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25 再びそこへ

「静香?」

 母親の呼ぶ声がする。

 窓から差し込む日はもう高くなっていて、部屋の温度も少し高くなり始めている。

「今日は学園祭なんでしょ? まだ行かなくていいの? 入るわよ?」


 母親が扉を開けて部屋に入ってきた。

「やだ、もう。空気こもってる。窓、開けよう。」

 静香はベッドの上でタオルケットにくるまったままだ。


 母親は小さくため息をついてから、窓際へ行ってカーテンを開け、サッシをカラッと開けた。

 レースを揺らして、外の風が入ってくる。

 遠くの車の音が聞こえた。


「お母さんも行きたいな。それで今日はシフト休みにしてもらったんだから。」

 父親の収入が十分あるくせに、母親は昼間パートに出ていた。

 その給金は、ほぼ丸々教団に寄付されているようだ。

「あの絵、展示してあるんでしょ?」


「ない・・・。」

 静香はタオルケットに包まったまま、か細い声でそれだけを言った。

「え? 展示してもらえなかったの?」

 母親の声に、険が現れた。


「完成しなかった・・・。」

「・・・・・・。」


 母親はしばらく黙っていたが、やがて得心したようにしゃべり出した。

「そうか・・・。お友達が亡くなって、ショックが大きいのね。」


 そんな一言で片付けないでほしい。

 ・・・・と、静香は力無く思う。

 なんだか三谷くんが穢されたような気がした。


「その子の魂は今、転生前の待合室にいるのよ。けっして消えたわけではないの。」

 母親の猫撫で声が、うざい。

「そうだ、教会に行きましょう。教会でお祈りしましょう。その子の魂が次の人生でも幸福に恵まれますように、って。それがいいわ。さあ、起きて。」


 腕を引かれるままに、静香は起きた。

 逆らうほどの気力もない。


 母親の車に乗って教団施設に行くまでの間、静香はぼんやりと窓の景色を眺めていた。

 風景に色がない。


 わたしは、何を失ったんだろう?


 空っぽのフーセンのくせに・・・。


 悲しくさえならない。

 悲しいって、どういう感情だっけ・・・?


 ——心ってものが無いんじゃない?——


 そうかもしれないね・・・。


 空っぽになってしまった・・・・。

 そんな気がするのに、何を失ったのかが分からない。


 下呂の旅館で、美術室で、阿形さんや三谷くんと笑い合っていた時は、何かに満たされていたような気がしていたのに・・・。

 あれは何だったんだろう・・・?


 ただ、阿形さんや三谷くんの「部分」が、萌百合静香というフーセンの中に入ってきて・・・。それで「自分」の中身が出来たような錯覚に陥っていただけなのかもしれない・・・。


 きっとそれだから・・・・。

 三谷くんがすっぽり抜けたら、ただの空虚だけが残って・・・。

 もともと悲しみすら出てくる中身もないんだ・・・きっと。


 礼拝所の祭壇には黄金のミロク天使が鎮座していて、何も心配はいらないとばかりに微笑んでいた。

 それを見た途端、涙が出た。

 それまで全く出なかった涙が・・・。


 三谷くんは本当に、新しい人生に生まれ変わるために「あちら」で待っているのだろうか・・・。


 礼拝所の椅子に座り、母親と一緒に祈っていると、不思議に心が落ち着いてくる。

 一生懸命祈っていれば、三谷くんの魂はミロク天使様が救ってくださるのではないか?

 いつの間にか、静香の中から空っぽ感が消えていた。


 静香は翌日からも学校へは行かず、礼拝所に通い詰めた。


 どうか、どうか——。

 三谷くんの魂をお救いください。

 信者ではなかったけど、三谷くんはいい人です。救われるに相応しい人です。

 どうか、新たな人生が幸せでありますように———。


 1週間ほど通い詰めた。

 その間、母親はいつもにないほど機嫌がよく、静香に対して優しかった。


「学校なんて、行かなくても大丈夫よ。お母さんもそうだったもの。」

 母親は静香に優しくそう言った。


 パートのシフトが休みの日には、母親も一緒に教会に出向く。

 このところ、静香の気持ちは安定している。

 ただ、どこか霞がかかったように現実感がない。


 学校に行ったら、三谷くんいるんじゃないかな・・・?


 そんな日が続いたある日曜日。

 礼拝所でいつものようにお祈りした後、母親は事務所の呼び鈴を鳴らした。

 程なく教区長がにこやかな顔で出てきた。


「これ、今月の浄財です。」


 あ・・・。パートのお金?


「良いご信心です。」

 教区長がにこやかに言う。

「この子の友達が先だって亡くなったんです。その子の魂をお救いください——と。」

「ええ、ええ。毎日熱心にお祈りしていらっしゃるのを、私も見ておりました。こういう信心深い信者さんの縁者であれば、ミロク天使様は間違いなくお救いくださるでしょう。」

 そう言って、教区長は分厚い封筒に手を伸ばした。


 その途端。

 そのにこやかな表情の皮膚の下から、脂が滲み出るようにして卑しさと浅ましさが浮かび上がった。

 カメレオンの色が変わるようにして——。


 静香は思わずミロク天使の像を見上げる。

 慈悲深い微笑をたたえている・・・はずの・・・・。


 かかっていた霞がふいに消えた静香の目には、その慈悲の微笑の表面にも同じような卑しさが浮き上がっているように見えた。


 信者から集めた莫大なお金で出来上がった黄金の天使像。




 その夜、街が寝静まった深夜2時過ぎ。

 静香は、そっと家を出た。


 行く当てなど、もちろんあるわけがない。

 ただ、そこを離れたいと思っただけだ。



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