11 新たな世界
歩夢が架けてくれた橋を手を引かれるようにして渡って、静香はクラスの中の小さなグループの中に加えてもらうことができた。
新しいトークルームには、他の人の日常のありふれた(たぶん)会話が賑やかにあふれていた。画像も頻繁にUPされる。
『家の近くの半ノラ』
『かわいい♡』
『ネコなら何でも!』
『見境いなしかw』
『待ってた刀剣キター!』
『なに?』
『トンボさん』
静香には半分くらい、何を言っているのか分からない会話がある。どこで、入っていいかも分からない。
自然、何となく投稿できないまま、みんなの「会話」を眺めていることになってしまう。
「萌百合さんって、LINEやんないの?」
阿形忍がある日、静香にそう聞いてきた。歩夢の他に、自分が宗教2世であることを打ち明けてあるのは、今のところこの忍だけだ。
中性的な感じの背の高い少女で、スポーツをやりそうな体格のくせに部活は美術部だった。
ウエーブのかかったロングヘアの先の方だけ緑に染めている。
「あ、み・・・見てはいるんだけど・・・。上手く入れなくて・・・。」
「そんなん、みんなテキトーに思ったこと書き込してるだけだよ。時々参加しないと、居ること忘れられちゃうぞ?」
忍にそんなふうに言われると、静香は少し勇気を出そうと思う。
放課後のトークルームは取り留めもなく続いている。
『アユ! 天然!』
写真が一緒にUPされる。
『何それ?』
『もらった。叔父さんが夜、川で獲ってきた』
『漁師?』
「違うけど』
『美味そ』
『死にたて。新鮮』
『草』
静香も思い切って入ってみる。
『命をいただくのだから、感謝しないとですね』
着信音がパタリと静かになった。
『スイカできた!』
『おお!』
『すごーい』
突然、話題が変わる。
また、やっちゃった・・・。
何か、普通じゃないこと言っちゃったんだ・・・。
じく・・・、と静香の中のどこかの傷口が開いて、黄色い汁がにじみ出す。
あの投稿は、宗教っぽかったのかもしれない・・・。やらなきゃよかった・・・。
『萌って、金子 みすゞっぽいな』
テンポ良く続く会話の中に、歩夢が唐突な感じでトークを入れてきた。
『ああ見えて、優しいよね』
忍が返す。
フォローしてくれた。
やっぱりあれが宗教っぽかったんだ。普通じゃないんだ、ああいうのは・・・。
「萌さぁ、部活やってないんでしょ? 美術部来ない?」
5月も終わる頃、忍が静香にそんな声をかけた。
「わ・・・わたし、絵はあんまり上手じゃあ・・・。」
「それは小学校レベルのお絵かきの話だろ? 美術ってのは、持ってるものがユニークなほど有利だよ?」
宗教の家庭に育ったことが、美術でユニークなんて言えるんだろうか? と静香は思う。まあ、普通ではないんだろうけど・・・。
宗教美術というものは教団でも推奨していた。歴史的なそれみたいな描写力はないけど、静香はそれなりに上手く絵は描けているつもりだった。
小学校では「上手」と言われていた。中学校の美術の先生には不評だった。美術の成績も中学では落ちた。
以来、あまり絵を描く気にはなれないでいる。
「てか、正直言うとあと1人1年の部員がいると予算のランクが1つ上がるんだ。」
躊躇している静香に、忍が歯を見せて笑いながらそう言った。
「幽霊部員でもいいからさ。」
「あ・・・はい。」
「よしゃ! やった! 予算獲得!」
「萌百合は予算か?」
歩夢がツッコむと忍が豪快に笑った。数人が一緒に笑う。
静香も思わずクスッと笑ってしまう。
こんな環境、今までなかったなぁ。いい人たちだ。
その日は早速、忍に手を引かれるようにして美術部の部室へ行った。
部室は一般の授業で使う美術室の隣にあって、授業のない時は美術室の方も使っていいということだったから、使える面積はけっこう広い。
部室の中に入ると油の匂いがした。
「油絵の具の匂いですね。」
「テレピンだよ。絵の具じゃなくって。・・・てか、なんで同級生に敬語?」
「あ・・・すみま・・・ごめんなさい。」
「いや、いいんだけどな。それも個性だから。」
忍がちょっと呆れたような微笑で、ふっと息をもらす。
「栗真センパイ、早いっすね。」
忍が部室で20号キャンバスに向かっていた男子(たぶん2年生)に声をかけた。
「おう。阿形か。そっちの子は?」
「萌百合静香ちゃん。予算でっす!」
「おおお! 入部希望者かあ!」
栗真と呼ばれた男子生徒は、筆とパレットを脇に置くと、飛びかかりそうな勢いで静香の前までやってきた。
短髪を天に向かってそそり立たせたようなヘアスタイルで、片耳にピアスをしている。背はあまり高くなく、阿形忍と大して変わらなかった。
学校はあまり服装とかうるさくはないが、それにしても阿形さんといい、栗真先輩といい、静香の「常識」でもかなり突き抜けているように思う。
制服の上に着けたエプロンは絵の具だらけで、それ自体1つの抽象絵画みたいになっていた。
「おっと、これ以上近づいたらピカピカの制服絵の具で汚しちゃうな。ほんとは抱きしめちゃいたいとこだけど。」
屈託のない笑顔を見せる。
「それ、セクハラっすから。」
忍が冷ややかに言う。
「だぁいじょーぶだ。お前に抱きつこうとは思わないから。」
「そっちの方が、もっとセクハラです!」
2人の漫才みたいな掛け合いに、静香は思わず顔をほころばせる。
「萌、これが普通だと思わない方がいいぞ。美術部は変わりもんの集まりだから。」
「いいやあ、これがフツーだよ。」
栗真センパイが両手を広げる。
「ぜひ馴染んでくれたまえ!」
「センパイ。そういうこと言わない方がいいですよ。この子、『普通』がなんなのか分からないって世界で育ってきてますから。」
「え・・・?」
栗真センパイが、どういう表情をしたらいいか分からない、という顔で静香の方を見た。
「え・・・?」
もう一度忍の方を見た栗真センパイに、忍は柔らかく言った。
「そのうち萌ちゃんが自分で言いますって。」
「よろしくお願いします! ときどき変なこと、言うかもしれませんが!」
静香は上体を90度に折り曲げるようにしてお辞儀をした。そうして、絵の具で汚れた床を見ながら、静香はそれが『希望』という絵であるかのようにも思えたのだった。
これが、高校。
見たことのない新しい世界。
魅力に満ちた——。




