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8 嘘

 連休の間ずっと母親を騙し通した静香は、連休明けの学校に何食わぬ顔で登校した。

 少なくとも静香はそのつもりだった。


「萌百合さん、痩せた? なんか、やつれたみたい。」

 同じクラスの男子、三谷歩夢(あゆむ)にそんな声をかけられて静香は少なからず驚いた。男子からこんな声をかけられたのは生まれて初めてだ。

 そもそも静香の変化に気がついてくれるような人なんて、これまで学校の中になんていなかった。いつも、静香がよくわからないまま、すっと離れてゆくだけ・・・。


 三谷歩夢は男子の中でも特定のグループと付き合うという感じではなく、満遍なく誰とでも話すようなタイプだった。

 顔はちょっと下膨れでまあ十人並みというところだが、温厚で敵を作らないような性格なので、モブっぽいけど誰にも嫌われていないような感じの生徒である。

 静香に対しても、唯一冷たい視線を向けたことのない男子だ。

 だから静香も、彼に対しては好感を持っていた。念のために言っておくと、「好意」ではなく「好感」である。


「あ・・・、ちょっと病気しちゃって・・・。」

 嘘である。

 が、この嘘はついておかなければ、あちこちでツジツマが合わなくなってしまう。

 少しだけ胸が痛んだが、それは連休中怯え続けていた「神様」に対するそれとは違った。


 静香はトイレの鏡に自分の顔を映して改めて見てみる。

 確かにやつれている。本当に病気をしたわけではないのに・・・。


 自分の中で、幼い頃から刷り込まれた「神様」の概念が、あの程度の、仮病を使ってビラ配りを逃げる程度の教団に対する「不正」でさえ、身を痩せさせるほどのストレスになっているんだ——と静香は愕然とする。


 静香にとって教団の言う「神様」とは何だろう?

 病気になっても怪我をしても普通の医療行為を受けてはならない、という「神様」とは何だろう?

 やたら高額の寄付を要求する「神様」とは、いったい何だろう。


 それ、おかしいよね? と、静香の理性は言う。


 理性はそう言うが・・・。嘘をついてビラ配りから逃げただけで、顔がここまでやつれる程の怯えを感じる静香の心は・・・、いったい何でできているのだろうか・・・?


 その一方で、4月の29日、1日だけ駅前で教団のビラ配りをした時。一緒に配っていた大人や中高生や母親の恍惚としたような微笑がおぞましいと思ってしまった自分の感覚——。

 それは、しりぞけなければならない「悪」なのだろうか?

 あの、全く同じような目の色と微笑を浮かべる者たちの「仲間」に入らなければならないのだろうか?


 使い分けるはずだった静香の「外側」は、かえって静香の内側の混乱を静香自身に突きつけることになった。



 教室に戻ると、女子のグループがはしゃぎながらスマホを見せ合っていた。

 たぶん、旅行先で撮った写真だろう。一緒に行っていない子たちや男子も混ざって、わいわいやっている。

「あ、すげー。これ! プロが撮ったみたいじゃん。もらっていい?」

「いいよ。LINEで共有できるようにするね。」

 静香も見てみたいような気はするが、なんて声をかけたらいいのか分からない。


 静香がなんとなく近づいてゆくと、はしゃいでいた女子グループはさりげなく引いて距離を取った。

 静香はそのまま足を進めて窓際まで行き、窓の外を眺めるふりをする。


 わたしは寂しくはない。

 慣れてるから。

 神様がいつも一緒にいるから・・・。


 静香は窓の外を眺めながら、自分自身にも嘘をついた。

 それでいて意識は窓の外ではなく背中の方に向いている。


「きも・・・。」

という声が聞こえたような気がした。


 静香だってスマホくらいは持っているのだ。

 ただ、そこにクラスメートからのトークは入ってこない。旅の写真も入っていない。


 初めのうちは2つほどのグループから誘われてグループLINEに「参加」もしていた。ただその空間でも、直接の会話と同じように静香はうまく「会話」に加わることができなかった。

 直接的に何かを言われたわけではない。

 どうも普通ではない的外れな投稿を静香はするみたいで、さりげなくスルーされることが多かった。


 やがてメッセージの投稿が目立って減ってゆき、連休前くらいにはグループLINEのトークルームは2つとも沈黙してしまった。

 ブロックされたわけでもないようだった。

 どうやら、学期の始まりに作って静香も誘われたLINEグループとは別にそれぞれ気の合うもの同士のグループを立ち上げ、トークをそちらに移してしまったようなのだ。


 静香はトークルームに、ぽつんと1人取り残された形になった。

 そういう中で「旅行の計画」の情報も回ったようだ。


 静香のスマホに入ってくるトークは母親のものだけになっていた。そこには常に、教典から引用した言葉が何かしら入っていた。

 神様を信じていれば、何も怖いものなどありません。


 背中の方で低い声で話された単語に、静香の耳は敏感に反応した。

「駅前・・・宗教・・・」

 確かに、そう聞こえた・・・!


 見られた?・・・・誰かに?


 静香は目の前が真っ暗になって、思わず窓のサッシ枠をぎゅっと掴む。倒れるのだけは持ちこたえたが、光の中に戻ってくるまでにしばらく時間がかかった。


 その日は授業の内容などほとんど頭に入ってこなかった。


 フーセンの中で、何かが痙攣している。


 逃げたい。

 もうあんな家からは、逃げたい。

 あんな母親からは逃げたい。

 逃げて・・・普通・・の高校生になりたい。


 普通・・の人生が欲しい!



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― 新着の感想 ―
[良い点] 「きも・・・。」という声が聞こえたような気がした。 この文がいいですね。どんどん主人公の中で被害妄想が大きくなっている印象を受けます。最後の「駅前、宗教」という言葉に過敏になっているのも同…
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