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2 子ども時代

 日直の日誌を書き終えて、萌百合静香ものゆりしずかはそっと席を立った。これから職員室にそれを持っていく。


「ああ、ご苦労さん。萌百合くんは真面目だから、助かるよ。」

 担任の先生は、そんなふうに言って気を遣ってみせる。褒められた——という解釈で間違いはないと思う。


 それにもかかわらず、静香しずかは先生の視線に奇妙な違和感を感じている。いつものことなのですぐ忘れてしまうし、そうするように静香自身努めていた。

 そこは気にしないようにする。昔から感じている、ある種の冷たさのある視線。


 それがどうやら、うちの「宗教」のせいらしい、ということに薄々気づき始めたのは4年生になった頃からだった。


 小さい頃から他の子とは違ういろいろな決まりがあり、日曜日には必ず礼拝所に行かなければならなかったから学校のクラスの子と遊ぶこともなく、同じ礼拝所に来ている子どもとだけ遊ぶのが普通だった。


 学校が終わると、お母さんに連れられて他所よその家を訪問し、ありがたい救いのパンフレットを配って歩いた。

 インターホンを押しても人が出てこない家が多く、そういう家にはパンフレットをポストに入れてきた。


「心を閉ざしてる人たちに、少しでも真実の教えが届くようにがんばりましょう。」

とお母さんは言った。

 こういう地道な活動の積み重ねが、少しずつわたしたちの「原罪」を洗い流してわたしたちを天国への道にいざなってくれるのだと、お母さんは言っていた。


 怪我や病気をしても、保健室には行ってはいけないと言われていた。そういうところに置いてある薬には、体内に入れてはいけない成分が入っているのだという。

「まっすぐ家に帰っていらっしゃい。ご祈祷して、お師さまからいただいた薬で治した方がいいの。」


 それが、静香の家の「常識」だった。

 だから、大きな怪我はできない。いつも慎重でいないといけない。



 6年生になると違和感は無視できないほど大きくなってきたが、静香はそれを見ないように努めていた。


 礼拝所に来ている静香たちのような子どもは「祝福された子」で、お父さんお母さんだけでなく、その先祖の魂まで救う「存在」なのだそうだ。

 そのためには、教えを忠実に守り、礼拝を欠かさず、アニメなどは見てはいけないし、肉は食べてはいけないし、お師さまのお決めになる異性以外の異性にも興味を持ってはいけない。


 そうした戒律は他の子たちとの間に壁を作り、静香はクラスの誰とも価値観を共有できないでいる。畢竟、いつも教室の中では独りだった。

 しかしそのことを、静香は寂しいとも悲しいとも思わない。本当に思わないのか、思わないようにしているのか、静香自身にもよく分かってはいない。


 大丈夫。いつも神様が見てくださっている。


 いじめ、というものがあった。と、大人たちが2度3度騒いだことがあったが、静香にはそれが「いじめ」かどうかさえよく分からなかった。

「嫌な思いをしたでしょう?」と先生にも聞かれたが、嫌な思いなら常にしている。

 それが「祝福された子」の宿命であり、普通のことなのだ。と、静香は自分自身に言い聞かせてきていたので、5年生になる頃にはもう、何が嫌なのかもよく分からなくなっていた。


 これでいいんですよね? お師さま。


 食べてはいけないものがあるので、給食は食べられない。お母さんが学校と話をして、静香だけはいつもお母さんの作った弁当を持参していた。

 そのお弁当が、体育の時間中に誰かによって床にまき散らされていたことがあった。


 お母さんがきれいに詰めてくれたものが・・・。と、この時は悲しい気持ちと悔しい気持ちと、そして怒りの感情が持ち上がってきたが、静香はすぐにそれを否定することができた。

 お師さまの教えが、毎日読んでいる教えが頭に反復されたのだ。


 こういうことをする人は、かわいそうな愚か者です。彼らをこそ救ってあげなければなりません。

 それを行えるのは高位の使徒だけであり、やがて「祝福された子」はそれになるのです。耐えて魂を浄化しなさい。教えを広めなさい。


 クラスの他の子たちがアニメの話で盛り上がっているのを横目に見ながら、わたしはああいう愚か者たちを救う選ばれた子どもなのだ、と考えていた。

 そうすることで、独り席に座って平静を保っていた。

 保てていたように思う・・・。


 それは、本当?


 ひょっとしたら嘘ではないの? 


 家の「常識」の方が間違っていて、彼らの方が正しいんじゃないの?

 だって・・・、彼らはちっとも「不幸」そうじゃない——。


 中学生になった頃、静香の身体は疑問と違和感に耐えられなくなった。

 教室で吐いてしまった。


「萌百合さん、大丈夫? 保健室へ・・・」

「行かない。」

 静香は、自分の胃液の酸っぱい臭いに嫌悪感を抱きながら、椅子に座ったまま涙を浮かべてその言葉を繰り返した。


「行かない! 行かない! 行かない!!」


 周りの視線が刺さる。

 耐えなければいけない。


 何のために・・・?


 これ、おかしくない? ワタシ、オカシクナイ・・・?

 ・・・・・・・



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― 新着の感想 ―
[一言] 連載、ゆっくり追わせて頂きます。 本人ではなく家族が信じているものに、自分の意思なく巻き込まれてしまったら、果たしてそこからどう逃れることができるのでしょうか。 重たいテーマだと思いますが、…
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