優しい村 6
「じゃあね、可愛い旅人さん」
「は、はい…。ありがとう、ございました…」
軒先に立って微笑む婦人に、ぎこちなくも感謝で応える少女。そんな様子の彼女を婦人は相変わらず優しい表情のまま、その姿が確認できなくなるまで見送り続ける。
「……いい天気、だね」
村に降り注ぐ暖かい日差し。激しい嵐はもう過ぎ去り、今や村中の水溜まりが昨日の激しさを物語るばかりだ。眩しさで顔を顰め、腕で覆って視界を守る少女に背中の剣が話し掛ける。その声色はやや重く、いつものような茶化す雰囲気ではない。何故は彼女も解っている。大きく溜息をつき、彼女も重々しく口を開く。
「…えぇ、そうね」
快い天気とは裏腹に、彼女の心象には少しばかりの影が暗く存在していた。…あれは一体なんだったのだろうか…?あの婦人の意図は…?
ふと、爽やかな風が彼女の頬を撫でる。まるで、昨夜のこと等取るに足らないくだらない事だと言わんばかりに…。
――そうだな。いちいち気にしていても仕方がない。過ぎたことで、出立する自分には最早関係のなくなるどうでもいいことだ。少女は無理にでも納得して先を急ごうと歩みだそうとする。
「――たっ、助けて…!」
だがそんな矢先に、彼女の決意は一瞬にしてかき消された。何事かと思い声のした方へと振り向く。視線の先には村に隣接した森が。そして、その中から一人の女が転がるように駆け出してくる。
「アンナ!」
突発的な剣の掛け声とともに、少女は剣の柄を握りいつでも構えられるよう戦闘態勢を取る。魔物に追われているのか、その他なのか…。未だに判断はつかないが、とにかく対処はできるように神経を尖らせる。
「あ、あんた!助けて!私はまだ死にたくない…!」
すると女はこちらを見つけるや否や必死にそう訴えながら一目散に寄ってくる。
「は、え…?」
何故自分に助けを?死にたくないとはどういうことだ?
唐突な出来事と文言に少女は戸惑いを隠せない。しかし彼女の混乱もお構いなしに女は更に続ける。
「わ、私も見たんだ…!夜にはこの村に…!」
そこまで彼女が言いかけたとき、その脚を何かの影が襲う。
「ぐ、あ…っ!」
細長く、貫き通すその先端に金属独特の光沢見える。…まさに狩猟に使うような矢が彼女の脚に突き刺さり、赤い鮮血を滴らせていた。
「痛い…!助け…助けて…!」
苦痛に顔を歪めながらも少女に這いより手を伸ばす女。しかし目の前で起こった事実に頭の処理が追いつかずに少女はそのまま立ち尽くす。
「――駄目だろう?逃げたりなんかしたら」
女の顔が恐怖で強張った。自分が駆け抜けてきた方へと振り向き、一気に呼吸が荒くなる。あからさまに何かに怯えている。その視線の先からは中年の男が弓矢を構え、薄気味悪い笑みとともに森から姿を現す。
異様な光景に少女は何も出来ずにいる。すれば良いか判らないというよりも、現実が受け入れられず行動を忘れているといったほうが正しいだろう。
「い、嫌…!来るな…!」
だが彼女の理解も待たぬままに現実は進む。自らににじり寄る男から距離を取ろうと地面を掻くが、空回り続けるだけでその場から位置がずれる気配すらない。当然の如く男は追いつき震えてもがく女に手を伸ばす。
「――ま、待って…!」
漸く少女は動き出す。男の手が女に届かぬように身を乗り出し…、
「――駄目、よ」
しかしそれは遮られた。背後にいた存在によって。
はっとして少女が振り返ると、そこには先程自分を見送ったはずの婦人が。彼女は相変わらず微笑みながら、だが不気味さが滲み出る佇まいでこちらを見ている。…気付けば周囲の他の村民も皆こちらを見つめている。
「あの人はね、”見てしまった”のよ」
見てしまった…?一体なにを…?少女が疑問を浮かべると同時に該当する何かが頭が過ぎる。
「この村はね、とても恵まれているの」
少女の様子を理解しているのかいないのか、婦人はゆっくりと語りだす。その声は恐ろしいほどに穏やかな調子だった。
「…でも、その理由は知ってはいけないの。見てしまっては駄目なのよ」
…何も変わらないはずなのに、途端に背筋が凍る。彼女は何もおかしくないのに、…いや、むしろ普通だからこそ気味が悪い…。
「――たっ、助けて!助けて!」
叫び声に女を思い出して少女は振り向く。女は男に抱えられて絶望の表情で泣き喚いていた。しかし少女は動かない。…動けないでいた。そしてその姿は遠く、声も届かなくなっていく。
「…その子は見たのか?」
ふいに他の村民が婦人に話し掛けた。
まさか…!?
ぞくりと身を震わせる少女だったが、
「いいえ、この子はすんでのところで見なかったそうよ」
婦人は首を振り、少女と目を合わせてにっこりと微笑む。再び悪寒が走り少女は身を強張らせる。
「……そうか。では、旅人のお嬢さん。お気をつけて」
村民達は少女を優しく送り出す。その光景は降り注ぐ日差しと共に暖かいはずのものだった。しかし、少女を包んでいたのは凍えるような恐怖だった。




