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13 イリイチの過去:全てを失った日

デビューが決まると、オレには勿体ない豪華なマンションの一室が割り当てられた。


そして周りに知らない人達が集まる様になってきた。


ニュースを先駆けたい雑誌の記者のインタビューやら取材やら、ファンレターやら、デビュー前だというのに、ちょっとした芸能人になったようで、オレは正直驚いていた。

養成所の研究生からプロの階段を上がることは、こんなにも世界が変わるのかと実感した。


しかし、デビューの話が出たものの、スムーズに事は進まなかった。

オレがあまりにデカ過ぎて、日本では対戦相手が見つからなかったらしい…。

オレのデビューはアメリカに決まった。


そしてデビューに向けて、コーディネーターが付いた。

宣材写真を撮るからと、衣装を渡されたが、それはとんでもないしろものだった。

えっ?これをオレに着ろって言うのか?ウソだろ、格闘家の衣装じゃないぜ?


事務所から渡された衣装は、ピチピチの革ジャンとローライズの革のパンツ。

鎖の付いたチョーカーやら、アクセサリーも色々…

胸がきつくて前が閉まりゃしない…。胸や腹がはだけて裸も同然なんだが?

おれにオレ、へそ下の毛が濃いから、こんなパンツも履いたら丸見えじゃないか。

はっ?セックスシンボル?…何それ?オレにポルノ男優でもやれって言うのか?


なるほど。アメリカじゃ無名だから派手に印象付けたいんだな…それにしても誰にウケんだよ、こんな衣装?


・・・でも言われなくても、何となく分かった。オレきっとヒール扱いなんだろうな。


そりゃそうだ、向こうに行ったらアウェーだもんな。

バカみたいな服着たオラついた新人が、ヒーローにボコられて顔腫らすのを見せたいんだろうな。日本から来た無名の新人に興行師を付けるための算段か…。


いいよ、分かったよ。要は勝ちゃイイんだろ? クリーンなファイトで勝ってやるさ!デビューさせてくれるなら、泥水でも何でも飲んでやるよ。


こうしてオレのデビューは決まった。


向こうに行ったら、2-3年は戻ってこれないらしい。アメリカ中を興行で回る、そんな契約になるんだろうな。


出発の1週間前、ロシアの親戚が、わざわざ日本に訪ねてきてくれた。デビューのお祝いと、暫く会えなくなるから顔見せだって。


マリア、アナスタシア、エレナ、ソフィア。4人の従妹達は、オレが11歳でロシアに行った頃からの付き合いで、親戚というよりも家族同然だ。

特に一番年の近いマリアと仲が良く、オレにとっては実の妹のような存在だった。


彼女はいつも、オレが格闘家を目指すことを応援してくれていた。夏休みに爺ちゃんの家に行くたびに一緒に過ごし、互いに秘密を共有し合った仲だった。


久しぶりに会う従妹達は、幼い頃の面影を残しつつも、皆ステキな大人に成長していて、重ねてきた時間の重みを感じた。彼女達の訪問はオレにとっては、まるで長い旅の前の掛け替えの無い家族からの励ましのようなものだった。


そうか、暫くロシアに行けなくなるんだな。最後にじいちゃんの墓参り行けばよかった…。

でも皆は「墓参りよりも格闘家デビューを喜んでるよ!」と言ってくれた。


よし、盛大にパーティーしよう!って、従妹たちと繁華街に繰り出した。

親戚のオレが言うのも何だが、全員とても美人だ!

4人の美女に、通りを行く人が振り返る、振り返る。


SNSで話題の店に行きたいと言ったから、そこに行くことに。

でもそれが全ての失敗の始まりだった…。


オレも今まで来たことが無い初めての店。

馴染みの落ち着く店にすれば良かった…今から悔やんでも遅いけどな。


外国人観光客も多いようようで、その店はごった返していた。

大音量に包まれて、皆ハイテンションでエスカレートしていった。

ロシア人は総じて酒が強い。オレもそうだが従妹達も全員そう。

酒をバンバン頼んで、笑い合って盛り上がって、どうやらオレ達目立っていたらしい。


マリアがトイレに行ってから暫く経つが戻らない。

オレが見に行くとガラの悪い男たち5人に囲まれていた。

彼女の手を引いてその輪から連れ出そうとすると、いきいなり1人の男がオレを殴ってきた。


マリアの泣いている顔を見て、オレは痺れた。

彼女は幼い頃からオレを支えてくれた大切な存在だ。そんな彼女が危険にさらされているのを放っておけるわけがない。


その時、反射的に手が出てしまった。飲み過ぎて、理性を失っていた。

プロの格闘家が絶対にやってはいけないこと、素人を殴ること。

でも気付いた時には、オレの拳は既に相手の顔面にヒットしていた。


その時の拳の感覚は今でも忘れられない。

今まで経験したことの無い感覚だった。

格闘家の試合相手なら、こんなに簡単には命中しない。

全力で拳を突き出しても、相手が避けて髪の毛をかすめる程度だ。

つまり、そう簡単にはヒットさせてくれないのだ。


でも今は違った。オレの拳にも強い振動が走った。

拳が相手の顔にめり込み、その男はそのまま後ろに倒れ、ピクリとも動かず意識を失っていた。


やがて、救急車とパトカーが店の前に止まった。

倒れた男は救急車で運ばれ、オレは現行犯逮捕された。

手錠を嵌められ、心配する従妹達から引き離され、パトカーに乗せられた。

そして、留置場で一晩過ごした。


翌日、事務所の弁護士が身元引受人として来てくれたが、彼の顔はかなり深刻だった。

殴った相手の意識がまだ戻らないとのこと。下手をすると障害致死罪に問われるかもしれないと警告された。

オレは心の底から後悔し、彼の意識が戻ることを祈った。


オレは自宅で謹慎処分となった。

その後、従妹達とも会うことなく、彼女達は帰国してしまった。

「ごめんな、折角祝いに来てくれたのに、心配をかけてしまって…本当にごめん」


やがて、男の意識は戻ったようだが、障害騒ぎを起こす者はいらないと、アメリカの興行師から断られた。


こうしてオレのデビューは消えてしまった。


しかし、それだけではこの騒ぎは収まらなかった。

週刊誌がオレのことを面白おかしく取り上げた。

デビュー用の派手な衣装を着たオレの写真が大きく載せられ、「ロシアの暴れ馬、一晩で4人の美女を相手にする!」なんて見出しがついていた。


店での騒ぎも女を奪い合ってのケンカだと書かれていた。

全員親戚なのに…そんなこと、彼らは分かっているはずなのに。

オレは雑誌を売るための餌食にされてしまった。


ロシアに帰った従妹達は、祖父が残してくれたSNSで抗議の投稿を始めてくれた。彼女たちはその場にいた証人だと言い、毎日投稿を続けてくれたようだ。

フォロワーの人たちも一丸となって情報を拡散してくれたが、日本にはそのニュースは届かなかった。


雑誌の記事やインタビューは、全て事務所が手配してくれていた。全て人任せだったオレは、自分自身のことなのに何もできなかった。せめて、記者の誰かともっと仲良くなっておけば良かった…そう後悔するも、もう遅い。


オレのスキャンダルは消せず、デビューを取り消されただけでなく、ついには事務所からも契約を打ち切られた。


ウソだろ?もうオレはプロの格闘家になれないのか?

失うものの大きさに茫然とした。


従妹達もこれを知ったらきっと悲しむだろう。

あんなに心配してくれた彼女達にこれ以上悲しい思いをさせたくない…もう会わせる顔がない。

オレは夢を失っただけでなく、かけがえのない家族も、全てを失ったような気がした。


オレの部屋は事務所から提供されていたものだったから、当然、部屋も失うことになった。

あの記事で家族にも迷惑をかけてしまったから、実家に帰る勇気はなかった。


両親は何度も電話してきたが、オレは電話に出ることができなかった。

彼らの声を聞くだけで、自分の情けなさと失敗を思い出してしまい、胸が締め付けられるようだった。


事務所の金はオレのデビューに注ぎ込まれていたから、ほとんど給料なんて無いに等しく貯金も無い。

親にこれ以上心配をかけたくなかったから、一人で安い1Kのアパートを借りた。

無職のオレに、保証人も無いまま部屋を貸してくれた大家さんに出会えたことは、不幸中唯一の幸いだった。


その頃から、仲間だと思っていたヤツらはどんどん居なくなり、ついにオレは一人になっていた。


皆オレの格闘家の肩書と、それに付属するであろう、将来性だけを見ていたということに気付く。こっち来てから、まともな友達すら1人もいなかったんだな…だせぇ。


爺ちゃんから貰った大事な夢も、あれだけいた周りの人間も、本当に全て消えて無くなった。

11から始めて10年間やってきた結果がコレか…人間失う時は一瞬なんだと痛感した。


オレ、格闘しかやってこなくて学歴も何もないのに、この先どうやって生きいけばいい?

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