隔絶された町 1
とある平原に伸びる一本の街道。その道沿いに見当たるものは何もなく、この道自体も荒れ果てていることから殆ど人通りもないのだろう。本来ならばその全てをその目で見渡すことができる筈でなのだが、この場所はそんな他所とは違う事情を抱えていた。一面が霧に包まれ、自らが進む先が微かに確認できる程度しか視界を確保できないのだ。そのせいかまだ日も高い筈なのに辺りは一様に薄暗く、視界に加えて時間の感覚すらも奪われる。
そんな濃霧の中を突き進む道の上を、一つの人影が歩いていた。その人影は外套に身を包んで外套についた頭巾を目深に被り、自身の背丈ほどもある刀身の剣を背負って行く先も見えぬ街道を辿っている。
「…噂以上の濃い霧、ね…」
ふと、ぽつりとその人影が高い声を低い声色にして呟いた。その言葉の通りに周囲は相変わらず視界には鈍い白しか映らず、故に人影の声に不安そうな色が窺えることも不思議ではない。だが、頭巾の内側からしきりに辺りを警戒するさまからは、ただ視界が充分に確保できないだけでは説明しきれないほどの緊張を人影が抱えていることを示唆させる。
「本当だね。それに、妙な気配もあるときたもんだ」
そして、それは唐突に話し始めた人影の背後、身長大の黒煌の剣も同様に感じ取っていたらしい。その口調は普段通りの軽いものだが、しかし人影と同様に何処かしら油断もしていない様子を含んでいる。
この一帯は昔からずっと深い霧に覆われていて、それは周辺地域では常識程度には認知されているほどだと言う。そして、当然この正体を突き止めようと調査を試みる者達も存在したのだが、誰一人として再び姿を現すことはなかった。
そのため、以前に訪れた町や村では立ち入るどころか近づくことさえ敬遠されるようになり、危険な禁域として踏み入れることを避けるようにと忠告されていた。
…要するに、この区域のことに関する情報というのはないに等しい。それは、この人影達にとっては非常に厄介な事実であった。
「ソード、貴方には何か解らないの?」
何もかもが不明瞭な現状を打開する案はないのか、と人影は半ば無茶な回答を剣に求める。だが当然剣が対処できる手段を持ち合わせている筈もなく、呆れたように深く溜息をつき、
「…あのね、流石に僕だって解らないことぐらいあるよ。一体僕をなんだと思っているんだい?」
「時代遅れの喧しい金属塊」
「酷いなぁ。これまで散々助け合ってきた相棒なのに…」
「…もし、巧いことを言ったと思っているならもうしないで。不愉快だから」
「むぅ、冗談じゃないか」
いつもの調子が戻ってきたのか、この人影と剣でしか成立しないであろう語気の強い会話を続ける。とはいえ依然として気が抜ける状態に移行したわけではない。一人と一振りはいつ何かが生じても対応が遅れないように周囲の環境の変化へと意識を傾けながら、しかし何も変わり映えの無い自らを取り巻く光景に持て余した暇を潰すために言葉尻が鋭敏すぎる軽口を叩き合う。
――と、突然、人影はその場で立ち止まり、一言も発さなくなる。…周りの雰囲気が明らかに変わったのだ。人影の頬をひやりと冷たい空気が撫でる。今までのじっとりと湿った鈍い冷感ではない。触れればたちまち悪寒の走る、異様なそれへと変貌していた。
「…ソード」
「うん、確実に何かおかしいね」
彼等のかけ合いはその一瞬で、寸分の狂いもない呼応へと移行する。そして速やかに警戒範囲を広げ、気配を察知したと同時に反応できるように体勢を整える。…何も感じない。肌に纏わり付く空気は外套すらも無視して身体の熱を奪っているというのに、自分の周囲には何の存在も窺えなかった。
「なんだか…嫌な感じ…」
何もないのに、何かを感じる。そんな矛盾した体感が人影の思考を惑わせ、噛み合わせの悪いような言い知れぬ不快感を露にする。だが剣の方は平静を忘れておらずいつものような口調のままで、
「とにかく歩いたら?立ち止まってちゃ時間を浪費するだけになるよ?」
剣の言葉にふと我に返った人影は再び足を踏み出す。ぼんやりと見えるだけの道を辿り、一層不可解の増した霧の中を突き進む。
――しかし、その歩みはまたすぐに止まることになる。
「…あれ、は…?」
濃霧の先から微かに姿を現し始める何か。暗く無機質な大きい影が沈黙したまま凄然とそこに立っていた。そして、人影が思わず呟いた独り言に答えるように、剣も人影に言葉をかける。
「どうやら、何かはあったみたい、だね」
目を凝らし、高く聳えるそれを見上げる人影が、徐に被っていた頭巾に手をかけて中から顔を覗かせる。ようやく明らかになったその人影の正体は、黒いざんばら髪と淡い灰色の瞳をした、幼くも落ち着いた顔立ちの少女だった。




