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30 迷い鳥

 その漫画喫茶のシステムは最長滞在12時間までなので、一旦出なくてはならない。

 静香は昼間外に出て、夜だけを宿泊の代わりに使うことにした。どうやら、そんなふうに使っている人がけっこういるらしい。


 昼間、どこへ行くという当てがあるわけでもない。

 スマホで検索してみると、岐阜市も観光地であるらしかった。


 40万都市のど真ん中を流れる清流、長良川。——などと書いてある。

 清流というからにはきれいなんだろう。

 鵜飼も有名らしい。

 静香は、世間のことはほとんど何も知らない。


 スマホにはSNSのメッセージ着信がいくつも表示されていたが、無視した。

 どうせ母親だろう。

 また狂態を演じているのだろうか。

 応答したらどんなことになるのか、と考えたらぞっとする。


 とりあえず、歩いてみることにした。

 バス代は節約する。

 この先のことが分からないのだから、お金はなるべく使わないに越したことはない。

 節約は小さい頃から慣れていた。


 静香は繁華街には近づかない。

 一般に家出少女がとりやすいお決まりの行動パターンの方には行かない。

 そういう場所は怖いところだ。——という幼少期からの刷り込みはかなり根深いようだった。

 ただそれはこの場合、ある意味静香の身の安全に少なからず寄与もしている。


 7歳以上の男女は、親の付き添いなしに子ども同士遊ぶことさえ許さない——という教団の戒律を、静香の母親は特に厳格に守っていた。

 おかげで静香は中学を卒業するまで、クラスの男子とでさえ、ちゃんと話すことができない子だったのだ。


 三谷歩夢や阿形忍の水先案内がなければ、静香は今だって同世代とちゃんと話すこともできていなかったかもしれない。


 ちゃんとした優等生だと、ある時期までは自分のことをそう思っていた。

 良い子のはずなのに、その「良い子」に注がれるまわりの視線に奇妙な冷たさが混じっていることに、静香は敏感に気付いてはいた。

 気付いてはいたが、その意味が分かってはいなかった。


 自分に与えられた「常識」が、世間では通用しないものなのだ——とはっきり認識したのが中学の時だった。

 ではそれをどうすればいいのか、が静香には分からない。


 ただ、これ以上歪んだ「常識」の中にいてはいけないことだけは分かる。

 だからこそ、家を出てきたはずだ・・・・。


 静香は取り止めもなくそんなことを考えながら歩いている。

 考えたところで、何の結論も出てはこない。

 思考とは、最初に与えられた基本的価値観をベースに組み立てていくものだ。それが信じられなくなった今、組み立てるべき材料が存在しない。


 街は、観光地というわりには閑散としていた。


 平日の昼間だからかな・・・?

 普通・・の子たちは、今学校に行ってるんだよね・・・。

 普通・・の大人は、今仕事に行ってるんだよね・・・。


 長良川は、下呂で見た飛騨川ほど透明ではなかったが、「清流」と言うにふさわしい程度にはきれいだった。

 金華山はけっこう急峻な山で、頂上にお城が見えた。

 上まで行ってみたい気もしたが、ロープウエイの値段はけっこう高かったのでやめた。


 自由だ——。

 と思う。


 が、同時にひどく心もとない。


 わたしは、あの家から出て生きてゆくすべを何も持っていないんだ・・・。

 自然界で餌を探す方法を知らないまま、籠から逃げ出した鳥・・・。


 長良川の河川敷で、スケッチブックを開いてみた。

 やっぱり、あの合宿の時のような色彩は戻ってこなかった。

 心をとらえるような風景が見つからない。


 遊んでいる子どものクロッキーを描いてみることにした。

 4Bの鉛筆を白い画面に走らせる。

 なんだか集中できない。

 何かを考えているわけでもないのに・・・。


 子どもがはしゃいでいる。

 見ている母親らしい女性に何かを見せて、また走っていく。


 鉛筆が動かない。

 胸に何か痛みのようなものを感じて、静香はスケッチブックを閉じた。



 夜には再び、あの漫画喫茶に戻った。


 12時間の壁があるので、3時間ほど食事をしてから一旦外に出て、またすぐ入った。

 これで明日の朝は、10時頃までゆっくりしてても大丈夫だ。


 何も考えたくなくて、漫画を読んだ。

 その漫画の中の話ですら、理解できないことがあった。

 これを描く人と、読む人の間にあるはずの共通した価値観・・・?

 それがわたしにはないのかも・・・・。


 不安になるほど読んで、そしていつの間にか眠った。



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