゃんはいつもこう言ってオレを励ましてくれた。「イリイチ、お前が進む格闘家の道は、決して容易ではない。でも苦しい時こそ、笑え!笑って乗り切れ、イリイチ!そうすれば必ず運命を切り開ける!」


彼女の言葉が、まるで爺ちゃんからの許しのように聞こえた。オレはもう何も言わずに、ただ黙ってうなずいた。


◇◇◇


その夜、マリアに連れられ、オレ達はあるバーに入った。

ロシアに来ていた頃は未成年だったから、バーに行くのは初めてだった。


マリアによれば、ここは爺ちゃんの馴染みの店だという。素朴な佇まいで、一歩足を踏み入れると温もりが感じられるような店だった。


店の中に入ると、温かい歓迎を受けた。

「イリイチ、お帰り!」と声を上げてオレを歓迎してくれる男性。初めて会うのに、どうしてオレのことを知っているんだろう?


マリアは笑顔で説明してくれた。

「彼はこの店の店主、祖父の長年の友人で、そしてあなたの熱烈なファンよ!」


店内を見回すと、壁の一角に、爺ちゃんとオレの写真が飾られていた。オレの写真は以前爺ちゃんに送ったもの。きっとSNSに投稿してくれたんだろう。


その写真の前の席に案内され、マリアと乾杯を交わした。


店主は、爺ちゃんの若き日の話を聞かせてくれた。若き日の爺ちゃんは、優秀な整形外科医として街の人々に愛されていた。


「イリイチ、イリヤ…キミの祖父さんは、キミのことを本当に誇りに思っていたよ」と店主は言った。


その後、店にいた他の客たちもオレに声をかけてきた。

「私たちもイリヤの話を聞いて、すっかりキミのファンになったんだよ」


「でも、オレは…」そう言いかけたが、店主がオレの言葉を遮った。

「イリイチ、マリアをよく守ってくれたね、ありがとう!」

他の客達も後に続いた。

「そうだ、キミは本当によくやった!」

「たった一人で5人の男たちに立ち向かって、すごい勇気だ!」

「さすが、イリヤの自慢の孫だ!」


驚きで言葉を失っていると、マリアがにっこりと微笑んで言った。

「自信を持って、イリイチ。私たち全員があなたの味方よ!」


店を出ると、雪が静かに舞い降りていた。寒い夜だけど、心は温かかった。ロシアの冷たい夜空には、無数の星が輝いていた。


そう言えばオレ、ロシアに来てからずっと下を向いてばかりで、空を見上げたことがなかったように思う。爺ちゃんは天にいるのにな。


オレはその星空を見上げながら、心の中で爺ちゃんを想いながら復帰を誓った。


◇◇◇


日本に戻ってきたオレは、まずは、何か月も怠けてきたトレーニングを再開しようと決意した。


今の生活を体験し、過去のオレはすごく恵まれていたことを実感する。学生時代は親に養ってもらい、研修生時代は事務所に養ってもらっていた。


研修生時代は本当に過酷だと思っていたけど、三食寝床が付いて、いつでも自由にマシンや器具を使ってトレーニングが出来た。


デビュー前に住まわせてもらっていた部屋には、部屋の中にちょっとしたトレーニング・ルームがあった。今考えたら、オレにとってはこの上ない環境だった。


ところが今は、寝るのも食べることも全て自分で金を稼がなくちゃいけないし、トレーニングをするマシンも用具も無い。

21歳で初めての独り立ち…。


勿論、6畳一間の部屋でも、鍛えようと思えばいくらでもできることはある。早朝の商店街は立派なランニングコースになるし、金をかけずにやる方法はある。


しかし木造のアパートで音が出ることはできないし、何と言ってもマシンでのトレーニングには代え難い…。


「ジムを探すか」


大家さんから、商店街に古くからやっていて評判の良いジムがあると聞き、足を運んだ。ジムらしい建物は、毎朝のランニングで何度も前を通っていた場所だった。


早朝、店が開く前の商店街は人通りもほとんどなく、ランニングには最適だった。そんな人気の無い時間帯に、建物の前の掃除をしている若い男性を何度か見かけた。一生懸命に箒で丁寧に掃いている姿に、感心したからよく覚えている。


「そうか、ここがそのジムか」

掃除が行き届いている店は、大抵サービスも良い店が多いから、期待できそうだ。


さすが、長年この町に住んでいる大家さんの情報だけある。まずは中を見学させてもらおう。

オレは入り口を入って「こんにちは」と声をかけた。

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