11 健志の今:運命の再会
【早乙女 健志:20歳】
そして俺は全部をやり遂げた!
まずレスキューの資格を取って、翌年の夏からレスキューのボランティアをした。
そして現役のまま志望大学に合格して、その大学の水泳部にも入った!
1年ながらスタメンにも選ばれ、水泳に明け暮れる毎日を過ごしている。
やはり俺には水泳しかない!以前の自分に戻れたことが本当に嬉しい!
◇◇◇
俺は高校卒業と同時に家を出て、大学近くの叔父の家に居候していた。
しかし、大学2年の夏、叔父の結婚が決まって、その家を出ることになった。
幸い俺の通う大学は、近くに学生の為のアパートが幾つもあった。
俺は6畳一間の格安アパートに引っ越すことにした。
両親は仕送りするからもっと良い部屋をと言ってくれたけど、俺にはそこで十分だった。
叔父の家に居候していた時も部屋は狭かったし、荷物はほとんど無いから問題無い。
風呂が無いけど、水泳部のシャワーを使えばいいし、キッチンが狭いけど、大学の学食が充実している。
近くに古い商店街もあって、総菜屋やコインランドリーがあるのも調査済み。
母はこっそりと俺に、彼女は居ないのかと聞いてきた。
確かに、彼女がいたら、もっと広くてキレイで風呂がある部屋に住みたいかも。
でも「俺今そんな相手いないから大丈夫!」って答えた。
そうしたら母は「彼女いないのは大丈夫って言わない」って笑ってたっけ。
今まで世話になった叔父に心から礼を言って、新居のアパートに引っ越してきた。
一人暮らしって初めてだからワクワクする!6畳一間だけど俺だけの城!
早速大家さんのことろに、引っ越しの挨拶に行った。
ご年配のご夫婦で、優しくて親切で、とてもステキな人達だった。
うん、ここなら楽しく暮らせそうだ!
俺の部屋は左端。あとは右隣の部屋に挨拶に行けばいいかな。
今時は引っ越しの挨拶なんてしないのかもしれない。
でも、壁一枚隔てて隣にいる人に挨拶するのが、俺はけじめだと思っていた。
それに初めての一人暮らしだから、こういう儀式的なことにも、実はワクワクしていた。
相手には面倒くさがれるかもしれないけど、引っ越しの品を渡して礼儀正しく挨拶すれば、隣に住む俺が人畜無害であることはPRできるのではと思っている。
何度か隣の部屋のドアをノックしたが、その人は留守が多いようで、なかなか会えなかった。
でも毎日時間を変えて尋ねたら、8日後に初めて人の気配がした。
ドアをノックすると、「はい」と返事が聞こえ、ようやくドアが開いた。
ドアの向こうに現れた人物を見て、俺は心底驚いた!
何故って?そこにあの天使の先輩が立っていたから!
あまりの突然の出来事に俺はパニックになった。
ドキドキと心臓が高鳴り、顔が熱くなった。
思いがけない突然の出来事に、どう対処すればいいのか全く分からない。
嬉しさのあまり声も出ないし、体も震えてきた。これは無理だ、一旦落ち着いてこよう。
「出直します!」と言ってドアを閉めて、自分の部屋に逃げ込んだ。
「引っ越しの品を渡して礼儀正しく挨拶する」という俺の野望は早くも潰えた。
しかし部屋に戻ってパニックから解放された俺は、内心で何度もやったー!と叫んだ。
もちろん声には出さない。このアパートの壁は薄くて、きっと音が筒抜けだろうから。
「神様仏様ありがとうございます!」と、キリスト教でも仏教でもない俺が、天に向かって繰り返し感謝の言葉を念じる。
天は俺とあの人を三度出逢わせてくれた!もう二度と会えないと思っていたのに三度も!これはもう俺の運命だ、他に考えられない!
これは天が俺に与えてくれたチャンスだ。先輩俺のこと思い出してくれるといいな…
鏡を見て髪の乱れを整え、笑顔の練習までしてみる。
女子とデートするより、はるかに緊張する!冷汗が止まらないし、心臓がバクバクして口から飛び出そうだ。
あっ、引っ越し挨拶に渡すものはどうしよう?
両親がソバを用意してくれたけど、あの人はこんなもの食べないだろうな。炭水化物を避けていそうだし…。
そうだ、先日届いたばかりのプロテインを持って行こう。
これは、3年前のアルバイトの時に、先輩が教えてくれたものだから、もしかしたら思い出してくれるかもしれないし。
そして、再び意を決してお隣の部屋のドアを叩く。
ドアの向こうから「はい」と低くハスキーな声が聞こえる。
あの声だ!男の俺でもゾクゾクするほどの!ヤバイ、マジで緊張する!
ドアが開き、再びあの人が目の前に現れる。鏡で練習したとびきりの笑顔で彼の顔を見る。
ああ、かっこいい! 以前バイト先で先輩に会った時は夜だったから、昼間の明るい時間に先輩を見るのは初めてだ。
日の下で見ると、本当に彫りが深くて、外国の俳優みたいだ。
「隣に越してきた早乙女健志です」と名乗って、心の中で祈りを捧げる。
先輩、どうか俺のことを思い出してくれ! 3年前の夏に、バイト先で一緒だった後輩です!
期待に胸を膨らませながら彼を見つめると、「壬生です」と一言。
うん、覚えているよ先輩! だから俺のことも思い出してくれ!
彼を見つめ続けると、「壬生イリイチ…イリイチはロシアの名前」と告げられた。
その時、「ああ、先輩は俺のことなんて覚えていないんだな」と悟った。
だってその名前、以前のバイトの時も聞いたから。二度目の自己紹介だって分かってないんだな。
でも、気を取り直して、引っ越しの挨拶にプロテインを渡す。
これは、その時先輩に勧めてもらったものだったけど、それでもやっぱり俺のことは思い出してもらえなかった。
それでもどうしても、3年前に聞けず仕舞いだったあのことを聞きたくて、覚悟を決めて、「質問があるんですが」と切り出した。
すると先輩は少し眉間にシワを寄せて、怪訝そうな顔でこちらを見た。
どうしよう、俺は怪しまれてる?
3年前のバイトの時の俺のことすら覚えてないのに、もう5年も前のことなんか忘れてるか…。
だいたい、命を助けてくれたのが先輩だって保障はないんだから、もし違ったら気まずいよな?
慌てて質問を切り替える。「あなたの筋肉はとても美しいんですが、どこのジムに通っているんですか?」
また何言ってるんだろうな、俺…
でもこれはでまかせでなく本当の気持ちだ。先輩の筋肉はいつ見てもとても美しい。
こんな6畳一間の部屋では十分なトレーニングはできないと思うから、どこかのジムに通っているはず。そのジムを知りたい!
そしたら先輩が「興味があれば、ジムを紹介しようか?」と提案してくれた。
なんて優しいんだ!俺のことを覚えてない先輩にとっては、ほとんど見知らぬ人間なのに…。
やはり先輩は天使だ!
結局、一番知りたかったことは聞けなかったけど、大丈夫。先輩のジムに誘われる提案を喜んで受け入れることに決めたから。
一緒のジムに通って先輩のトレーニングを直接間近で見ることができる!
あの後先輩から教えてもらった通りにトレーニング続けてきたから、共通の話だってできる!
そうしたらきっと先輩とはお隣さん以上の付き合いができるかもしれない!
先輩と三度会わせてくれたのが天の采配なら、いつかあの時のことを尋ねられる日が来ると信じてる。その日まで、先輩との信頼を深め、互いに理解し合うことができればいいなと思う。




