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9 友だち

「お。いま帰り?」

 バス停で待っている時、不意に男子の声でそう言われて、静香はびくっとして顔を上げた。

 三谷歩夢が隣にいた。

「萌百合さんって、部活とかやってないの?」


「あ・・・、ええ、はい・・・。」

 男子からこんなふうに声をかけられたのも初めてなので、静香は狼狽えた。しかも相手は、静香が唯一好感を持っている三谷歩夢だ。

 クラスの中では、男子も女子も普通・・に仲良く話をしている。だからこのくらいの会話は別に珍しくもない。

 ただ、静香はそういう普通・・の中に入れなかったので、男子から名前を呼ばれて話しかけられるということがこれまでなかった。


 静香自身、必要以上に男子を恐れている。

 それはおそらく、『7歳を越えたら結婚する異性以外と付き合ってはならない』という教団の「教え」が影響しているのだろう。

 そんなものは・・・。と、高校に上がるときに捨て去ったつもりだったが、幼い頃から刷り込まれてきた「教え」は、想像以上に静香の根っこのところを縛り付けているようだった。


 静香はうつむいたまま、それ以上何も言わない。

「ええっと・・・。困ったな・・・。」

 三谷歩夢が頭をかいて苦笑いする。

「ご・・・ごめんなさい・・・。」

 静香は自分を縛っている何かと懸命に戦っている。戦っている顔はおそらく、醜く歪んでいるだろう。

 うつむいているのは、それを見せたくないからだった。

 たった1人残った冷たい視線を投げない(・・・・・・・・・・)人を失いたくなかった。

 三谷くんにまで「キモい」と思われてしまったら・・・もう・・・。


「そういうとこなんだよな。」

「え?」

 三谷歩夢の意外な一言に、思わず怪訝な表情で静香は顔を上げる。

「ほら、そういう目。かわいいじゃん。」

「え?」

 静香は虚を突かれた。


「なんで、自分から壁作るかなぁ。」

 静香は今まで聞いたことのない言葉を投げかけられた。

 そんなことを静香に言った人は今までいない。学校の先生でさえ、腫れ物に触るように気を遣ってくるだけだった。

 静香は「普通」の人たちが、静香の周りに壁を作っているのだと思っていた。静香が入っていけない壁を・・・。

 開いているのは「宗教」の方だけ・・・・。

 そこに行きたくないのに、開いているのはそこだけ・・・。静香はずっとそう思っていた。

 壁を作っていたのは、わたし・・・?


「萌百合さんさぁ。クラスの中で孤立してるみたいで気になってたんだよ。いやごめんね。他にも気にしてる女子とかいるんだけどさぁ・・・。みんな、なんか萌百合さんに・・・、う〜ん・・・。」

 三谷歩夢は少し言葉を探していたが、やがて適切な言葉が見つからない、といったふうに話をリセットした。

「萌百合さんって、本当の自分見せてないでしょ?」


 あまりにも鋭く図星を突かれて、静香は慌てた。

「え・・・? あの・・・。」


 本当の自分・・・?

 そう言われてみて、静香は改めて自分の中を探してみた。

 そんなもの、あるんだろうか?


 わたしはフーセンだよ?

 中身なんて空っぽだよ?

 『高校生萌百合静香(ものゆりしずか)』は空っぽのフーセンだよ?

 もしそれを埋める中身を探すなら・・・、それは「教団」。

 そして、それ、たぶん、全部嘘だから・・・。


 バスが来た。


 静香は頭の整理がつかないまま、黙ってバスに乗り込む。

 三谷歩夢もそのまま乗ってきた。

 静香は思わず彼の方をちらちら見てしまう。

 離れていかないで・・・。キモい、とか言わないでね・・・。

 そんなふうに思うが、しかし静香はそれを表情に出すことはない。静香の表情はあくまでも感情の表現が薄い。

 歩夢に対するそういう感情を、何と呼んでやればいいのだろうか。


「駅まで一緒だよ。気がついてなかった?」

 静香は必死で点頭する。

 三谷くんはちょっとため息をついた。

 どういう意味だろう? そのため息は・・・。

 静香には他人ひとの表情の意味が理解できない。少なくとも、静香の理解は他の人とは違うらしいのだ。



「そういうとこ。」

 そう言ってから、歩夢はちょっと(しまったかな?)と思った。

 なんか、責めてるみたいになっちゃってる。これじゃダメだよな。よけい怖がらせてしまう。


 歩夢は萌百合静香に気があるわけではない。

 ただ、高校生活が始まって1ヶ月もしないうちに孤立するような状態になってしまった萌百合静香を放っとけなくなってしまっただけなのだ。

 お節介は親譲りなんだろう。と、自分で思う。


 萌百合は、お高く止まっているというわけじゃない。どちらかというと全ての人を恐れているような感じがあって、自分・・を隠し続けている。

 歩夢と気さくに話ができる女子何人かも、そんな萌百合を気にかけてはいたが「どうやって話していいか分かんない子」というふうに言っていた。

「なんか、絶対自分を見せないんだよねぇ。」


 

「あの・・・」

 バスが駅前に近づく頃、静香の方から話しかけた。

 歩夢が眉を開く。

「も・・・もう少し、お話ししてもらってもいいでしょうか・・・?」

「なんで敬語? いや・・・、うん、いいよ。俺でよければ。」


 バスから降りると、バス停の屋根の下に設置された待合用ベンチに2人して座った。微妙に間が開いている。


 並木の新緑が目に痛いほど、きらきらと輝いている。

 こんなふうに男子と2人で並んで座るのって・・・、青春って言うんだろうか。

 静香はそんなふうに思って、思ったらもう頬が上気してしまい、落ち着かなくなる。


 そもそも小学校の3年生くらいから男の子とまともに話したこともない静香にとって、「青春」などという言葉は実感のないイメージか記号みたいなものでしかない。非日常的で、どこか遠いところにある言葉だ。

 たかだかバス停のベンチに同じクラスの男子と並んで座っただけで言葉が飛躍してしまう萌百合静香という少女は、客観的に見れば確かに少しおかしいのだろう。

 だがそれには、彼女がこれまで置かれてきた環境を考慮してやらなければなるまい。


 静香は小学校の高学年になるまで、自分は神に祝福された選ばれた子なのだ——と本気で信じていたのだ。

 そして教団から(ある意味母親から)そう信じ込まされてきた静香にとって、男の子と仲良くなるなどということはトンデモナイことであったのだ。


 頬を染めている萌百合静香を横目で見て、三谷歩夢はちょっと戸惑った。


 まずいかな? 何か変に勘違いされたんだろうか・・・?

 萌百合さんの価値観というものが、全く分からない。


「あの・・・」

とまた静香が路面のカラータイルを見つめたまま、小さく言った。

「さっきの話・・・。わた・・・わたしが壁を作ってるって・・・」


「ああ、それ・・・。」

 歩夢は少し安心した。そっちの誤解ではなかったんだ・・・。

「なんて言うか・・・、萌百合さんって、素のままの自分を見せてない感じなんだよね。なんかよろってるって言うか・・・。さっきでも、俺なんかに敬語使ったりするしさ。」


 歩夢はそう言うと、顔を静香の方に向けて真っ直ぐに静香の横顔を見た。

 その視線を感じて、静香はまた頬を赤くする。

「あの・・・、わた・・・わたし、どう話せばいいのか・・・。みんなと、わたしは・・・持ってるものが違うみたいで・・・」

 そこまで言ったところで、静香の目に涙がじわっと浮き上がった。


 歩夢はまた慌てた。

 な・・・泣かすようなこと言ったか? 俺・・・。


「そ・・・」

と歩夢は言葉を継ぐ。

「その持ってるものを見せればいいだけじゃない? 恥ずかしがらずにさ。」

 しかし、萌百合静香はそのまま唇を噛みしめるようにして沈黙してしまった。


 む・・・難しい・・・。

 これまでもいろいろお節介はしてきたけれど、それで後悔したこともあるにはあったけど・・・、それにしても、こんな難しい子は初めてだ。

 たしかに、みんな避けるわけだよ・・・。


 しかし、そう思うと歩夢はいよいよ放っとけなくなってしまう。このまま放っておいたら、この子どうにかなっちゃうぞ?

 それが分かってて距離をとったら、たぶん俺は一生後悔する。やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいい。

 とりあえず・・・相手から離れていかない以上、どこまでも待ってみよう。次の言葉が出てくるまで——。

 それは今までしくじった経験から割り出して、歩夢なりに理解した「聞く」方法でもあった。

 萌百合は何を隠しているのだろう? こうまで思い詰めて・・・。


 陽が傾いて、空がオレンジ色になってきた。

 何台めかのバスが停まって、降りてきた乗客が足早に駅の方に去っていったあと、萌百合静香がようやく口を開いた。


「わたし・・・わたしの持ってるものって・・・、嘘しかないんだ・・・。教団の『教え』しか・・・。そんなの・・・・」

「なあんだ・・・。」

 歩夢が安心したような声を出して、表情を明るくした。

「萌百合さんって、宗教2世だったのか。それを隠してたのかぁ。」


 静香は思わず顔を上げて、歩夢の顔を正面から見た。

 その目は温かく、他の人が持っているような冷たさを微塵も持っていなかった。


「大丈夫だよ。萌百合さんが入信させようと迫ってこない限り、俺たちは友達になれるって。・・・で、萌百合さん自身は、もうその『教え』を信じる気になれないんだろ?」



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