誰が為の遠吠え
おじいが山で拾ってきた犬、タローは毎朝6時ごろに遠吠えをした。
隣の家の田中さんが犬を連れて近くを散歩していたから、タローは多分なわばりを主張しているのだろう。
7時には新聞配達を終えて帰りがけの鈴木さんに吠えて8時も何かに吠えていた。
夏休みに入ってタローの一日を見てみると私がいない時間のタローを見ることができて、8時の正体はリスであった。そのあとは通行人さんに吠えたりで特に面白いこともない。
「あー、つまらない。」
せっかくの夏休み、おもしろいことをしたいもんだ!!と考えていたけれど
気づくと夏休みはもう半ばを過ぎていた。
私はその時少し焦りながらまだどさりと残る宿題にうんざりとしてまだ楽そうな自由研究に手を付けて、何をしようか迷う昼の12時。
TVを付けると冒険番組の再放送が映っていて、退屈に溺れた私の心にびびっときたものだ。
さて、家の近くにはタローの生まれた小さな山がある。
そこで面白いことと宿題を同時にこなせそうなこの山に意気揚々と私は乗り込んだのだが小さくてもやはりそこは山であった。私はあれよあれよと目に映る光景に惹かれていくうちに帰り道が分からなくなっていた。迷子である。
夜の山は怖い。僅かな月明りも周りの木々が吸い取りまるで闇がうごめいているようだった。
あまりの怖さに私は大きな木の根の下で縮こまり震え、眠れぬ夜を過ごしたのだがもうすぐ日が昇ろうかと言うときタローの声を聞いた。
「遠吠えだ」
光が差し込み始めていたこともありタローの声は私にとっての救いの声で、声の方向へ一目散に駆け出した。
それから時が経ちタローは一日一日を懸命に生きている。
定位置から動くこともできず、ご飯の匂いをかぎ分けることも出来ない。
耳も衰え、何度も呼びかけようやく耳が動くこともしばしば。
既に際の際で時折か細い声で鳴くタローの遠吠えに私はそばにいて撫で、声をかけることで答える。
遠吠えは不安や悲しみの表現として使われる。
親しい者が親しい者と離れることへの恐怖だろうか。
遠吠えはなわばりを主張することに使われる。
私たちの家を守るためにいつも鳴いていてくれていたのだろうか。
遠吠えは仲間を探すためにも使われる。
あの時帰れなくなった私を探してくれていたのだろうか。
私はここにいる。たくさんの思い出と愛情をくれた君へ最後の一時まで愛を込めるから。
誰が為の遠吠えは、今この時だけは君の為であることを切に願う。
読んでくれてありがとうございます。