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35 やり直し

 静香は結局、家に戻されることになった。


「お父さんはしばらくずっと家にいるそうだし、お母さんもあなたに宗教を押し付けたりしないと約束したよ。」

 児童相談所の職員はそんなふうに言った。



 保護施設にいる間、静香は窓から見える風景をスケッチブックに描いていた。

「絵、上手いんだね。」

 職員の猫撫で声がウザくて、無視したまま画用紙の上に筆を落とし続ける。

 どうということはない。ただの風景画だ。

 湧き上がるような何かは、そこにはない。

 どちらかといえば、得体の知れない感情をなだめるための作業だと言ってもいい。


 テレビも見た。

 静香がこの間までその中に浸かっていた「教団」の異常さを、これでもか、と大袈裟に()()していた。

 浸かっていた、どころじゃない。

 生まれてからずっと、そこで育ってきたのだ。その()()()()()の中で——。


 母親について回って家々のインターホンを押して歩いた。

 駅前に立って、パンフレットを配った。

 お師さまの言う教団の教えこそが絶対に正しいのだと信じ込んでいた。

 それらを()()()()()がどういう目で見ていたか、はっきりと思い知らされた。


 全ての過去を消し去りたい!

 わたしの生まれてからここまでの人生は、恥ずかしいだけのニセモノだった。


 静香は描きかけの風景画を真っ黒に塗りつぶした。

 それは、これまでの過去を塗りつぶしてしまいたい、という静香の衝動の表現だったかも知れない。


「わたしは・・・ウソだけで造られてきた・・・」

 カウンセラーとの対話でそんなふうに漏らした時、そのカウンセラーの女性は

「全部ウソだった? 出会った人も?」

とだけ言った。

 不意に三谷くんの顔が浮かんだ。

 初めて、涙が出た。


 父親と母親の生い立ちについても、その人が言葉をぼかしながら概略だけを話してくれた。

 静香がそれまで全く知らなかったことだった。

 お父さんもお母さんも、一度もそんなことを話したことはなかった。

 今回のことで、わたしにも知ってもらいたいと思ったんだろうか。それでこの人に話したんだろうか。


 だから、なに?

 同情してほしいの?

 大変だったとは思うけど・・・。だからって・・・そんなの・・・。わたしに押し付けられたって・・・。

 そう思ったが、言葉にはしなかった。


 しかし表情に出たのか、カウンセラーの女性は穏やかな声でこんなことを言った。

「引き受ける必要はないわ。あなたはあなたのものだから。でも、知っているのと知らないのでは、同じ言葉を言われても意味が違って聞こえるかもしれないよ?」


 それは、家族をもう一度やり直してみたら? という勧めのようにも聞こえた。



 ほぼ3週間ぶりに家に帰ることになって、父親と母親が車で迎えにきた。


「ごめんね・・・。しずちゃんが、そんなに嫌がってるなんて・・・お母さん、思わなくて・・・」

 母親は消え入りそうなか細い声でそれだけ言った。目が泳いでいて、静香を見ていない。


 父親は運転席から降りたあと、黙って後部座席のドアを開けた。

 静香も黙って乗り込む。


「もう少し、ちゃんと話せばよかった。」

 ドアを閉める前に、父親はそれだけを言った。


 車の中でも、会話はなかった。

 誰もが、何を話したらいいのか分からなかったんだろう。


 家に帰り着いて、玄関の中に入ったあと、静香はおずおずと父親のカードを差し出した。

「ごめんなさい。」


「いいんだ。家出するにも金は要るからな。危ない目に遭ってなくてよかった。」

 父親が初めて笑顔を見せてカードを受け取った。

 母親がそんな父親の腕にすがりつくようにして涙をこぼした。


 ああ。お父さんは、こんな人だったのか——。

 物心ついてからの静香にとって、父親のイメージはたまに帰ってくるだけのおじさんでしかなかったから、こんな優しさはちょっと新鮮だった。

 あの話を聞いてしまったあとの静香には、母親がなぜこの父親についてきたのか、少し分かったような気もした。


 知っているのと知らないのでは、同じ言葉を言われても意味が違って聞こえるかもしれないよ——。


 静香は初めて、「宗教」とは関係ない家族を見たような気がした。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 何かの番組で、宗教二世がなぜ教団を抜けられないかみたいな話の時に、当事者が「自分の今までの人生や価値観が全部嘘だと認めることになるから」みたいな事を語ってた気がして(たしかそんな感じの事……
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