5 進路
静香は学校の成績だけはいい。
「萌百合は、県内の進学校ならどこでも目指せるな。」
進路指導の波多野はそんなふうに言った。
「清和を受けようと思います。」
か細い声で静香が言う。
「萌百合の偏差値なら、朝陽でも大丈夫だぞ?」
「私立の滑り止めは受けないので。授業料の安い公立1本でいきますから。」
万が一を考えれば、確実に合格できる高校にしておかないと。
「受けるだけ受けたら? 一応滑り止めの私立受けておけば、安心できるだろ? 萌百合ンとこは、お父さん商社勤めなんだろ? 受験の費用くらいは出してもらえないの?」
「・・・・・・・・」
「波多野先生。」
隣にいた国語の神保が小声で波多野を呼ぶ。
そのまま教室の隅に連れていって声をひそめた。
「萌百合の家は複雑なんですよ。母親が宗教に凝ってて、教団に寄付しちまうもんですからあまりお金がないんです。」
全部、聞こえてるよ。
「あー、まあ、萌百合が清和に行きたいんなら、それでいいんだけどな。萌百合なら間違いなく受かると思うよ。」
清和を受けるのは、その「家」から逃げるためなんだ。
あの高校は家から遠い。通学に時間がかかる分、家にいる時間が短くなる。
パンフレット配りもできない公明正大な理由ができる。受験を控えた3年生の間は免除してもらっているが、高校生になったら再開してほしそうにしている母親から距離を取りたい。
通学に時間がかかれば、「友達」と放課後に話したりする時間も短くなる。
中身が空っぽの風船人間には、「友達」と付き合う方法が分からないのだ。何をどう話したら拒否られないのか分からないから、話す時間は短いほどボロが出なくてすむ。
高校生になっても、今みたいな嫌な思いはし続けたくない。
静香は中学の間中、普通に「友達」と話すことができなかった。「普通」が何だか分からない。
静香自身は「普通」にしているつもりでも、それはみんなの「普通」じゃないらしい。
いつも空気がズレて、それとなく拒否られたり、小馬鹿にした笑いが漂う。
その度に、風船の中に毒が染み込んでくる。「嫌だ」は分かるのに、「楽しい」とは何なのかが分からない。
大丈夫。ワタシハ間違ッタコトハシテイナイ。
神様はちゃんと見ていてくださる。
結局そこへ戻ってくる。
そうすると毒が少し浄化される気がする。
受験が近づくと、みんなだんだん独りになってゆく。じゃれ合う時間が減って、少しずつ無口になってゆく。
他人のことにかまっている余裕がなくなってゆくのだ。特に、いわゆる「デキる」子たち、カースト上位ほどそうなってゆく。
静香には、そういうクラスの環境がわりと快適に思えた。
静香は余裕で高校受験に合格した。
東京と違って地方都市では、私立よりも公立が上位というイメージがまだあるけれども、初めから私立1本という子や、有名私立を受けておいて公立は落ちた時のセーフティネットという子もいる。
そんな受験期間の緊張した空気も和らいで、学校では安堵の表情を浮かべたクラスメートがきゃあきゃあ言っている。
公立が落ちた子も、私立の滑り止めは受けているから、みんなそれぞれの場所に散って4月からは「高校生」になる。
このあとは卒業式があって、3年生は在校生より長い春休みに入るのだ。
だから、この時期は誰もが解放感にあふれ、笑顔で友人とはしゃぎ合っていた。
「また同じ学校に通えるね。」
「腐れ縁だぜーい。(笑)」
「これで別々かぁ。寂しくなるね。」
そんな中で、静香だけはどこの仲間にも入れない。
「萌百合さんも受かったんだってね。おめでとう。」
声をかけてきたのは、カースト上位にいて「優しい」という定評のあったクラス委員の女子だ。
わたし、知ってるよ。
その仮面の下で、いじめグループと一緒になってわたしの悪口言ってたこと。
この解放感の中で、自分の「優しさ」を最後に印象づけておきたいんでしょ?
でも、もう大丈夫。あなたは上位の進学校。わたしは遠い清和高校。もう会わなくて済むもの。
わたしは中学の誰とも、もう会いたくない。
「ありがとう。」
この答えで、いいんだよね? 普通は・・・・。
遠いといっても、清和は中の上くらいの偏差値で入れる高校。8人ほどがこの中学校からも進学するらしいが、静香の知った顔はいない。
だから・・・。
高校では少し楽になるんじゃないか・・・。少し、自分のイメージを変えられるんじゃないか。
静香は内心そう思って、自分の卒業と合格を自分だけでそっと祝った。