第85話・慇懃なる丸投げ
上州 箕輪城主、長野業正の扱いについて、甲府で方針が出ましたね。
ぶっちゃけ、上州対応は真田に丸投げな内容なので、如何に上手く説明できるか が、肝ですよねぇ。
で、山本勘助が 「我と幸綱殿の仲じゃ、お任せあれ!」 と胸を叩いて諏訪に向かったのですが…
戦国奇聞! 第85話・慇懃なる丸投げ
諏訪上原城の一室である。
20畳ほどの広さがあるが、一角に小さめの机が置かれ 人はその周辺に固まって座るレイアウトとなっている。
残りの空いた空間には無造作に毛皮が掛けられた衝立がランダムに置かれ、雑然としている。
この部屋は城西屋敷の御経霊所吽婁有無に相当する、極秘の打ち合わせに使用される場所なのだ。
人が座る場所の後ろは分厚い土壁で、廊下に面した空間は毛皮の衝立で音を吸収する盗み聞ぎ防止仕様の、高度セキュリティルームなのである。
本日の利用者は7名。
実質的上原城城主、武田信繁と、側近の山高親之が上座に座り、左右には佐久から来ている真田幸綱と望月新六、甲府からは山本勘助と古澤亮が坐し、末席に坂井忠である。
村上義清と睨み合いが終わり、望月の者も大手を振って諏訪に来れる様だ。
緊張の面持ちの坂井に新六が声を掛けた。
「忠継(坂井)、久方振りじゃな。…城西衆も元服したと噂を聞いたが、名は忠継から何となった?」
「俺…私はまだ元服してません。 御師匠…禰津様に烏帽子親となっていただくお約束でしたので、神平様の帰国を待っています」
「おぉそうであったか。 兄者も神平様もいつ戻るやら、待ち遠しいの…それはそうと、何故 忠継が居る? 雪斎党の尻尾でも追って来たか」
「新兵器も出来たんで、武器の操作説明です。
春日が小型の手投げ弾を作ったんでそれの使い方や、煙玉(煙幕)とか火炎弾(メタノール徳利)とか、随分改良されたので。
新六さんも新型は見てないでしょ? 真田の人達は使った事無いでしょうし…」
説明を始めそうな坂井を勘助が制しながら
「忠、それは後じゃ。
まずは甲府に集まった知らせと躑躅ヶ崎館の読みをお伝え申す。それと真田殿への御屋形様からの御指図も…」
勘助の言葉に信繫を初め、大人たちが頷いた。
本日の正式な議題は上州(埼玉・群馬)の動きの認識合わせ…早い話、長野業正への対応方針の伝達である。
普段の一般的な伝達事項は書状でやり取りされている。
甲府と諏訪間は定期的に報告書が行きかい、伝達漏れが無い体制が取られているのだが、今回の件は色々と罠の掛け合い読み合いが絡み、経緯説明を書くのが面倒くさくなった勘助が直接来る事を選択したのであった。
本当は書面にした方がややこしい話しは整理できるし、記録も残るのであるが、性格上 勘助は苦手であった。
そんな訳で勘助が今川家からの書状内容と武田の対応方針を説明し、活発な質疑応答が行われた。(記憶が曖昧な方は前話を再読!)
特に信繫は今川の意図について踏み込んだ質問を発した。
「今川は河東で北条と揉めて居るのであろう?
ならば河東では我らと手を組み、上州では上杉と手を組んで北条を挟み撃ちするが順当と思えるが。
なぜ、嵌め手を使ってまで上杉を討ち北条に手を貸すと読むのじゃ?」
「信繁様はお若いゆえ、今川と北条の縁をご存じ無いでありましょうな。
ならば、年寄りの勘助が講釈進ぜよう、おふぉん。(咳払い)
…そもそも北条と名乗りしは先代、氏綱公よりの事、祖である早雲公は、元の名伊勢新九郎 盛時と申す者にて、伊勢氏の出。
その者が如何なる次第で、坂東へ下ったかと申さば…」
―――――――――
えーと、中の人です。
勘助が若者相手に北条家の成り立ちを滔々と語り出しました…かなり長くなりそうですね。
今川家と北条家の関係は第75話でズブズブだったとお話しておりますが、北条の祖 伊勢新九郎・盛時と今川家の縁は触れていませんでした。
長くなるので避けていたのですが、それを知らないと、寿桂尼様の思いが理解できず、今川の方針が納得できないと思われます。
なので、サクっと説明するつもりですのでよろしく お付き合い下さい。
では、
“北条早雲” と言えば、戦国時代初期に彗星の如く現れ、一介の素浪人から伊豆・相模の国主となったとされる、下剋上のスーパースターです。
その逸話は魅力に溢れ、聞く者を魅了するのですが、実は室町幕府の役人であった様です。
それも申次衆と言う、将軍御所に参上した者の名や用件などを取り次ぐ係でした。
どう補正しても それ程、重要とは見えない御役目ですね。
そんな伊勢新九郎が何故坂東に来ることとなったのか?
話しは物語世界から80年ほど昔、応仁の乱が起きた頃 今川義元の祖父である8代当主今川義忠から始まります。
義忠は幕府管領の求めに応じ上洛し、東軍として応仁の乱に参戦しました。
が、初上洛の義忠が都で有名人とアポを取るには、申次衆の新九郎に頼るしかなかったのでしょう。
義忠は度々、新九郎に取り次ぎを依頼し、京の都で爪痕を残そうと奮闘します。
それが縁となったのか、新九郎の姉と義忠の婚礼話が持ち上がり、伊勢家も割と名門なので両家つり合いが取れなくも無く、トントンと話しは進み 今川家に輿入れし北川殿となります。
これで新九郎は駿河守護と義兄弟となった訳ですね。
北川殿は次期当主(今川氏親)となる龍王丸を産み、今川家も安泰と思われた刹那、今川|義忠は隣国 遠江勢の襲撃を受け死去してしまいます。
残された嫡男龍王丸は幼少で、家督を継げる力は無い…結果、有力家臣の派閥が絡み 家中を二分する家督争いが勃発するのです。
更に扇谷上杉家やら堀越公方までチョッカイを出して来て、駿河だけの話しでは無くなって来たのです。
何かこの状況、どこかでお話しましたね…人間の性と言うべきか、古今東西 家督相続を発端とした血みどろの権力闘争は絶えないのです。
もう少し平和的に…現代の政党の党首選とか、大手企業の後任社長選出の様に、投票とかで決められないのでしょうか。
…とも思いましたが、表向き平和的な選挙であっても、裏では多数派工作でエグイ手を使っている…てな話も聞きますからね。
直接的な生命の死を齎すか、社会的地位の死を齎すか 使用する武器・手法が違うだけで、やっている事は大して変わらない気もして来ました。
さて、今川家の家督争いですが、龍王丸方にとって不利な情勢となっていました。
そこで北川殿は藁をもすがる思いで弟を頼るのですが、新九郎は一介の役人。
軍勢などは持っていませんから、力で押し返すなんて事は出来ない。
しかーし、新九郎は姉を助けるべく駿河へ下り、敵対勢力へネゴシエーションを行うのでした。
そして龍王丸が成人するまでとの条件付きで、敵対勢力の推す人物が家督代行になる案で決着させたのです。
一介の役人が守護家の家督争いを収めたのですから、大した交渉力ですよね。
正に下剋上のスーパースターと思わせる話しでありますね。
が、実は幕府の命により、駿河守護家の家督相続に介入すべく新九郎が派遣された…との説もあったりします。
今川家は将軍足利家と近い家柄なので、今川家中の争いは聞こえが悪いと、将軍家が介入し仲裁したと言う事ですね。
自分(将軍家)の所の棚上げ感はハンパ有りませんが…
そんな将軍家の言う事に説得力があるのか? と疑問も湧きますが、堀越公方や扇谷上杉など 守護家に集っている連中は、多かれ少なかれ幕府の威信を笠に着ている勢力です。
幕府を否定しては己の正当性も否定する事になるので、将軍の肝いりで派遣された調停人には従わざるを得ないのであります。
そう考えれば、割と簡単な仕事であったかもしれませんが、新九郎が争いを収めたのは事実です。
調停を済ませた新九郎は京へ戻り、今度は奉公衆(武官官僚)に任命されたりしています。
取り次ぎ役から将軍親衛隊ですから出世なんでしょうね…知らんけど。
そんなこんなで数年が経ち、龍王丸も無事 元服の年齢に成ったのですが、敵対勢力側が一旦手に入れた権力を簡単に手放す事は無ありません。 (予想通り、との声が聞こえますが…)
再度、北川殿は弟を頼り、新九郎は駿河へ下向するのですが、武官官僚となった今回は拳による話し合いを選択します。
新九郎は同志を集め時機を捉え、敵勢力の拠点を一気に叩き、相手を自害に追い込みました。
そして敵を一掃した新九郎は龍王丸を元服させ、今川氏親を当主に据えたのでした。
またしても見事な手際でありますが、当然 裏では足利将軍家と堀越公方の了承を得た行動でしょう。
隙あらば利権を掠め取ろうとしているハイエナの様な周辺が、横槍を入れて来ていないのが何よりの証拠です。
現代に置き換えると、警察庁警備局の課長が許可を得た上で直接指揮し、地方で簒奪を続ける集団のアジトにSATを突入させ、殲滅させた…的な事案であります。
駿河では年若い甥の氏親を補佐し、守護代の役割を果たし、同時期に堀越公方の直臣となって、伊豆国に所領を与えられたりしています。
再び現代に置き換えますと、政府官僚でありつつ県の副知事を務め、同時に特定公社に出向し役員報酬を受けていた…的な立ち回りですね。
この縦横無尽な公務員振りは、実力プラスあちこちへの目配り気配りが必要な仕事ですので、下剋上のスーパースターより難易度が高いと思うのは私だけでしょうか…
そこから先も 駿河(副知事)、伊豆(公社役員)、京(官僚)と複数の草鞋を履き続ける新九郎ですが、今度は堀越公方と将軍家に跡目争いが起きます。
まったくどいつもこいつも…と言う状況で、新九郎もここに至り 草鞋を脱ぎ捨て、伊豆の堀越御所に討ち入ります。
あっちこっちの公務員である事を辞め、トップになる事を選択したのです、方法は選挙では無く クーデターですけどね。
この 伊豆討ち入りは、新興勢力が勃興する下克上の始まりとされていて、これぞ下剋上のスーパースターの行動です。
なのですが、実はこれも中央の政治と連動した動きを取っていることが近年の研究で分かって来ていまして…
誰がどこまで糸を引いていたか…陰謀論好きには堪らない御馳走となっていますね。
えーと、話が蛇行した感がありますが、一言で言えば今川家と北条家は血縁関係があり、先代で言えば叔父・甥の間柄、現当主間は従兄関係ですね。
まぁ、近隣の有力者間との政略結婚は、安全保障の第一歩みたいな策でして、日本は言うに及ばず 欧州ヨーロッパの王族は数代遡れば皆親戚。 ハプスブルク家やブルボン家が有名ですよね。
で、この政策に効果があったのか? と問うと…抑止力は一代続けば良い方。
血縁より地縁の方が強い、と言うのが歴史上の冷酷な事実なんですけどね。
ですが! 義理堅い寿桂尼様にとっては、北条家は地縁より上の関係なのです。
夫を駿河守護にして呉れたのは新九郎(早雲)であり、北条家には足を向けて眠れないと思って居られるです。
と、想定より長くなってしまいましたが、これでも勘助さんの話しよりは大分省略したんですよ。
取り敢えず北条家と今川家のディープな関係をお判りいただけたと思います。
以上です、上原城へ戻しまーす。
―――――――――
「と、如くなる次第で寿桂尼様は北条を討つ気など、更々無いと言うのが、躑躅ヶ崎館の読みに御座る」
勘助は四半刻(約30分)にも及ぶ昔語りを語り終え、満足気である。
聞き手のうんざりした沈黙を破り坂井が一言
「話し長いよ、勘助さん…」
「ふぁ?」
坂井の一言で呪縛が解けたように他の聞き手も深い吐息を吐いた。
皆も “年寄りの話しは長い“ と思っていた筈であるが、信繁が労いの言葉を勘助に掛けた。 (…人間の出来が違う様である)
「勘助、大儀であった。今川と北条の縁 良く判ったぞ。
したが今川家内々の事、隠し置くべき話しと思えるに、良く知って居るものじゃ。
調べは手間が掛かったであろう」
信繫からの褒め言葉に勘助は照れたような表情を浮かべ、返答した。
割と素直な所が在るのである。
「いやいや、我が家も駿河とは縁がありますゆえ…
御存知やも知れませぬが、我が伯父は今川家家老を務めております庵原忠胤でありまして…
先程の話しも伯父より聞いた物にて…いやはや お恥ずかしき事…」
「別に恥ずかしがる事もないが…」
信繁の言葉に皆が頷いた所で、山高親之が新たな疑問を口にした。
「寿桂尼様が北条を滅ぼす様な事は成されない、との読みは得心したしましたが…
我が武田を巻き込んでの罠を張り、上州を北条に呉れてやろうと言うは、些か先走りでは御座りませぬか?
河東で手打ちを致せば北条は兵を戻せましょう…さすれば上州勢に付け込まれる隙も無くなりまする。
それだけでも今川は北条に恩を返せるのでは?」
勘助は山高を片目でギロリと睨み
「ほう、お主はそう読むか…
今川が北条へ合力する理由は恩返しだけでは無いぞ。
まず、河東が諍いの原因は何と心得て居る?」
質問に質問で返された山高は眉間を曇らせながらも返答した。
「それは…我が武田の姫が義元様へ嫁がれたがゆえ、と聞いて居りますが」
「左様! 武田は先代の信虎様、先々代信縄様の頃より 上州の上杉と共に、度々相模の北条へ攻め込んで御座った。
その憎き武田の姫を坂東で唯一の味方と心許していた今川が、断わりも無く嫁とした。
北条としては 裏切り許すまじ と思ったのであろうな。
ゆえの河東出兵じゃ」
山高は勘助の言葉を飲み込む様に頷いた。
その顔を見ながら勘助が更に言葉を続ける。
「河東が事は北条からしてみれば今川の裏切りに対しての報復じゃ。
義元から詫びの一つも無ければ、兵を引く訳にはいかぬであろう?
…そこでじゃ、諍いの元でもある武田を使い、上州勢を罠にかけ、若き当主北条氏康様に勝ち戦を送ろうと言う算段であろうと、読んだのじゃ。
これならば今川から詫びが入ったも同然、堂々と兵を戻す理由になる…如何にも雪斎禅師の考えそうな事よ」
勘助の解説に山高が反応するより前に古澤が反応した。
「へえ~深いんですねぇ。 これが政治ってヤツですか」
「お、 そうじゃ…これが政と言う物じゃが、お主は甲府でも聞いて居ったであろう…腑に落ちて居らなんだのか?
…まぁ、亮には不向きかもしれんがな」
と ここで、それまで黙って話しを聞いていた真田が憮然とした表情で口を開いた。
「今川と北条はそれで良いであろうが、武田と上州は面白く無い!」
勘助は首を傾げつつ返答した。
「上州勢は左様であろうが、武田は埒外じゃろう。 特に害は及ばぬぞ」
幸綱は勘助の回答が気に入らなかった様である。
「はぁ? 切れ者の軍師殿とは思えぬ言葉じゃな…
北条が相模、武蔵に留まらず、上州まで手に入れるとあらば、次に狙うは甲斐信濃。 甲府はそれに気付かぬのか?
今川だけでも気が許せぬ所に北条までも大きくなられては、武田としては落ち着かぬであろうに。
御屋形様は如何お考えなのじゃ!」
幸綱の反応に 最近詰られる事が多いなぁ と思いながらも勘助が返答する。
「幸綱殿が申す事は尤もなれど、今川の手前 あからさまに上州へ加勢の軍は送れまい?
そうでなくても、上杉は頼んでも居らぬ武田の合力をすんなりと受け入れる筈も無い。
落ちぶれたとは言え、関東管領の矜持は残って居るじゃろ…そうは思わぬか?」
理屈は判っているが怒りは収まらないのであろう、口元は笑っているが目は険しいまま幸綱が口を開いた。
「武田の本音は判るが、長野様が知らせで雪斎坊主が企みが露見したのであろう?
ならばまずは礼を述べ、駿河が動き怪しからず、努々怠りなく と忠告するが人の道ではないか?」
幸綱の言葉に信繁らは一様に頷いたが、勘助と古澤は顔を見合わせ、吹き出した。
自分の真剣さを笑われたと思い、幸綱は怒った。
「な、何を笑う! 我の言葉の何処が可笑しい!」
「否、幸綱殿の言葉は真実…されど、ははは・・」
笑い出した勘助に代わり、古澤が説明しだした。
「美月先生がですね、噛みついたんですよ。
秋山さんが上州は無視しろって言った時、真田さんと同じ事言って、秋山さんとか駒井さんに喰ってかかったんです。
で、晴信さんが美月先生は仏だって…十郎兵衛さんの負けだって、はははh」
幸綱は古澤の説明にかえって混乱した様に
「何と? 美月殿が仏! まさか命を落とされた?」
「いやいやいや、違います。 死んでいませんよ、彼女はそんなヤワじゃないですって。
仏の教えって言われたんです、ふふふ」
「よう判らんが…美月殿はどうせよと申したのだ?」
「されば、我等がここに居るのじゃ。 武田は上州に恩義は無いが、城西衆は真田殿に大いに恩義がある。
なれば、幸綱殿の恩人は城西衆の恩人でもある。
手元に有った煙玉に火炎弾、それに毒消しに遠眼鏡 有りっ丈を持参致したゆえ、長野様への助太刀に参られよ」
「御屋形様は真田が加勢をお許し下さるのか?」
「仏の道と申したのだ、当然であろう。 武田が表立って動けぬゆえ、真田に頼むと申して居ったぞ」
室内の空気が和やかになったのを見極め、幸綱に向かい信繁が口を開いた。
「して…幸綱はこの話、どう使う気じゃ?」
幸綱は既に考えていたのか、スラスラと喋りだす。
「今川の狙いが上杉であるならば、そして彼奴等の武器が鉄砲であるならば…
河越城に攻め寄せた所を襲われるが一番危なく御座ろう。
攻め手は家臣に任せ、上杉憲政様が戦場に立つ事無きよう、諫めるが肝要。
何かと頼りにされる長野様の意見なれば憲政様も聞く耳を持たれる筈と思って居りますが…」
信繁は満足気に頷いたが、今まで黙していた新六がボソリと疑問を口にした。
「憲政様が意見に耳を貸しましょうや?
以前は頑なに長野様の参陣なくば河越には行かぬと申されていた方が、何を置いても出陣されると 変わられた。
長野様は雪斎党に誑かされたと申されておいでだが、鉄砲に誑かされたので御座いましょう。
あの雷鳴とあの威力を目の当たりにすれば、長野様の御力なぞ当てにしなくなりましょう。
我は那古野で鉄砲の雷鳴とその後の惨さを知って居るゆえ、判り申す。
鉄砲には怪しき魔力があり申す…」
幸綱は眉間を曇らせたが無言であった。
信繫は思い出した様に相槌を打った。
「そうであったな、忍芽殿は雪斎党の鉄砲に討たれたのであったな…
幸綱、新六が懸念は如何思うか?」
幸綱は暫し黙したが、これも考え済みであったか、淀みなく返答した。
「雪斎党にすっかり騙されて居る様であれば…
鉄砲の力を知る我等が陰で憲政様をお守りするまで、と心得て居ります」
信繫は頷きながら幸綱に向かい
「此度は彼奴等の企みを挫いて遣りたい物じゃな…
したが、上杉を守る為に真田が傷付くは論外じゃ。
鉄砲への対策は考えて居ろうな?」
最後の問いに対しては勘助が即答した。
「されば煙玉に火炎弾に手投げ弾、それに遠眼鏡をたんと持って来たので御座る。
那古野では後れを取ったが、相手が鉄砲隊と判って居れば、これらの備えで充分戦え申そう」
発言のタイミングを図っていた坂井が喰い気味に言葉を被せた。
「春日が鉄砲隊相手の作戦を色々と考えています。
それをお話するのも俺の役割ですし…それに剣の腕も上がったので雪斎党相手でも、色々と役に立てるかな、と」
幸綱と勘助が同時にツッコンだ。
「お主は戦場に出る気で居るのか? ならぬ! ならんぞ!
駿河や尾張では止むを得ず刃傷に及んだが、お主を戦場に出す訳にはいかん」
何か言いたげな坂井を制し勘助が言葉を続けた。
「特に此度は尾張以上の鉄砲隊が相手じゃ。 刀では太刀打ちが効かぬ…言葉の通りじゃな。
真田衆は十座を初め 常人では無いのじゃ。
異能の者ゆえ雪斎党を翻弄出来ようが、我等の様な常なる者(一般人)は足手まといとなるだけじゃ。
兎も角、そんな訳じゃから 忠の役目は武具指導。 それだけじゃぞ」
勘助の言葉に幸綱は補足する様に言って聞かせた。
「そうじゃ、我等とは違うのじゃ…
我が真田が化物の様に言われるのは ちと、気にはなるが、勘助殿が言う通りじゃ。
それに十座が鉄砲を持ち帰れば、その時はまた城西衆には知恵を借りる事になろう。
焦らずとも力を見せて貰う時が来るわい」
「そうじゃそうじゃ、十座が鉄砲を持ち帰った時は…なに?!」
幸綱の言葉にウンウンと頷いていた勘助であったが、ふと気づき幸綱に詰め寄った。
「幸綱殿 今、十座が鉄砲を持ち帰ると申したか?」
「ん? 申したが…それが何と?」
「十座が鉄砲とは何の話しじゃ、と聞いて居るのじゃ。
我は常々鉄砲を手に入れる算段を捜しておったのじゃ。何が起きて居る?」
「ん…勘助殿は聞いて居らんのか?
飯富様が堺津で鉄砲が売りに出ているのを嗅ぎつけたのじゃ。
それを御屋形様が聞きつけ、神平殿を迎いに行かせる十座に序に堺で買って来いと、砂金を渡されたのじゃ」
「へ…そういう事になって居るのか?」
勘助は始めて聞く話しである。
思わぬ言葉に勘助は信繁に目をやると、信繁もうんうんと頷いている。
なぜこんな重要な話しが軍師である自分が知らされていないのか?
勘助が思わず
「えー知らんぞ。 そういうの、早く言って!
幸綱殿、十座は何時もどるのじゃ? 知らせが届いて居ろう? 鳩は?」
「わ、判らぬ。 知らせも鳩も来ては居らぬ」
わぁわぁやっている二人を信繁が止めた。
「勘助、鉄砲の熱望は判るが、その話しは後にいたせ。
今は上州への策を如何にするか、真田が動きに無理がないかを先にせよ。
幸綱、改めて訊くが 上州への備え…陰で守るとして、真田の者だけで手は足りるか?」
幸綱は笑顔で返答した
「我が一党と ここに居ります望月など、佐久の者を使えば数は足りるかと」
信繫は頷き、山高に目を遣り指示を出した。
「諏訪満隆に話しを通して置け。 真田と諏訪が動いても今川へは如何様にも言い逃れが出来よう。
それと城西衆の武具指導、満隆の隊と共に山高の隊も受けておく様に」
幸綱と勘助が信繁に無言で頭を下げた。
甲府からの丸投げ案件は諏訪で精査・見直しが掛かり、共同プロジェクト化されたのであった。
取り敢えず ヨカッタヨカッタ という所でそろそろ紙面が尽きる。
前話で “真田と上州のモニタリング” と予告していたが、上田城から一歩も動かずに終わってしまった…
次回からは箕輪城の長野業正、平井城の上杉憲政を追って行き、河越城へ向かう上杉を押し止める事が出来るのかを 今度こそモニタリングするつもりなのだが、出来るといいな…
と予告し、今回はここ迄。
第85話・慇懃なる丸投げ 完




