13 カラフル
白い石膏像をものすごいカラーで塗り始めた静香を、忍は驚愕の眼差しで見ていた。自分のデッサンの手は止まってしまっている。
何、これ?
ピカソか? こいつ・・・。
静香の色だらけのデッサンを見た目でもう一度よく石膏像を見てみると、忍にもそこに色があることが見えてきた。
顎の下に淡い緑。
それが回ってゆくに従って青くなってゆく・・・。
肩の下には赤みを帯びた茶色。
鼻の陰は、やや黄色みを帯びたようなグレー・・・。
周りの物の色を反射した、今、ここにしかない光のシンフォニー。
静香はそれを、強く誇張するようにパステルを重ねてゆく。
たしかに・・・、萌は普通じゃない。普通じゃないけど、むしろこれは・・・。
「うおっ! 何それ? 誰? その子!」
男子のその大きな声で、静香は現実に引き戻された。
トリップしていたのか? わたし・・・。
小さい頃、お祈りの言葉を夢中で繰り返していた時、似たような感じになった記憶がある。
宗教・・・・・。
教団・・・・・。
またどす黒い何かが、静香の中に湧き上がり、絡みつき始める。
目の前のデッサンは、白い石膏像とは似ても似つかぬ色だらけの奇妙な像になっていた。阿形さんの白い石膏像のデッサンとは全く違う。
普通じゃない、これ・・・。わたし、またやっちゃったんだ・・・。
「すごいでしょう? 今日入った新入部員だそうですよ。」
於久田先生の嬉しそうな声がして、静香の中の黒い何かが、ふっと吹き散らされた。
ふり返ると、於久田先生がほくほくと嬉しそうな顔で笑っている。
「これこそが、デッサンですよ。」
「誰?」
とさっきの声の主が言う。
静香がそちらに目をやると、男子生徒が美術室の入り口付近に立っていた。
大人っぽい雰囲気は、3年生?
スリムなジーパンにロゴ入りのTシャツを着て、その上に制服のブレザーだけを羽織っている。髪は金色に染めていた。
「あ、御堂センパイ。えとっ、今日入部した萌百合静香ちゃ・・・さんです。わ・・・わたしが引っ張ってきたんだけど、こんなすごい子だとは思ってなかったです・・・。」
え? なに、これ?
わたし・・・、褒められてるの?
静香は3人の顔を見比べる。
そこには軽蔑も冷笑もなく、驚きと(たぶん)賞賛だけがあった。
「ほんとにすげーな。」
御堂と呼ばれた先輩が静香の近くにやってきて、静香のデッサンと石膏像を見比べるように何度も視線を往復させる。
それからいきなり、静香の肩に両手をパンと乗せた。
静香が、びくっとする。
「おめぇ、天才だわ!」
静香は頭が真っ白になる。
男子に・・・! 体に触れられた!
結婚する相手でもない男子に——!
静香の体がガタガタと震え出す。
「え? どした?」
忍が慌てて御堂センパイの両手を掴んで静香の肩から離す。忍はセンパイの顔を申し訳なさそうに見ながら、首を小さく左右に振った。
「彼女、ちょっと事情があって。」
あ・・・。という顔を御堂真沙人はした。
静香は肩を震わせ、拳を握りしめて、イーゼルの方を向いたままでいる。その足元に、ぽつ、ぽつ、と涙の跡が増えてゆく。
於久田先生も、どうしていいか分からない、といった表情でそんな静香に近づけないでいる。
「す・・・すまん! すまない! 俺は・・・! そういうつもりじゃ・・・」
御堂真沙人は青ざめた顔で、忍の方に助けを求めるような目を向けた。
「だ・・・大丈夫です! ・・・わ・・・わたしっ・・・がっ、普通じゃないだけですから!」
静香が向こうを向いたまま、ひきつったような声を絞り出した。
「絵に・・・、絵に吐き出してしまうという方法も、あります。絵を描くことで、傷が癒やされるということは・・・」
於久田先生が、少し離れた位置から優しげに声をかける。
あ・・・。これ、勘違いされてるわ——。と、忍は思った。
「あの・・・、萌百合さんは、その・・・虐待を受けたわけではないんです。」
静香は? と忍が見ると、体の震えは止まっていたが、まだ拳を握りしめたままうつむいている。
「萌ちゃん。ここにいる人たちには知っておいてもらってもいいと思うんだけど・・・。言っちゃっていいか? それとも自分で言う?」
静香の拳が開いた。
まだ声は出てこない。
やがて消え入りそうな小さな声が聞こえた。
「阿形さん・・・」
「忍でいい。」
「忍さん・・・・」
(やっぱ、「さん」付けかい)
「お願いします・・・。」
今の状態の自分では、上手く話せそうにない。忍さんなら・・・。
静香の目から、また涙がこぼれる。
さっきのは自分に対する悔し涙だったけど、今度のはそうじゃない。温かい涙だ・・・。
「萌ちゃんは・・・、宗教2世なんです。」
忍が話し始めた。
「教団の教えの中に、結婚する男性以外とは親しくしてはいけない——というのがあるらしくて・・・。彼女自身はそこから抜け出したいと思っているようなんですけど・・・」
静香の頭が、こくん、と小さく縦に揺れる。
「小さい頃から刷り込まれた考え方に、体が勝手に反応しちゃうみたいなんです。決してセンパイたちのことを嫌ってるわけじゃないんで、そこんとこ解ってやってください。」
「ち・・・近づかなきゃいいのかな・・・?」
御堂真沙人が、おっかなびっくりな表情で訊く。
「とりあえず、さっきみたいに直接触らなきゃいいと思いますけど・・・。」
そう言って忍が静香の方を見ると、ぶんぶんと縦に首を振っていた。
「そ・・・そうか。俺は・・・、御堂真沙人。3年生だ。よろしくな。こんな格好してるけど、けっこうジェントルなんだよ?」
御堂先輩は静香から少し離れた場所まで下がってから、自己紹介した。
「それにしても・・・、萌百合さん、だっけ? すげー才能だな。」
静香は手で涙を拭うと、椅子に座ったままくるりと向きを変えて体を折りたたむように頭を下げた。
「すみませんでした! 先輩!」
それから、すっくと真剣な表情で顔を上げる。
「一生懸命、がんばりますから!」
「ぶはっ!」
と御堂先輩が吹き出した。
静香の目のまわりが、デッサンの石膏像みたいにカラフルな迷彩になっている。
「萌——。」
と忍が少し呆れ顔で、静香の顔の前に手鏡を差し出した。
「—————!!」Σ(#°Д°#)




