41 えこひいき
夜間部は静香以外、現役高校生ばかりで総勢12人いる。
その中に1人、古瀬先生にひどくぞんざいに扱われている男子がいた。
「ここの感じはね、ほら、もっとこんなふうにやると表現しやすいよ。」
静香に対してまるで手とり足とりのようにして教えたあとで、その男子の背後に立ち、デッサンをちらと見ただけでこんなことを言ったりするのだ。
「上手いねえ。でも、よくないね。」
「は?」
それだけで、そのまま隣の人の指導に移ってしまう。
何あれ?
きっつ・・・。
なんで古瀬先生はあの子に対してあんなひどい言い方をするんだろう?
わたしにはすごく丁寧に教えてくれるのに・・・。
静香はなんだか自分がえこひいきされているような居心地の悪さを感じた。
美術部では味わったことのない感覚だ。
あ、でも、わたし以外にも古瀬先生はわりと丁寧にどこがおかしいか指摘して指導している。
ただその男子に対してだけが、ひどくぞんざいだった。
どうしてだろう?
「ん——、上手いねぇ。でもそれだけだね。」
「あの・・・」
「よく見てごらん。」
そう言って石膏像を指差す。
それだけでまた、隣へ行ってしまった。
静香にはどう見てもよく描けているように見える。
形もちゃんととれているし、陰影も上手くついている。
静香のデッサンよりも、はるかに廊下に貼られているデッサンに近い。
その男子は、響孝之といった。
高校3年生。
今年受験することになる現役生だ。
響は手が止まってしまった。
恨みでもあるような目つきで、じーっと石膏像を睨んでいる。
その日の帰り、静香が道具を片付けていると、響が後ろを通り抜けざま吐き捨てるみたいな言葉を投げてきた。
「萌百合さん、古瀬に好かれてるね。女の子はいいよな。俺だって授業料払ってんだけどね。」
「え・・・?」
静香が振り向いたときには、響はもうアトリエ室から出てゆくところだった。
静香の中に、じわりとその言葉の毒が沁み込んでくる。
「気にすることないですよ。あいつ、ああいうヤツだからさ。」
静香がアトリエ室の入り口から声のした方に顔を向けると、ショートヘアの活発そうな女子が立っていた。
その制服は・・・・たぶん朝陽だ。
「わたしは石井杏奈。あいつと同じ朝陽高校の3年生。萌百合先輩は夜間だけど1つ上なんですよね? よろしく先輩!」
杏奈は忍とはまた違った雰囲気の活発さを持った子だった。
丸顔で背は低め。美術というよりスポーツ選手みたいな筋肉質の引き締まった身体で、弾むような歩き方をする。
「あいつ、芸大目指してんだ。とにかく絵、上手いからねぇ。」
静香はちょっと怪訝な表情をした。
「みんなそうなんじゃないんですか?」
杏奈が「え?」という顔をしてから、急に納得したように破顔した。
「ああ、そっか。萌百合さんは予備校、初めて?」
「え・・・ええ。去年は、なんとなく受けちゃっただけで・・・。」
「はは・・・。なんとななく、で受かったら天才だよ。」
「この界隈では『芸大』って言ったら国立の東京芸大のことなんだ。あとは名美とか金美とか大阪とか愛知とか・・・。正式名称には『芸術大学』って付いてても、『芸大』と呼ぶのは東京芸大だけなんだよ。」
「へえ・・・。」
「たしかにさ、あいつ自分が絵上手いの鼻にかけてるようなとこあってさ、気に食わないヤツだけど——。でも、古瀬のあれはイジメとしか思えん。」
そう言って杏奈は階段を上に上り始めた。
帰るなら下だ。
怪訝そうな顔をした静香に気がついて、杏奈は上りかけた足を止めた。
「ちょっと言ってくる。いくらなんでもあれは、あいつが言うとおり、あいつだって授業料払ってんだ。萌百合さんも来る?」
そう言われて、静香も階段を上ることにした。
えこひいきされてるんだったら、それはそれで気分が悪い。
というより、そういう「指導」で褒められているからといって、それで受かるんだろうか?
実際、静香が見たって響くんの方が何倍も上手いように思えるのに——。




