23 出会い
心美に差し伸べられた手は、あの雄索さんのものだった。
雄索さんは大学を卒業して、中堅の商社に就職していた。
日曜ごとに何かお土産を持って施設にやってきていたのは、去年までの教え子たちの勉強を見るボランティア、という名目だったが、実際のところ心美がお目当てなのだということは誰の目にも明らかだった。
心美も雄索さんの前ではリラックスしているようで、よく笑った。
いい雰囲気だねぇ。
このまま普通の女の子のように幸せになれるといいけどねぇ。
職員たちは、そっとそんな噂話をしたものだった。
そんな中で近づいてきた18歳問題。
その問題に、驚愕の提案を持ち出したのが雄索さんだった。
「もし心美さんがよければ、ですが・・・。僕の妻になってはいただけませんか? 家族に——。」
後見人でも、養子縁組でもない。
それは・・・・。
心美はうつむいてしまった。
「そ・・・それは・・・。」
「だめですか?」
「いえ! そんなことは!・・・・すごく・・・すごく・・・。でも・・・。わ・・・わたしは、雄索さんの・・・望みに、応えることはできない・・・。」
ドン ドロロロロン ・・・・・
「心美さんさえよければ、僕はかまいません。待ちます。ずっと——。」
「そ・・・そんなの・・・」
そんなの、妻じゃないでしょ? 妻になるっていうことは、つまり・・・。
心美の耳に、再びあの音が大きく響き始める。
ドロン ドロン ドロロロロ ・・・・
「ちゃんとした場所と立場があれば、傷はゆっくり癒すことができます。」
「それは・・・・」
それは、あまりにも甘え過ぎ・・・。
「そのために1年前、頑張って安定した会社に入れるよう努力したんです。」
「僕は、心美さんという存在に会うために、ここまで生きてきたような気がするんです。」
* * *
心美は結局、雄索さんの申し出を受けた。
生徒から妻へ。
不思議な関係であった。
一切の性的関係をもたない「夫婦」。
心美は懸命に「奥さん」をやり続けた。
料理レシピを見ながら食事を作り、洗濯をし、掃除をして——。
朝「夫」を送り出し、仕事から帰ってきた「夫」を迎え、甲斐甲斐しく尽くした。
だって、そうすることしかできない。
夫婦なら、当然あるべきことができないんだもの・・・。
それでも、そんなふうにできる相手がいることを、心美は幸せだと思った。
雄索さんに会えなかったら、わたしはどんな人生を送っていたのだろう。
そしてそれから5年が経った。
言葉どおり、雄索さんは心美に対して一切そういうことは求めなかった。ずっと優しい兄のようでいてくれた。
まだ18歳だった頃から23歳になる今日まで、雄索さんはただただ優しく頼りになる保護者として心美の傍にい続けてくれた。
このままでいいわけがない。わたしはちゃんと雄索さんの『妻』にならなくては——。
もう、大丈夫。
そんな気がする。
だってあの音はずいぶん小さくなって、意識しなければ気がつかないほどになった。
たぶん、雄索さんだったら大丈夫だろう。
そしてある夜。心美は名実ともに雄索さんの妻になった。
音は大きくならなかった。
おなかの中に小さな命が宿ったことを知ったのは、それから1ヶ月経った頃だった。
夫と2人、少しふくらみ始めたおなかの上で手と手を重ね合わせ、その命の鼓動を感じ取ろうとする心美の表情には、人生の中で最も幸せそうな微笑みが浮かんでいた。
やっと、本当のちゃんとした家族を手に入れた。
ずっと心美を悩ませていたあの音は、いつの間にか消えていた。
生まれた女の子は、静香、と名付けられた。




