29 迷い鳥
気がつけば高山線に乗っている。
下呂に・・・、あの合宿の地にもう一度行きたいと思ったのだろうか?
それとも、あの時に戻りたいのだろうか?
途中の車窓を眺めながら、自分の気持ちが何なのか探ろうとするのだが・・・。
思考は焦点を結ばないまま、ぐるぐると同じようなところを行ったり来たりするばかりだった。
窓の風景が色褪せている。
あの時のような色彩が見えない。
空はただの青で、まだ紅葉の時期でもない山はただの緑だった。
あってもなくても、同じような色・・・・。
まるで学祭の前に仕上げようとしていた絵みたいに・・・。
下呂駅に下り立ってみて、静香にははっきりそれが分かった。
来るんじゃなかった。
来なければ、頭のどこかには豊かだった色彩が残ったままになったかもしれないのに——。
後悔と不安だけが、今の静香に満ち潮の波のように寄せては返す。
だからといって、家に帰ろうとは思わない。
どうしよう?
どこへ行こう?
離れたかっただけの静香は、その先を何も考えていなかったことを今さらながら思い知らされた。
とりあえずどこに行くにもお金が要る。
そのことだけは頭が回っていたが、それ以外のことは何も考えていなかった。
今夜どこで泊まるのか。
それさえ考えていなかった。
こんな観光地で宿なんかとったら、持ってきた現金などあっという間になくなってしまうだろう。
空っぽの静香の中に、「現実」がじわりと染み込んできた。
昨夜ほぼ眠っていないので、頭の芯に眠気が、しくん、と襲ってきて、目が瞼の裏にひっくり返りそうになる。
少しだけ眠れる場所・・・。
ああ、そうだ。喫茶店はあったよね。
今の時間なら、まだモーニングやってるかな・・・。
駅のベンチなんかで寝てたら、通報されちゃうかもしれない。
そしたら、またあの家に連れ戻されちゃう。
合宿の時、忍たちと入った喫茶店は開いていた。
コーヒーを注文すると、けっこうハードなモーニングがついてきた。
おにぎりにサラダとひじきの煮物と赤だし味噌汁。
静香は口元だけでちょっと笑う。
どういう取り合わせ?
寝不足頭だから、味噌汁の方に砂糖入れちゃいそうだね・・・。(^~^;)
この旅路で初めての、静香のかすかな笑み・・・。
コーヒー1杯の値段で朝食も食べられるのはありがたい。
おにぎりを食べておなかが少しくちくなると、静香の瞼は、ぽとん、と落ちた。
はっと気づいて時計を見上げると、時間は一瞬の間に15分ほど進んでいる。
コーヒーをひと口すする。温くなっていた。
しかし、この15分の睡眠で、静香の頭は少しクリアになった。
まずはATMを探して、カードで現金を下ろそう。
止められてなきゃ、いいけど・・・。
コーヒーを飲み干して喫茶店を出ると、静香は市の中心部に向かった。
ATMはすぐ見つかって、現金を引き出すことができた。
ちら、と防犯カメラを見る。
どこへ行こう?
ここにはいたくない。
あの時の思い出の色彩が、どんどん消えていくような気がする。
静香はできるだけ風景を見ないようにして、駅まで戻った。
どこに行こう?
券売機の前で佇む。
まだ9月とはいえ、下呂は静香が住んでいた地域よりは涼しかった。
北はやめた方がいいかな?
快適なホテルとかに泊まれるようなお金は続かないのだから、この先、夜冷え込む場所は避けた方がいいかも・・・。
南へ・・・、行く方がいいか・・・。
結局、静香はまた岐阜駅まで戻ってきた。
途中、電車の中で何度も居眠りをした。
自宅のある街の方へ戻ろうとは思わない。
ここからどっちへ行くか、決めかねたまま駅を出た。
今夜の宿をどうしよう?
安いホテルとかあるかな・・・?
スマホで駅周辺を検索してみるが、素泊まりでも9000円を切るようなホテルは見つけられなかった。
毎日1万円使ってたら、あっという間にお金は尽きる。
そしたら・・・・。
静香には頼れるような親戚はいない。
泊めてほしいなんてわがまま言える友達もいない。
自由というものの代償を、静香は思わざるを得ない。
それでも、あそこに帰るという選択肢はなかった。
市街地をうろついて、漫画喫茶を見つけた。
ボロボロのリクライニング付きの個室があり、ドリンクバー付き3時間900円。12時間でも1900円。しかも、未明からお昼頃まで「モーニング」と銘打った食べ放題の食事がバイキングで提供されていた。
決して美味しくはない。むしろ腐った布巾のような臭いがして不味いと言った方がいいが、食事付き宿泊費と考えればめっちゃ安い。
ホームレスがなぜ都市部にしかいないのか、が少し分かるような気がした。
その日、静香はそこで眠った。
明日のことは、明日考えよう——。




