第83話・上州不穏
駿河の怪僧・太原雪斎と相模の北条が仕掛けた罠が動き出す。
今川、北条、武田、村上に翻弄された来た若き関東管領・上杉憲政は雪斎党の魔手から逃れる事ができるのか?!
戦国奇聞! 第83話・上州不穏
修験者姿の一行が早朝の街道を進んでいる。
先頭は楯岡道順である。
ズングリした体格に似合わぬ歩みの速さは流石伊賀者だ。
道順の後ろには金剛杖にしては太い、丸太の様な物を担いだ一隊が小走りで続いている。
一人、遅れがちな最後尾の男が悲鳴に近い声を上げた。
「道順! チョット、ちょっと待ってくれ。 こっちは手ぶらのお主と違い、重い荷を担いでいるんだ。
“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず” と徳川家康も言っているだろ!」
ヒョロッとした体で癖毛の頭髪を後ろで束ねた、息も絶え絶えの藤堂三虎である。
先頭の道順はハッと気づいた様に速度を緩め、返答した。
「おぉこれは…考え事をして普段の歩速となって居った。 歩くのも億劫な三虎殿には苦行でありましたの」
「厭味を言うな。 オレは泣き付いて来たお主を救おうとしているんだぞ。 もう少し敬え」
「いやはや、感謝はしておりますぞ。 この先も三虎殿の仕事であれば格安でお受けする所存」
「…金は取るんかい!」
「…所で 有難そうな言葉でしたが、徳川家康とは何処の何方様でしたかの?」
「…う、知らんで良い」
この前までは太源雪斎から直にお呼びを受けた事を鼻にかけ、三虎たちの使いなどやらないと嘯いていた道順であったが、少々状況が変わった様だ。
駿河の軍師、雪斎が描いた 『上杉への罠』 に関東管領を嵌めるべく、足繁く上州平井城に通っていたが、進捗が芳しくないのであった。 (※1)
曽て佐久攻めを唆したのは藤堂三虎と道順であった。
その道順が実行中の信州佐久侵攻は中止して、扇谷上杉家の居城であった 武蔵河越城を奪還すべしと献策するのである。
道順自身も “どの面提げて言ってるんだ” と思えるものであった。
しかし、雪斎大僧正の読み通り 今川軍師の書状が持つ信用力で、関東管領・上杉憲政は河越城攻めをやる気になったのだ…それもかなり 前のめりで。
だが、己の経験の無さを自覚している上杉憲政は自軍の先頭に長野業正が立たねば、出陣はしないと言い出した。
やむを得ず、道順は佐久侵攻中の信州志賀城まで長野業正説得に出向いた。
百戦錬磨の戦士で、かつ 曲った事が大嫌いな高潔の士である長野業正は明らかに疑いの目を向けて来た。
人の目の前に餌を垂らし、舌先三寸での誘惑を処世術とする道順の天敵とも言える人物なのだ。
太源雪斎の書状を見せ、河越城攻めの有用性、優位性を懇切丁寧に説明したのだが、首を縦には振らない。
傍らに畳んであった地図(図1)を道順の前に広げ、鋭い質問を突き付けて来た。
図1:坂東勢力図
その一:『今川と挟み撃ちと言っても、河東は河越から40里(160㎞)もあるのに連絡はどうつけるのか?』
その一:『扇谷敗走から八年、充分増強された河越城をどう攻める? 武田から飛丸なる城攻めの武具を譲られたとの噂は聞いているが、今川領から敵地の中、河越まで引っ張って行けるとは思えない』
言われてみれば確かに気になる所であるが、雪斎の書状には触れられていないし、細かな話しは聞いていない。
若輩の上杉憲政ならば如何様にも丸め込めるが、老将の経験値の前では “一旦、持ち帰えらせていただきます” がやっとであった。
目の奥底で笑った長野業正は止めとばかりに言葉を重ねて来た。
「憲政様に兵をお貸するは吝かでは無いが、信州不穏なれば この業正自身は河越城攻めに出れぬ。
しかし、先の二つの問いに納得のいく答えが無ければ、上杉憲政様の出陣も全力で阻止する所存ぞ。
心して返答を致すが良い」
長野業正の眼光に射すくめられ、この仕事は無かった事にしようかとも考えたが 漸く手に入れた大口顧客からの直仕事を失敗る訳にはいかないと思い直す道順である。
返答を思案したが 普段の行いからか 思い浮かぶ策は嘘臭い物ばかりであった。
思いあぐね 恥も外聞もかなぐり捨て、藤堂三虎に泣きつき、返答を求めたのであった。
と言う訳で 持ち帰り案件の答えを携え、関東管領・上杉憲政の居城 上州平井城へ向かっているのである。
※1:雪斎の軍略と道順の災難は第75話を参照
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ここは平井城に隣接した弓場 (弓の練習場)である。
矢道(中庭)には周囲から目隠しの陣幕が張られ、射場(弓を射る所)の脇正面の上段には上杉家の重鎮が揃い、下段に控える道順たちを睥睨している。
上段上座には床几が置かれ、城主上杉憲政の到着を待っていた。
待ち時間の間に 上杉憲政の基本情報を解説しておこう。
憲政は齢二十歳そこそこ、見た目は端正な美丈夫で、押し出しは満点である。
何不自由なく育った 山内上杉家15代当主と見えるが、これで中々ヘビーな人生を歩んでいるのである。
憲政の父、13代当主 上杉憲房は憲政が僅か3歳の時 急な病で死去する。
家臣の離反、仇敵扇谷上杉家や相模の北条、甲斐の武田信虎などとの抗争真っ最中の時である。
四方敵だらけの山内上杉家を幼児が率いれる訳も無く、古河公方家からの養子に14代目を持って行かれる。
しかしこの時代はあらゆる所で勢力争いが起きて居り、14代目の里である古河公方家でも跡目争いが勃発し、時を同じくして山内上杉家でも先代の嫡男憲政を担ぐ勢力が巻き返しを図り、内紛に次ぐ内紛が起こったのであった。
不謹慎ではあるが、見ている分には跡目相続の抗争は面白い。
それぞれの陣営が自分たちの正当性を口にしながら、裏では裏切りや不正の限りを尽くすのである。
古今東西、日本の戦国武将も指定暴力団もイタリアのマフィアも同じ図式で楽しませてくれる。
山内上杉家を巡る動きを映画化すれば 『仁義なき戦い』 や 『ゴッドファーザー』 の様な骨太のドラマになるであろう。
紆余曲折の末、8歳の憲政が家督を継ぐこととなったのだが、上杉家の場合は “関東管領職” がくっ付いているが厄介であった。
今までも話の中で度々目にして来たと思うが、何の役職であるか理解している読者は少ないと思われる。
序にこちらも解説して見よう。
時は戦国時代…と、簡単に書いているが正式には室町時代、足利家の将軍が続く時代である。
室町の前は、初めて武家政権が全国制覇した鎌倉時代である。
室町政権を支える武士、それも中核を成す家々は鎌倉時代の御家人であり、大元は坂東(関東)が本領の地である。
つまり滅ぼしたとはいえ、鎌倉幕府の威信は熾火の様にあちこちに残って居り いつ又火の手が上がるか判らない、油断のならない地が坂東であった。
そこで室町幕府は坂東を統括する機関 “鎌倉府” を設け、長官の “鎌倉公方” を置くのだが、生半可な者では治まらない職務とご理解いただけよう。
本来であれば倒幕の立役者、室町初代将軍・足利尊氏か それに準ずる人物が睨みを利かせるべきポジションだが、尊氏は活動拠点を京都に移さざるを得えない状況となる。
倒幕の首謀者にして、皇室のトリックスター後醍醐天皇が京の都に君臨し、建武の新政で武士排斥に動き出したのである。
対策として尊氏本人とそれなりの力量を持った一族の者、家来衆は悉く京へ上ったのであった。
では坂東の要、鎌倉府はどうなったか? と言うと、尊氏の次男 亀若丸を鎌倉公方に任じたのであるが、亀若丸は元服前の童であった。
そんな訳で急遽、鎌倉公方を補佐するために新設されたのが “関東管領” (当初の呼称は関東執事)である。
立場的には鎌倉公方の下部組織でありながら、任免権は京の将軍が持っている様な 無理遣りに作られた役職である。
当然ながら関東管領もかなりの実力者でなければ務まらない役目で、上杉家、斯波家、高家、畠山家などの坂東の守護を兼務する家が2名体制 かつ 交代制で受け持った。
関東管領の具体的な役割は坂東の守護及び地頭の管理であるが、それは関東一円の武士を掌握する事であり、次第に鎌倉府以上の力を持つ事となり、魅力的なポジションとなっていった。
いつしか2名体制・交代制は崩れ、上杉家の世襲となり 力を付けた関東管領は鎌倉公方とも対立していく事になる。
そうこうする内に、鎌倉公方と京都の足利将軍家と対立が発生し、3極の綱引きで混沌が出来上がる。
足利将軍家と関東管領上杉家が手を組み、鎌倉公方を追放するが、下総古河へ逃走して “古河公方” が爆誕する。
新たに京の将軍家から公方が送り込まれるが、坂東武者に受入れられず、伊豆の堀越辺りで “堀越公方” が活動を開始する。
つまり坂東を統括する公方が分裂する為体である。
一方、関東管領上杉家も嫡流である山内上杉家と庶流の宅間上杉家、犬懸上杉家や扇谷上杉家などが覇権を競い、あっちこっちで断絶したり、挙句に越後守護家の上杉から養子が入ったりで混沌となる。
そんな様子を京の都では ”越後上杉が宗家、京都上杉(旧犬懸上杉家)が惣領(嫡流)、関東管領家(山内上杉家)は庶流” とまで囃される有様であった。
つまり関東管領の本流を謳っていた山内上杉家が庶流と噂されている状況で、15代当主 上杉憲政としては 捨て置けない話しなのだ。
総括として、この壮大なドサクサで漁夫の利を得て 一大勢力となったのが伊勢新九郎であり、その子 北条氏綱の策略で、山内上杉家、扇谷上杉家などが存亡の危機に立たされているのが今現在である。
現当主、上杉憲政には気の毒ではあるが “親の因果が子に報う” とはこの事であるまいか。
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随分と待たされたが漸く上杉憲政の登場である。
憲政の横に坐した恰幅の良い老人が号令を掛ける。
「関東管領 上杉憲政様の御成りである」
楯岡道順と三虎たちが平伏する。
憲政は床几に座り、軽やかに修験者姿の道順に声を掛けた。
「…道順、長野業正から出された宿題、聞いて居るぞ。
河越城の攻め手のあれこれ、雪斎殿から聞き出したか?
儂が得心する様な策であろうな?」
道順が更に深く低頭し答えた。
「ははっ、 確と。
然れど その策略、言葉では些か伝わり辛く御座います。
されば、戦の要となる武具とその使い手を連れて参りましたゆえ、お許しあれば、ご覧いただきたく」
憲政は道順の後ろに控えた修験者たちを今更ながらに眺め、返答した。
「その者共が使い手か? 苦しゅう無い、皆、面を上げよ」
道順の隣で頭を上げた三虎は後ろに控えた者に目配せをした。
すると修験者が一斉に動き出した。
担いできた葛籠から鎧を取り出し遠的(※2)の的場に立たせる者、太めの金剛杖の木の皮を剥く者…
怪訝そうに見守る上杉家の人々に向かい、切っ掛けを伺っていた藤堂三虎が徐に喋り出した。
「今からご覧いただくのが鉄砲隊で御座る!
上杉家の方々は御存知ないでしょうが、これからの戦は “鉄砲” が決め手。
先ずはその威力、目に焼き付けるが宜しかろう」
三虎の説明は丁寧なんだか不遜なんだか…微妙であった。
が、聞いていた上杉家重鎮は言葉使いより、聞き慣れぬ単語に引っ掛かった。
「ん? なんじゃ、その “てっぽうたい” とは?」
三虎はその問いにニヤと笑い即答
「弓よりも遠くの敵を、槍よりも強く突き殺す武器、それが鉄砲だ。
これを50、100と揃えれば、どんな相手でもイチコロってもんだ!」
多分用意していた台詞だった様だが、今一つ 伝わっていない。
上杉家重鎮は相変わらず、ポカンとしている。
慌てて道順が解説を付け加える。
「先程も申しました様に、言葉では些か伝わり辛く御座います。
まずはご覧いただくと致しましょう!」
準備の整った鉄砲隊は8丁の鉄砲で遥か先の的場に立てた鎧を狙った。
横に立った三虎が号令と共に大きく上げた腕を振り下ろすと、轟音が辺りに響き渡る。
射場を包んだ大量の煙りが晴れた時、14代目当主は床几から転がり落ち、上杉家重鎮の殆どは物陰に隠れていた。
床几によじ登って来た上杉憲政が精一杯の気力で周囲の者に声を掛ける。
「今のは何じゃ?? 雷が落ちたのか…皆の者、大事は無いか!」
そんな上杉家の面々を見下ろす様に三虎が仁王立ちで叫んだ。
「これが鉄砲で御座る! そしてあれを御覧じろ!」
指し示した遠的の鎧は全て倒れていた。 (※2)
※2:遠的は遠い的場の意味。 現在の全日本弓道連盟弓道競技規則では射距離90m、70m、60m、50mの4種が規定されているが、ここ平井城の矢道は三十三間(約60m)である。
京都の通し矢で有名な三十三間堂は本堂の長さが約121mであるが、これは本堂内陣に「33の柱間」があるゆえのネーミングである。…紛らわしいのだ。
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射場では活発な質疑応答が行われていた。
実射直後は気を失っていた者も居た様だが、暫くして平静を取り戻した重鎮たちは 回収してきた穴だらけの鎧を確認し、鉄砲の威力を理解した。
若い憲政は目新しい武器に興奮し、矢継ぎ早に三虎に問いかける。
「番えた様子も無しに、どの様にして矢を飛ばしたのじゃ?」
「…軍機により お答えできません」
「あの雷鳴は陰陽師の術か?」
「…軍機により お答えできません」
「…ならば、何なら答えられるのじゃ!」
「されば…鉄砲はこれより遠い敵も倒せます。
ここは手狭でしたので、この程度でしたが1町(100m)程度は誰でも軽々と」
「なんと?我が家中にも一町飛ばす強弓の者は居るが…誰でもとな」
高揚した憲政は早くも “これで河越は落ちたも同然である” と口走ったが、慎重な者が 長野業正の宿題の検証を求めて来た。
これにも三虎が意気揚々と答えた。
「今川と連絡はどうつけるか? の答えは二つ。
第一はこの道順が答えだ。 薄々気付いていただろうが、道順は伊賀育ち。
伊賀者は壱日千里…は無理にしても、1刻に10里を駆ける。
そんな伊賀者を各所に潜ませているんだ…これを繋いで走れば4刻、1日で着く計算だ。
夜目が効く者もいるそうだから、一昼夜で行って戻って来れるんだな、これが。
第二に挟み撃ちは攻め掛かる刻の見極めが肝心だろ?
この鉄砲の轟音を合図にすれば完璧だ。 どんなに喧しい戦場でも聞き逃す事はあり得ない」
三虎は自信満々に言って退けたが、忍者がそこまでやれるかと首を傾げる方もいるだろう。
例えば現代の正月の定例行事 “箱根駅伝” では、ランナーの平均スピードは時速20㎞程度である。
優勝校は往復10区間(217.1Km)を11時間弱で駆けるのである。
伊賀者が中堅校程度と想定すれば、160㎞で8区間、8人の駅伝で9時間チョットでいける計算となるので、あり得ない話では無い。
上杉家の面々から追加質問が出ないうちに三虎は次問の回答に移った。
「長野業正 第二の質問は河越城をどうやって落とすか…だったかな?
その答えもこの鉄砲だ。
業正さんの指摘とおり、投石器みたいなデカい物を北条の支配地を運べる筈は無い。
だが…鉄砲を木の皮で包めば、棍棒にしか見えない。
何よりの証拠に、こうやって鉄砲は持ってこれた訳だ。
オレの鉄砲隊は120は居る。 これを3列に並べで連べ撃ちすれば、落ちない城など有るものか」
上杉家の慎重な者も頷いた。
後は家臣一同の賛成が示されるだけで、憲政は河越城に打って出る。
最後の一押しを道順が口にした。
「鉄砲は今川の軍機中の軍機。
雪斎様がこれだけの鉄砲をお見せしたのは、それだけ憲政様を買って居られる証拠でありまする。
しかしこの手の軍略は時期も大事。
これ以上逡巡が続くようであれば、この話 旗振りは扇谷の上杉朝定様にお願いせざるを得ない事と成りましょう。
ご返答は如何に」
上杉憲政は顔を輝かせ頷いた。
「あの雷鳴を聞けば勝てる気しかせぬ。 鉄砲隊が同道いたすのならば、勿論 出陣じゃ。
良いな皆の者、曳、曳!」
「応!」
道順と三虎は顔を見合わせ、軽く頷き合った。
上杉憲政は長野業正抜きで動く決断を下したのである。
河越の戦いが動き出した。
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楯岡道順は作戦を次段階へ進める為、駿河に戻って行き、三虎は平井城に残り 下にも置かないもてなしを受けつつ、残りの鉄砲隊の到着を待っていた。 (道順のハードワークは当分続く様だ)
長野業正抜きでも “ひとりでできるもん” と意を決した憲政であったが、高揚感が静まると不安が頭をもたげた。
一応事の顛末を報告、じゃない、連絡しておくか…と、長野業正に書状を出す、健気な14代目当主であった。
書状を受取った長野業正は、真田幸綱から聞いていた鉄砲の大量投入に、直観から罠の匂いを感じ 今川の動きを探るべく幸綱にコールを出した。
真田は即刻 甲府に注進を入れ、上州での雪斎党の暗躍は躑躅ヶ崎館の知る所となったのだが、時を同じくして駿河(雪斎)からは河東の北条攻めへの協力要請が、また時を同じくして今川氏(寿桂尼)からは縁組の返書の督促が届き、外交方針を巡って家臣団が紛糾するのだった。
武田信繫と諏訪湖衣姫の婚礼など、お祭り気分の甲斐であったが 周辺国の思惑はそれを許しては呉れない様である。
躑躅ヶ崎館の状況に目を転じようと思ったが、そろそろ紙面が尽きる。
今回はここ迄。
第83話・上州不穏 完




