優しい村 1
とある風の吹き荒れる豪雨の中、小さな丘の上の道で一つの人影が自らの身体を煽る風に耐えながら一歩ずつ歩いていた。人影の纏う外套は水を弾き、一見この天候には最適の装備のように思える。が、その全身を隠すことのできる大きさが仇となって人影を偶によろめかせる。そんな強風から身体を冷えから守ることのできる折角の防具を持っていかれまい、と胸元の留め具をより強く握って抵抗する。
「大丈夫かい!?アンナ!?」
そんな様子の人影に声をかける存在が一人、…いや、一つ、その人影の背負う、身長ほどもある大きな剣が水の打ち付けられる音にかき消されまいと声を荒げる。
「…あなたの声はかき消されないでしょ…!」
しかしそんな剣の心配など無下に扱うように人影は頭に響く声に高い声だが低い声色で悪態をつく。その反応をされた剣は途端に調子をいつもと同じものにして、
「でも、君の意識は嵐の音で散漫になってるだろ?」
「それでも騒がしいのは嫌なの…!」
風圧に押され、泥濘に足を取られて思い通りに動けないもどかしさと、耳を塞いでも軽減することのない喧しさに苛立ちを覚えながらも、人影は薄暗く降りしきる雨で視認距離の狭まった幾つもの小さな丘を道に沿って越えていく。
雨雲のせいで太陽の位置などわかるよしもないが、ただなんとなく、長旅由縁の経験の勘から大体日没に近近づいてきた頃合いだろう。こんな天候のままでは野宿すらまともにできることもない。せめて雨風をしのげるような場所さえあればいいのだが…。
突然嵐に見舞われた不幸なあの時から、そんなことを考えて洞穴のような場所も探しているのだが、それどころか大きな岩すら見つからない。…このまま何もない状況が続いてしまうと流石にそろそろまずいな…。
「どうするの?アンナ。流石にこのままじゃまずいと思うんだけど?」
もう時間の余裕がなさそうなことも剣も分かっているのか人影にそう問いかける。しかしそんなことは既に承知で、その上で見つからないのだからどうしようもない。
「うるさい…。分かってるから…」
そんなこと自分だって理解している。それでもこのまま進むしか方法がないのだから、そう言われたところで他の手段を取ることができる筈がない。そんな理不尽にも近いもどかしさに更に苛立ちを隠せず、つい溜息とともに愚痴が出る。…しかし声色に籠っているのは苛立ちだけではなさそうだ。焦りや不安からくる弱々しさもどことなく感じ取れる。
「…ま、その心配も必要なくなっただろうけどね」
ところが剣はあっけらかんとしてそんなこと言う。何が心配無用なんだ…?こんな状況下でか…?剣の発言に耳を疑ったが、道の先を見る様に促されてみると何だか遠くに見える気がする。それは恐らく光源なのか、周囲よりも橙色に明るく見えて……待て、この視界の悪い中で見えるということは、それなりに離れていない距離に何かあるのか?しかもこれが予想通り光源ならば、その正体は十中八九、火がそこにあるのだろう。そしてこんな天候でも火が灯っていることを考えると、そこは雨風がしのげる筈だ…。
「…もしかして」
ふと見えた、言葉通りの一筋の光に思わずぽつりと呟く人影。予想通りならば……いや、期待通りならば…あそこが今回の目的地の村になる筈だ。聞いた話を参考にしてかかった時間や進んだ道のりを加味すると、あれがそうだということに矛盾はない。ならば…!
こんな環境で野宿しなくて済むという安堵と、やっと辿り着いたという徒労感で若干気が抜ける人影。しかしすぐに風に煽られて自身の現状を思い出し、再び慎重に歩みを進める。
それからも少しずつではありながらも歩き続け、ただでさえ暗い周囲が更に闇を帯び始めた頃にようやく、窓から光の漏れる家屋が複数見えた。……これはもう、村で間違いないだろう。
「良かったね、アンナ。間に合ったみたいで」
ほっと息を吐いた人影の雰囲気を感じ取ったのか剣がそう言葉をかける。それに頷いて答える人影だが、実はまだ問題はある。…それは、村の人間が受け入れてくれるとは限らないからだ。もしこれで拒否されたら…。そんな不安が頭を過ぎるが兎に角もう頼るしかない。藁にも縋る思いで家屋の内の一つに近寄り、玄関の戸を叩く。
「す、すみま、せん…!」
人影なりの精一杯の声は雨音には敵わない。…だが、叩く音だけで中の住民には伝わったようだ。扉が開かれ、中から落ち着いた雰囲気の婦人が現れる。
「あ、あの…、今晩だけでも、泊めて、くれません、か…?」
怪訝そうな顔をする婦人に人影は雨の滴る外套の頭巾を脱いで顔を見せる。その人影は、黒いざんばら髪と淡い灰色の瞳をした、幼くも落ち着いた顔立ちの少女だった。




