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第84話・會議は踊る 或いは甲府評定

ナポレオン失脚後の1814年、ヨーロッパの秩序再建と領土分割を話し合うウィーン和平会談が開らかれました。

参加国代表の親睦を深める為、盛大な舞踏会も併催(へいさい)されたのですが、舞踏会は大盛り上がりをみせる一方で、本来の主旨である「話し合い」はまったく進みませんでした。

1931年にはそれを題材としたオペレッタ映画 『會議は踊る』 が世界的ヒット。

なので結論の出ない集まりを欧州では ”The Congress dances、but it does not progress.” (会議は踊る、されど進まず)と言ったとか。

日本では結論の出ない会議の故事成語は 『小田原評定』 が定番ですね。

どちらも もはや死語。 古い物好きな変り者しか知らないでしょう。

今回のタイトルは捻り過ぎて伝わらないだろうと、前書きで保険を掛けるのでした。

中々結論が出ない会議の話しなので、イライラされると思いますが、今の世の中でも多数の会議はこんなもんです。

では本文へ。

戦国奇聞!(せんごくキブン!) 第84話・會議は踊る 或いは甲府評定


 商売は小さい分には大した儲けもないが、大きく失敗することもない。

 それが事業を急拡大すると、ちょっとした判断ミスが倒産につながるかもしれない。

 いきなり何の話だ? と思われただろうが、甲斐武田家の今なのである。

 …面白そうなので現代の商業活動に例えて、甲斐と周辺国の状況を説明してみたいと思う。

 戦国時代を現代のビジネス誌的に言うと、規制緩和(幕府の威信低下)を背景に異業種参入(下剋上)で、老舗も安穏ではない大荒れの業界…となろうか。

 関西で起きた業界再編(応仁の乱)の波が後北条ホールディングス(伊勢新九郎(しんくろう))と共に坂東に到着し、名門今川産業(駿河今川家)と手を組み、マーケット(坂東)を蚕食している状況となったのだ。

 良くも悪くも甲府盆地を中心に営々と店を守って来た老舗 武田商事の店主信虎(のぶとら)は、山の向こうの出店競争(領地争奪)に焦ったのか、遅ればせながら信濃や上州に手を伸ばした。

 ビジネス誌的に言うと “ライバルに対抗する為の攻めの出店” である。

 が、無理を重ねた店舗展開に古くからのプロパー店員(家臣)や番頭(譜代の重鎮)が悲鳴を上げた。

 結果、帳面付けの修行中だった店主長男を担ぎ、社内クーデターで業務提携先の今川商事に信虎社長を押し付けた。

 と言うのが武田晴信(はるのぶ)が当主となった甲斐の国なのである。

 そして代替わりを好機と見た小笠原物産(小笠原長時(ながとき))やら高遠商店(高遠頼継(よりつぐ))が敵対的TOBを仕掛けて来たが、新商品(勘助&城西衆)投入で株価が上がり、防衛に成功。

 直接経営の予定だった諏訪店、深志店、伊那店を順次フランチャイズ契約に切り替え、プロパー店員の負担を抑えた。

 深志の商圏を窺う様な怪しい動きを見せていた北信の村上本舗(村上義清(よしきよ))とは合弁事業を立ち上げる形で決着を見た。  【←今ここ】


 新社長(武田晴信)の守りの経営方針で息をつげた武田商事の従業員(家臣団)であったのだが、業界の動き(坂東の情勢)に取り残される懸念を感じ始めていた。

 喉元過ぎれば…と言うヤツであるが、人の心はそんな物である。

 そんな折、渡りに舟と言うべきか 今川商事から後北条ホールディングスへの敵対的TOB(河東出兵)への参加の誘いが届いた。

 目論見書(雪斎の書状)を読む限り、敵対的TOB成功の可能性は高い様に見えた。

 しかし今川商事創業家(寿桂尼様)からの私信やら、別ルート(真田幸綱)から入手した裏情報やら、食い違いが出て来たのであった。

 役員会(躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の評定)は紛糾した。

 かつかつの財務運用で経営している武田商事にとって、事業投資(対外紛争)はハイリスクである。

 ここは冷静に、じっくり吟味して戦略を練るべきなのだが、役員会では声の大きい重役(家老)や厳つい顔面で威嚇度の高い取締役(剛の者)など、重鎮たちのマウント合戦となってしまったのであった。

 このまま会社方針を決めると、どの様な方針でも禍根が残る事は明白。

 …事程左様に会社経営(重鎮評定)は微妙かつ面倒くさいのである。

 若き日は名君であった者が後年 絶対的独裁者の暴君となるのは “歴史あるある” だが、民主的運営に疲れた果てた結果が強権独裁なのかもしれない。

 今の所 まだ名君である晴信は強権発動せず、方針は保留のまま 水入りとしたのであった。


―――――――――

 所変わり、城西屋敷、御経霊所吽婁有無(オペレーションルーム)である。

 今川家書状などをここへ持ち込み、ブレインストーミングを行うのだ。

 メンバーは武田晴信、甘利信忠(あまりのぶただ)、秋山十郎兵衛(じゅうべえ)駒井政武(こまいまさたけ)に山本勘助のいつもの面々。

 それに城西衆の教師で、久しぶりに古澤の顔もある。

 センターテーブルに並べられた三通の書状を駒井が読み上げ、勘助が鷹羽たちに通訳する流れで情報共有がなされたので、読者諸氏とも情報共有してみよう。

 ①雪斎の書状要約

 揉めている河東の北条を一掃すべく大攻勢に出るので、同盟関係の武田へ以下A、B、Cのいずれかを要求する。

  A:河東へ五千ほど援軍派遣

  B:雷玉の五百個提供

  C:火薬の製法開示

 A,Bは取り敢えずの数であり、状況如何では追加要求があり得る。

 Cが提供されるならば 以降の援軍要請はせず、 かつ 取り戻した河東の利権を分け合っても良い。


 ②寿桂尼の書状要約

 以前打診した武田晴信嫡男・太郎と今川義元一の姫・美禰(みね)との縁組の返信催促。

 ただ、義元が美禰を溺愛しており、甲斐への輿入れに横槍を入れる可能性があるので、遠からず落ち着く河東の地を両家の共同統治とし、そこに住まわそうとの提案。

 今川に二心(ふたごころ)の無い(あかし)として、門外不出である今川家の家訓 『今川仮名目録』 を同封して来た。


 ③真田幸綱の書状要約

 上州箕輪(みのわ)城主、長野業正ながのなりまさから以下の情報がリークされた。

  ・今川から上杉憲政(うえすぎのりまさ)へ河越城の北条を挟撃する誘いがあり、雪斎党の鉄砲隊が既に上州に乗り込んでいる。

  ・雪斎党の説明では河東の今川は北条を引き付ける役目であり、河越城の主戦力は雪斎党の大量の鉄砲隊で殲滅する計画で、上杉憲政は非常に乗り気になっている。

  ・佐久への侵攻も実は雪斎党の策であったが、途中で突然河越城へ目標を変更して来た。

   理由を質したが確とした回答は得ていない。

  ・長野業正の直感では雪斎党の提案には裏があると感じている。

 バーターとして今川と同盟関係の武田に裏情報の提供を懇願されている。


―――――――――

 情報共有が為された所でブレスト形式で気になる点が挙げられた。

 まず駒井政武(こまいまさたけ)が苦い顔をしながら雪斎の要求にツッコンだ。


「雪斎殿は簡単に兵五千を河東へ送れと申されるが、どの程度の期間を見積もって居るかも記して居りませんし、兵は動かすだけでも銭を喰い申す。

今は、釜無川と犀川の治水、新田の開墾…と 勘助殿の助言に沿っておるゆえ、銭が飛ぶように消える。

ここでの派兵は痛手で御座る…」


 財務官僚らしい本音である。

 名指しされた山本勘助も苦い顔で意見した。


「派兵は辛いと言われても、雷玉五百個は大概じゃぞ。

そもそも村上に約した犀川の水路整備で手持ちの火薬は殆ど残って居らん。

五百を作る程の火薬が無いぞ」


 駒井と勘助は顔を合わせ


「となると…火薬の製法を知らせるのが一番得、じゃな。 御屋形様、結論が出ましたぞ」


 駒井と勘助の話しを聞いていた鷹羽が慌てて喋ろうとした時、十郎兵衛が声を発した。


「暫し! お二人共雪斎和尚の手管に(はま)って居りますぞ…」


 (いぶか)し気な視線を送る駒井に向き直り、してやったりの表情で十郎兵衛が語り出す。


「雪斎殿の書状、自分に都合のいい回答を相手に選ばせる手練手管が入っており、その手にまんまと乗ったと申しておる。

まず第一に、三つがうちから選ばせると言うは…」


―――――――――

 えー唐突ですが、中の人です。

 秋山十郎兵衛さんが得意げに話し出したのは 『誘導術』 のあれこれで、現代のマーケティング等でも利用されているテクニックについてです。

 怪僧雪斎の書状は自分にとって都合のいい選択肢に相手を誘導していく物だ…と言っているんですね。

 具体的にはどの様な物か…を解説しましょう。

 まず、A,B,Cの具体的行動を上げ 選択させる形式でしたね。

 この手法だと 『今川を助けるか、どうか』 という選択ではなく、何かしら援助することが前提となるんです。

 つまり相手を無意識のうちに協力者に取り込んでいる訳ですね。

 人使いが上手い人が良く言いませんか? ”悪い、ちょっと手伝って。AとB、どっちが出来そう?” てヤツ。

 この手法の注意点としては、提示する選択肢を増やしすぎないこと。

 選択肢が多すぎると選ぶのが難しくなり、選択すること自体をやめることにも繋がります。

 これは ”決定回避の法則” と呼ばれています。

 ではどの程度の数が良いか? の目安は4~6個程度、これが人が自信を持って選べる個数と言われています。

 ですが、認知心理学における 『ワーキングメモリ(作動記憶)』 を圧迫しない選択肢の数は3個程度が望ましい…つまり相手を誘導したいのならば、選択肢は3つが良いよ…てな具合です。

 次に選んでもらいたい物を高い確率で選んで貰うテクニックですが、選択肢の性質により使う手管が変わります。

 選択肢を3段階(レベル)に設定することができる場合は、真ん中のものを選びやすくなる 『松竹梅の法則』(別名:ゴルディロックスの法則)が知られていますね。

 例えば松コース8万円、竹コース5万円、梅コース3万円コースがあると、真ん中の竹コースが選ぶのが収まりが良い。

 そこで 最も選んでもらいたい選択肢を真ん中にするテクニックです。

  “一番人気は、この竹のコースですよ” なんてクスグリを加えるのも効果的ですね。

 では選択肢を3段階(レベル)に出来ない場合は、どうするか?

 この場合は 『新近効果』 を利用します。

 例えば和食コース、洋食コース、中華コースのような どれも同列ですが違いはハッキリしている場合は、選んでもらいたい選択肢を最後に提示するのが宜しいでしょう。

 人は最後に提示されたものが最も頭に残りやすい性質 『新近効果』 を利用するテクニックです。

 雪斎の書状では具体的な3つの選択肢を提示して武田が静観する動きを封じ、かつ 選んで欲しい物を最後に持って来る合わせ技を使っているのです。

 恐るべし、太源雪斎…って所でしょうか。 

 戦国の僧侶が現代の心理学を応用しているのか? と思われるかもしれませんが、当時の人間を舐めて貰っては困ります。

 脳波を測るテクノロジーや事象を仮説・検証し体系だって整理する科学的アプローチは近年になってからですが、人の心の動きは今も昔も変わらないのです。

 人の苦悩に向き合う僧侶の様な者は、今よりも暗示や洗脳に通じていたのではないでしょうか。

 (現代でも教団や占い師に洗脳された…なんて話しは聞きますし)

 また、秋山十郎兵衛も普段のポンコツ振りに忘れられがちですが、透波の頭、情報戦に携わる者ですから、相手を騙したり誘導する心理操作は研鑽を積んでいる事でしょう。

 雪斎の仕掛けに気付くのは当然とも言えるでしょう。

 むしろ戦国時代の方が人の心へのアプローチは現代人より繊細でアクティブだったかもしれませんね。

 以上、戦国心理学解説でした。


―――――――――

 秋山十郎兵衛の講釈が終わり、御経霊所吽婁有無(オペレーションルーム)の空気に疲労感が漂い出した。

 このまま散会となる雰囲気を打ち破り、晴信が鷹羽に問うた。 (良く踏ん張った!)


「ところで大輔、雪斎はしつこく火薬の製法を強請って来るが、そんなに貴重なのか?」

「多分、今は外国からしか入ってこないと思います。

て事は量は限られるでしょうから、鉄砲をどれだけ作っても大量運用は出来ないんじゃないかと」

「ならば、火薬は作り方を教わっただけで直ぐに作れる物なのか?」

「そうですねぇ、簡単か難しいか、と問われれば…割と簡単です。

臭いとか、危ないとか、面倒な事はありますが…それより原材料集めが大変なんです。

何と言うか生き物の副産物が原材料なので、現状では領民や牛馬の数が生産量に直結します。 (※1)

領民は今川の方が多いんでしょ? 製法を教えてしまうと、生産量は数年後には圧倒的に負けるでしょうね」


 晴信は軽く頷きながら続けて疑問を口にした。


「次に訊くが、鉄砲で城は落とせる物か?」


 首を傾げて考え込んだ鷹羽に代わり、古澤が口を開いた。


「ナゴヤで鉄砲の威力を見て来た僕は発表する資格があると思うんですが…鉄砲で城は落ちません!」


 勘助が慌てて古澤を抑える。


「亮! 出過ぎて居るぞ。 お主は城攻めを知らぬであろう」

「あーっと、そうですね。 実を言えば帰って来てから春日君に色々教わったんですよ。

鉄砲に狙われたらどうすればいいか? とか、どっちへどれ位逃げれば良いか? とか…

で、ですね、鉄砲ってのは弓と槍が合わさった様な武器で、矢が届く距離に槍を打ち込む事が出来ると思えば良い…と」


 晴信や信忠が頷くのを見て古澤が言葉を続けた。


「で、春日君の意見を続けますと…槍で城門は破れないので、城攻めはビュンビュン丸一択だ。 との事です。

で、鉄砲が力を発揮するのは籠城戦(ろうじょうせん)攻手撃退(せめてげきたい)

それに野戦(やせん)決定打(けっていだ)だ! とも言っていましたけど、意味は判りません!」


 古澤の言葉に勘助は目を瞬かせつつ、晴信に向き直り


「ああ、ビュンビュン丸とは飛丸が事でありまして…

只今 亮が…と言うより春日昌人が申した事は我と語った事で御座る。

要は鉄砲をいくら集めても、守りの堅い城は容易に落ちぬであろう…と考えて居る様な次第であります」


 勘助の言葉に今度は甘利がボソリと呟いた。


「ならば、上杉が吹き込まれた策では河越は落ちぬのではないか?…雪斎は鉄砲を買い被っておるか、使い方を知らぬのか?」


 暫く考えた上で鷹羽が答えた


「うーん、あっちには日本史教師の藤堂がいますからね。 春日ほどでは無いにしても有効な使い方は判っているでしょう」

「ならば尚の事、馬鹿な軍略じゃぞ…」


 横から晴信が勘助に質問した。


「勘助ならば鉄砲隊で如何様に戦う?」

「左様ですな、我ならば…河越城は狙いませぬ。

こちらを劣勢と思わせ、河東に北条本体を誘い込み、遊軍とした鉄砲隊で討ち取る策を取ります…かな」

「成程…儂もそれが良き策と思う。

ならばこそ、河越城に攻め掛からせるは愚策と思えるが…河東へ北条本体を行かさぬ為の策か?」


 晴信の呟きに勘助が返答する。


「北条を河越に足止めする為ならば、鉄砲をチラつかせる必要は無いかと…

どちらかと言えば上杉を平井城から誘い出す方策の様な…」


 突然、駒井政武が声を上げた。


「勘助、それじゃ! 御屋形様、獲物を変えて見れば筋が通りまするぞ…」

「何の事じゃ政武、獲物とは何じゃ?」


 駒井は晴信に向き直ると自説を喋り始めた。


「雪斎の獲物は関東管領、上杉憲政様。

鉄砲の使い道は野戦が良いと申したは勘助では無いか。

今回城から引き釣り出されたのは上杉。 となれば獲物はそれでは無いか?

我等武田にも本意を隠し、北条攻めに駆り出す事で上杉を信じ込ませ、必殺の武具を見せびらかし河越に誘い出し、鉄砲隊で討ち取る。

これが狙いであれば、辻褄が合い申す」


 全員が駒井説の検討に入り、今度は勘助が声を発した。


「流石じゃ駒井殿。全てが腑に落ちる。

今川の目は西の三河、尾張に向いて居るゆえ、北条を潰して伊豆、相模を取るは間が悪い。

それに…今川と北条は今までの付き合いを思えば、裏で繋がっておっても不思議では無い」


 駒井と勘助の分析に晴信はゆっくりと頷き、


「成程…政武の見立てが一番筋が通るの。

雪斎の書状だけでは思いも付かぬ裏が隠されて居ると言う訳か。

それにしても 真田の知らせが無ければ、河越の動きなど思いもせなんだ…

危ない所であった」


 晴信の言葉に御経霊所吽婁有無(オペレーションルーム)に居る者一同、深く頷いた。

 室内には一仕事終わった感が漂ったが、実はまだ 何も決まってはいないのである。

 その現実に秋山十郎兵衛が引き戻した。


「して御屋形様、雪斎様の要請、如何いたしましょうや?」


 晴信は腕組みし、雪斎への返答を熟考しだした。

 ふと勘助に目を遣り、


「勘助、一つ訊くが…雪斎所望の雷玉、五百も何に使うのであろうか?」

「河東の戦は見せかけでありましょうから…

あの地にあるは急場の砦が殆どで、雷玉を使わねば落とせぬ城は見当たりませんな」

「であるな…よし決めた。

雷玉は扱いが難しいゆえ今川衆には危ない、と断りを入れ 代わりに赤玉を五十ほど送るとしよう。 

ふふふ、予定以外の答えをすると、雪斎は怒るかのう?」

「それで宜しいので? 数が足りぬと怒りませぬか」

「ならば…何をするか判らぬ原虎胤(はらとらたね)を送ろうかと打診して見よ。 それは勘弁と断って来よう」


 秋山は頷き、言葉を被せて来た。


「承知。

今川繋がりで処理しますが、寿桂尼様へのお答えは 如何いたしましょうや?」


 問われた晴信は顎を摩り、考え込んだ。

 そんな晴信を横目で見ながら甘利が独り言の様に


「今川の姫の輿入れであれば、武田として悪い話しではないが…河東に住まわしたいとなれば、話は別。

武田家嫡男が人質となったも同然…軽々には受けられぬ。

大体、河東の扱いが腑に落ちぬ…寿桂尼様は雪斎党の企みをご存じなのであろうか?」


 甘利の言葉で考えが纏まったのか、晴信が十郎兵衛にニヤリと笑い返答した。


「ここでまた寿桂尼様の真意を探るは時間が惜しい。

太郎も今川の姫も まだ幼子、話しを進めるでもなく、断るでもなく…先が楽しみとだけ、答えるとしよう」

「御意。 されば、最後に真田殿で御座るが、箕輪の長野殿へはどの程度を伝えるが宜しいか…

僭越ながら、何も知らぬと伝えるが宜しかろうとは存じます」


 室内は沈黙に包まれた。 沈思黙考である。

 長野業正と真田幸綱は懇意である様だが、武田家とは直接関係はない。

 上杉憲政が今川の罠に狙われている事が明白であっても、知らせる義理も無い。

 一方、今川は武田と同盟を結んでいる間柄で、明白(あからさま)に妨害するのは、色々と差し障りが出る。

 また長野業正は先だっても佐久で甘利虎泰(あまりとらやす)と睨み合いを演じた相手である。

 係わるのを躊躇(ためら)うには充分な理由があり、十郎兵衛の意見も尤もなのだ。

 誰も発言しない中、焦れた様に中畑が声を上げた。 (あ、居たんだ)


「長野さんは好い人ですよ、そうですよね? 勘助さん。

甘利さんも出来れば味方になって貰いたい人って言ってたじゃないですか」 (※2)


 いきなりのパスにギョとしながら勘助が答える。


「お、おぉ。 確かに…」


 心情的には美月の言う通りではあるが、事は関東管領の上杉家をどう扱うかの問題であり、武田の軍師としては “政治” を考えなければならないのである。

 歯切れの悪い勘助に美月が詰め寄った。


「確かに…の次は?

あれぇ…まさか、見殺しにする気なんですか、皆さん。

長野さんが教えてくれたから雪斎党の悪だくみが判ったんでしょ?

まず有難うってお礼を言って、詐欺が横行してますから注意して下さいね。 って言うのが正しい行動なんじゃないですか?」


 勘助の目が泳いでいる。

 それを見た十郎兵衛は焦った。

 中畑がこのトーンで喋り出した場合、大抵 後始末は十郎兵衛に回って来るのだ。

 十郎兵衛が声を発した。


「美月殿、人の道の正しさは申される通りであるが、今は国を掛けての(まつりごと)の話をしておる。 お控えくだされ」

「はぁ? 国の為なら詐欺に手を貸してもイイって言うんですか? 控えませんよ!」 


 この当時の女性(にょしょう)ならば、男に “控えよ” と言われれば、納得しなくても口は閉ざしたであろう。

 しかし中畑美月は控えないのである。

 なぜなら、長野業正は真田幸綱の恩人であり、推しの恩人は神格化されるべき存在であるからである。

 それに引き換え、秋山十郎兵衛への美月の評価は(何故かは知らないが)低く、彼の言葉は響かないのであった。

 二の句が継げない状態の十郎兵衛を尻目に美月は頂上作戦に出る。

 晴信の目を見て喋り出したのであった。


「御屋形様は、騙す人間と騙される人間のどちらを評価なさるのですか?

正直だけではやっていけないのは判っていますが、自分の得の為に騙す人間はお付き合いしたくありません!

国だって一緒でしょ? 騙されようとしている上杉さんを助ける手立ては、何か無いんですか?」


 美月の視線を正面で受け止めた晴信が静かに答えた。


「己が為の嘘は(よこしま)、他が為の嘘は方便…仏の教えじゃな。

ふふ…十郎兵衛、其方(そち)の負けじゃ。

さて、今川との関係を壊さず、上杉を助ける方策を挙げよ」


 負けと言われた十郎兵衛は苦虫を嚙み潰したような表情だ。

 このままでは気が済まないと見え、一言 弁明が入った。


「巫女殿の申される事は正論なれど、正直者が報われるのは仏の住む世での話しで御座る。

残念ながらこの世は悪鬼羅刹が住まう世界。

正直者が馬鹿を見るが常識ゆえ、ご忠告申し上げたまで。

上杉が助かる保証は致しかねますが、真田殿へは我等が読みをそのまま伝え、長野殿へは真田殿の判断に任せるが良いのではありませぬか…」


 晴信は十郎兵衛の不機嫌を見て取り、宥める様に


「うむ、そうじゃな。

十郎兵衛が申す通り、注進して来た真田に返すが筋ではあるな。 

幸綱へ任すは良いが…それ以上の助けは要らぬか?」


 それ以上の助けと聞き、勘助と鷹羽が何やら相談し晴信へ返答した。


「武田が軍勢を上州に動かす訳には参りませぬゆえ、城西衆の秘密兵器を送りましょう。

まずは煙玉、火炎弾 それに、試作品ではありますが遠眼鏡などを」


 城西衆の秘密兵器と聞き十郎兵衛が疑う様な表情でツッコミを入れて来た。

 勘助と十郎兵衛は始終(しょっちゅう)バチバチなのである。


「煙玉? 火炎弾? その様な怪しげな物、役に立つのでありましょうな?」


 勘助と十郎兵衛のマウント合戦に巻き込まれ鷹羽はムッとしたが、コミュニケーションお化けの古澤が爽やかに打ち返した。


「だいじょーぶですよ! 尾張で雪斎党を見つけたり、紗綾ちゃんを取り戻したり、追っ手を撃退したり、実証済ですから!

斎藤道三の受けも良かったんですよぉ。

あ、そうだ、十郎兵衛さん所にも今度 おすそ分けに持って行きますから、使ってみて下さいね」

「…痛み入る」


 妙な間が流れたが晴信が周囲を見渡し、幕引きを告げた。


「雪斎への返書、寿桂尼様への返書 そして 幸綱と長野業正の扱い、全て決した で良いな?

何か言い足りぬ事は無いな…よし、締めるとする。

皆、ご苦労であった」


 ※1:火薬の原材料である(硝石)は日本では採掘できなかったので、動物の糞尿から作っているのである。詳しい製造法は “硝石丘法” で検索!

 ※2:勘助と甘利信忠は長野業正と西牧砦で会っている。経緯は第20話~第21話参照。


―――――――――

 さて、御経霊所吽婁有無(オペレーションルーム)でのブレインストーミングは終了した。

 前書きで 『會議は踊る』 だの 『小田原評定』 だのと結論が出ないと匂わせていた割に、ちゃっちゃと決まってしまった。

 まぁ対上杉の対策は真田に丸投げとなり、懸念が残る所ではあるが、異能者の集まる真田であるから、何とかするのではなかろうか。 (他力本願)

 しかし より深く考察してみれば、北条が相模と武蔵、それに加えて上州まで手に入れるとなると、巨大な勢力が隣に出現するのであるから、上州には緩衝地帯として踏ん張って貰った方が 武田としては心穏やかに過ごせると思うのだが。


 と言う訳で次回からは真田と上州のモニタリングである。

 今回はここ迄。


第84話・會議は踊る 或いは甲府評定  完

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