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第81話・勇者の帰還

閉塞感漂う佐久平の睨み合いは川中島の大宴会で終了となりました。

良かったと言えば良かったんですが、文句がある方々もいらっしゃる様で…

今回はそこら辺から始まります。

戦国奇聞!(せんごくキブン!) 第81話・勇者の帰還


 ここは諏訪上原(うえはら)城に程近い、真田屋敷である。

 真田幸綱(さなだゆきつな)の許に客人が訊ねて来ているが、用件は佐久の事である様だ。

 数カ月に及ぶ佐久での睨み合いは幸綱の関わらない所で決着を見、潮が引くように村上の影が消えた。

 成り行きで対峙していた大井氏や望月氏も兵を引き、佐久志賀(しが)城の長野業正(ながのなりまさ)も睨み合う相手が居なくなったので、上州へ引き上げて行った。

 それぞれ大過なく元の生活に戻ったのであるが、動員経費が掛かっただけで実入りが無く 不満の残る皆さまである。

 中でも大井貞清(おおいさだきよ)は幸綱に対し、何やらクレームを入れるべく 若き宿老相木市兵衛(あいきいちべえ)を使いに寄こして来た。

 市兵衛は幸綱に貞清からの書状を渡し、幸綱が目を通す間 出された白湯を啜り、美味そうに干し柿を頬張っている。

 読み終わった頃合いで市兵衛が幸綱に声を掛けた。


「殿の言い分はご納得いただけましたかな?

大井家は武田勢に矢一本撃つ事無く、退きましたぞ。

これは当初の約定通り、銭をいただくに値すると存じますゆえ、頂戴して参りたく」

「市兵衛 それは無かろう。

矢一本撃つ事無く…と申しても そもそも(いくさ)が起こって居らぬであろう。 それで銭三十貫を寄こせとは慳貪(けんどん)に過ぎよう」

「殿の文にも書かれて居りましたでしょ? 三十貫では足らんのです。

こちらは武田やら上杉やらとの境に大層な柵を作らされたので御座る。

柵を作るには木を切り出したり、馬で曳いたり…それはそれは財が掛かり申した。

ここは書状にある通り…」


 国境に柵だの塀だのを築くのは 古くは万里の長城、ちょっと下ってマジノ線にベルリンの壁、最近ではトランプの壁 など(たま)に見かける方策であるが、金が掛かる様である。

 確かにコスパが悪そうな策だ。


「ちょっと待て、儂は 城内の旗指物を武田の物に代えて呉れれば銭三十貫 とは申したが、柵を作れなどとは申して居らんぞ。

それに大井方は丸に上の字、義清(よしきよ)の紋を高々と掲げて居ったと聞いて居るし、この書状は倍の六十貫寄こせとあるではないか。

約定破りは其方(そのほう)であろう。 払えるか!」 (※1)


 市兵衛は幸綱の返答を予想していた様に笑みを浮かべ反論した。


「ふふふ…それがですな、幸綱殿の後を継いだ武田の御家来、山高親之(やまたかちかゆき)殿が…」

「なんじゃ…山高殿が何とした?」

「武田と槍を交わさねば銭は払うと申されての…」

「…」

「ほら、この様に書付も御座る」


 市兵衛は懐から書面を一枚取り出し、幸綱に見せた。

 幸綱は身を乗り出して文面を読んだ。

 そこには 山高の名と共に “武田と争う事無くば 真田が約定に増して銭を用意する” と走り書きされていた。

 山高親之は武田信繫(のぶしげ)の側近で清廉潔白、質実剛健な男だが、真っ直ぐがゆえ ひっかけ問題にはハマりまくる お茶目なナイスガイである。


「市兵衛…其方(そなた) 山高殿を嵌めたな」

「はて? 嵌めるとは何の事やら。

我等の様な弱き者は利に聡く動かねば、瞬く間に領地を失いますゆえ、ここは得心なされ。

さて…村上は一文も払わず砥石(といし)城に引き上げ申した。

今回 大井に限らず村上に組した者に財を蒔けば、佐久平の者達は武田…否、真田殿の下に集まりましょう。

これは弓矢より強く(つよう)御座りますよ…」

「…」


 古今東西 (いくさ)は銭が掛かるのである。

 弓矢よりも銭の方が即効性のある “実弾” なのは、戦国の戦も現代の選挙戦も変わらないのであった。

 銭で味方を作れる良い機会だと相木の献策である。

 幸綱が反論しなくなったのを見た市兵衛は ふと思い出した様に


「そう言えば、望月盛時(もちづきもりとき)殿より伝言を預かって居りました。

“鳩は届かぬか?” だそうですが、何の事ですかな?」


 幸綱はその問いに改めて亡き妻 忍芽(しのめ)、そして未だ戻らぬ八幡隊に思いを馳せ、呟いた。


「千代殿たちは如何しておるか…早う戻って貰わねば、望月の抑えが効かぬな…」


 ※1:幸綱が佐久で何を約束したかは第73話前半を参照。


―――――――――

 思いを馳せられた八幡隊はどうしているであろうか…

 先ずは織田の目を引き付けつつ、桑名へ渡った禰津神平(ねずじんぺい)たち 尾張組…改め伊勢組のその後である。

 そう言えば、彼らの消息は庚申待ちから触れていなかったな…息災であろうか。

 時を少々遡り、桑名の宿で雪斎党の一味、伊賀の上忍藤林保豊(ふじばやしやすとよ)と徹夜で酒を酌み交わした後からの状況をお話しよう。 (※2)


 “堺で売られる鉄砲をどうしろと言うんだ” との酔っ払いの愚痴(スクープ!)を入手した神平は和泉国(いずみのくに)大鳥(おおとり)堺津(さかいみなと)を目指した。

 友であり、主とも言える真田幸綱の正室を鉄砲で討たれた神平にとっては、仇を取る為に火縄銃は是非とも手に入れなければ成らない物であった。

 とは言え、堺に行っただけで鉄砲が手に入るとは限らない。

 有ったとしても高価な品は日々の路銀にも事欠く神平たちでは、120%手に入らないであろう事は容易に思い至る。

 しかし必要な物、重要な物は諦めてはいけないのだ。

 何が何でも手に入れるとの決意で突進し、初めて手に入るのである!

 と、昭和の人生訓の様な事を書いて時代遅れと(そし)られそうであるが、時代は天文年間、470年以上も昔なので、昭和以上の精神論もセーフなのだ!

 話しがブレたが神平には当てがあった。

 海野十座(うんのじゅうざ)に持たせた書状には さりげなく復路の路銀の仕送りも頼んでおいたので、稼がねばならないのは鉄砲代だけだ。

 そう言い聞かせ堺に向う三人であった。

(因みに甲陽忍びの十座であれば 自分たちの足跡は辿れる筈なので、そこは心配していない)

 桑名から東海道で鈴鹿山脈東麓の関(関町)まで行くと、大和から紀伊、淡路、四国を結ぶ官道として整備された南海道の一部、大和街道(奈良街道)に入る。

 大和街道は大海人皇子(おおあまのみこと)が壬申の乱の折に、そして源義経(よしつね)木曽義仲(きそよしなか)を討つ折に通ったと言われる古い街道である。

 大和街道の終点 奈良の春日大社からは暗越(くらがりごえ)奈良街道を通り摂津(せっつ)(大坂)に抜ける。

 この道は奈良時代から難波と平城京を最短距離で結ぶ道として、防人(さきもり)や唐・朝鮮の外国使節も使うメインルートである。

 街道にあるくらがりは峠の名で現在の国道308号線でも健在の難所だ。

 自動車でも一度止まると脱出に苦労する激坂で、国道日本一の坂道として知られている。

 摂津(大坂)から堺津には熊野へ続く道やら高野へ続く道やら、選び放題となるがトータルで約170㎞、そこそこの旅である。

 しかし こちらは忍びの家元と山野を掛ける猟師である、舐めて貰っては困る。5日で堺に着いた。

(体力に問題は無い、しかし手元不如意、銭は無い)

 と言うことで、神平は鶚丸(みさごまる)を飛ばし、縫殿右衛門尉(ぬいえもんのじょう)は猟犬を走らせ芸を見せる、今で言えば猛禽のフライトショー&ドックアジリティーで宿代と鉄砲の購入資金を稼いでいる最中であった。

 因みに望月源三郎(もちづきげんざぶろう)は何をするかと言えば、縫右衛門尉ぬいえもんのじょう特製の切り傷軟膏の啖呵売である。

 これが後年のガマの油売りの元祖である。 (…嘘だよ、信じるな)


※2:雪斎党の伊賀者も人の子だよなぁ…と思う庚申待ちのあれこれは 第69話参照。


 仕送りを持って来る筈の十座はどうしているかと言えば、甲府(躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた))で鉄砲代金の砂金を受取り、桑名へ向かったのであった。

 …え? 話しが繋がらない? かもしれない…

 少々回りくどくなるが、武田家の情報機関の解説から始める必要であるので、心して付いて来て欲しい。

 まず、今までの物語の中で活躍が見られた情報機関と言えば?

 ご存じ 真田忍軍が思い浮かぶであろう。

 忍術の家元にして鷹使いの禰津神平、城主の妻にして歩き巫女の望月千代、一人で桃太郎の家来3匹分の能力を持つ海野十座 等々、強力なキャラクターを揃えている忍び集団である。 

 であるが、真田の忍びは真田幸綱の私的組織、武田家非公認であり、現代で言えば “帝国データバンク” …違うな、そんな権威は無い。 知る人ぞ知る興信所、アクの強い探偵社と言う所か?

 御屋形様(武田晴信(はるのぶ))直轄の情報機関は、秋山十郎兵衛(じゅうべえ)が統括する甲州透波集団である。

 こちらは国家安全保障局か内閣調査室となる。

 で、武田の情報機関はそれだけかと問われれば、他にも有るのである。

 情報感度の高い晴信は武田家の家臣の中でも特に信任厚く、痒い所に手を届かせて欲しい重鎮、甘利虎泰(あまりとらやす)板垣信方(いたがきのぶかた)飯富虎昌(おぶとらまさ)の3人に、10人程度の透波を預けていたのだ。

 中央から細かい事を言われなくても、それぞれ他国に探りを入れて備えて置けよ…とのプレッシャーな訳だが、別視点で情報を探る部隊が存在し、多方面に火縄銃の情報収集が行われていたのであった。

 まぁ現代でも行政府、公安部署、国防関係で個別のスパイ組織を運営しているのは周知の事実で、一般市民はいつも誰かに監視されていると心得るべきである。 (…何の話だ?)

 次に情報収集についての解説である。

 日本語の “情報” は data(データ)、intelligenceインテリジェンス、informationインフォメーション を包含していると以前も書いた。

 ノイズ混じりのdata(データ)から有用なinformationインフォメーションを見つけ出すのは、高度なintelligenceインテリジェンスが必要とされる作業であり、至難の業である。

 しかし欲しいinformationインフォメーションがある程度絞れている場合は、intelligenceインテリジェンス抜きでもdataデータからピックアップ可能である。

 美味しいラーメン屋をゼロから見つけるのは膨大なリサーチが必要だが、旨いと評判の店の住所は簡単に探せる の論理である。

 鉄砲に関しては鷹羽先生が作成した図 『鉄砲とは何か!?』 (※3)があれば、あちこちの商人に “こんな物見ませんでしたか?” と尋ね歩けば良いだけである。


※3:鷹羽先生の資料は第54話、図1参照。 こんなポンチ絵でも問合せには有効なのであるが…最近は “ポンチ絵” が死語で伝わらないのが問題ではある。


 と、武田家の情報機関、情報収集の難易度について解説して来たが、まだ十座は出てきていないな…

 もう少しの辛抱である。

 火縄銃の情報を掘り当てたのは飯富虎昌に割り当てられた透波であった。

 飯富と言えば、隊の甲冑や旗指物などの武具を朱色で統一する “赤備え” の元祖である。

 赤備えの武具は辰砂(しんしゃ) (硫化水銀からなる鉱物)で染められるのだが、辰砂は大和(奈良)の水銀鉱山で採れるのだ。

 それなりに高価な物で、銭が動く所は情報も集まる。

 と、風が吹けば桶屋が儲かる的に、辰砂買い付けに同道していた透波が堺に鉄砲が出回っているとの情報をゲットし、速報が甲府に(もたら)されていた。

 時を同じくして幸綱から桑名に残った八幡部隊の路銀を無心された晴信が、(ついで)に堺で鉄砲を買い付けろと 砂金を持たせ送り出したのであった。

 …十座の件、理解できたであろうか?

 ご都合主義、とか言った人…聞きなさい。

 世の中の人の縁とか、世紀の大発明のヒントとかは、大回りして繋がったりするのである!

 もう一度訊く…十座の件、理解できたであろうか?

 首、縦に振ったね? ヨシ、繋がった。


―――――――――

 さて、思いを馳せられたもう一隊、美濃組はどうなったであろうか?

 こちらは第77話から4話ぶりであるので、記憶に残っているかもしれないが斎藤道三(さいとうどうさん)の居城、稲葉山(いなばやま)城から下諏訪を目指す旅である。

 地理が思い浮かばない方へ現代の地名で説明すると、岐阜県JR岐阜駅から木曽川を上り、JR中央西線と付かず離れず恵那、中津川から野尻に抜け、鳥居峠からは奈良井川に沿い、牛首峠を越えJR中央東線小野に至る 約200㎞の道のりである。

 JRなら塩尻から中央西線、太多線、高山本線を乗り継ぎ、3時間チョイで行けるのだが、ご利用は高山線、太多線開通・接続の1930年代まで、ざっと390年程待っていただく必要がある。

 彼等が今行く道は中山道(なかせんどう)、物語世界の時代では東山道(とうさんどう)である。

 呼び方は諸説あり “ひがしやまみち“ “ひがしのやまみち“ “ひがしのやまのみち“ 等々。

 中には “やまのみち” と、略し過ぎな物もあるが、どうであろうとずーと山道なのである。

 そう言えば、旧中山道(きゅうなかせんどう)を “いちにちじゅうやまみち” と読んだ女子アナがいたな…

 (あなが)ち間違いでは無い…いや、より適切な解釈だと思われる。

 神平たちの大和路はキツイ暗峠があると書いたが、こちらはこちらで主な峠だけでも 琵琶峠、馬籠峠、鳥居峠、牛首峠、小野峠とテンコ盛りである。

 それに美濃組の陣容をご記憶であろうか?

 メンバー10名の内、草薙紗綾(くさなぎさや)達川一輝(たつかわかずき)古澤亮按(ふるさわりょうあん)ら女子供が多いのである。 (あ、古澤先生は子供では無かった。 大人げない人だった)

 正直、伊勢組に比べると、たくましさに不安が残るメンバーと言わざるを得ない。

 また、こちらのルートは体力とは別の懸念点が有るのだ。

 東山道(中山道)の美濃落合は国境(くにざかい)で、ここから先の木曽谷は木曾氏の支配する地である。

 この当時の木曾氏は内政重視で戦は避ける家なのだが、どちらかと言うと小笠原氏と縁が深く、繋がりで言うと武田に警戒心を持っていても不思議ではない家なのである。

 木曽谷本道には当然、あちらこちらに関所がある。

 現代の海外旅行ではパスポート(旅券)が必携であるが、戦国時代には全国共通の通行手形パスポートは存在しない。

 あるとしたら寺や領主が発行する書付が身分証明となるが、原彦十郎ら八幡隊が持っているのは甲斐・武田家発行の物である。

 武田の書き付けを出すと、難癖を付けられるのでは…と言うのが懸念であった。

 そこで効果を発揮したのが斎藤道三の付けたガイド(露払い)であった。

 一人は御存知 境川の川浪衆(かわなみしゅう)、腕っぷしも強い松原芸久(まつばらのりひさ)

 そしてもう一人は初登場、稲葉良通(いなばよしみち)である。

 年の頃三十前後、丸顔で太い眉、穏やかな表情だが彼も中々の剛の者。

 その上医道にも関心が深く、今回の旅では古澤(亮按)先生と意気投合する仲となっていた。

 彼等がどの様な効果を発揮したか、関所の様子を見てみよう。


―――――――――

 ここは難所、鳥居峠を越えた奈良井である。

 現代でも江戸時代の雰囲気を残す約1kmの町並み、日本最長の宿場が売りの人気観光スポット、奈良井宿だ。

 この当時は木曾義在(きそよしあり)義康(よしやす)親子が木曽谷本道の整備に力を入れている時期であり、交通量は多くなって来ていた。

 とは言え、目的は観光客増加(インバウンド)を狙っていた訳では無く、木曽谷の有り余る材木を美濃に輸出する為であった。

 当然ながら行き来する人に対しては関所で厳重な審査が行われていたのだが、松原芸久と稲葉良通は役人の前に進み出ると、懐から分厚い書状を取り出し、広げだした。

 幾重にも折り畳まれたそれは、広げるとおよそ縦2尺(62㎝)横3尺2寸(97㎝)、大判のポスターサイズの美濃和紙である。

 文面は墨痕鮮やかに 『この者 斎藤左近大夫(さこんのたいふ) 利政(としまさ)が客人にて粗相(そそう)在るべからず』 と大書きされ、道三の花押とあちこちに朱印が押されている。

 世にいう朱印状なのであろうが、流石 キンキラ坊主、斎藤道三の出す書状は紙も文字も判子もデカくて派手である。

 朱印状を掲げ…と言ってもデカいので、片側を持ち上げた書状に隠れる様に稲葉良通が役人に口上を述べる。


「我は美濃の主、斎藤利政(さいとうとしまさ)様が懐刀(ふところがたな)、稲葉良通である。

これなるは 斎藤山城守(やましろのかみ)入道道三(にゅうどうどうさん)様の御朱印なるぞ。

してこの方々は美濃の客人にて、諏訪に御用が御座るがゆえの道中である。

書状に在る様、努々(ゆめゆめ) 粗相無きよう勤まれよ」


 …自分の事を懐刀(ふところがたな)とか言ってしまう。

 懐刀(ふところがたな)ってのは、知謀にたけ、秘密の相談や計画などにあずかる信頼のおける側近を例える言葉であり、普通自分では名乗らない物である。

 それを朗々と述べる稲葉は常識が無いのか、余程の自信家か…口上を聞いていた役人は厄介そうな人物と分類した。

 そして書面の主は左近大夫なのか山城守なのか利政なのか道三なのか、一体何人いるのか混乱する朱印状である。

 しかし美濃の斎藤と言えば木曾氏にとっては重要な得意先である。

 その上 道三は噛みつかれたら命に係わる(マムシ)である。

 下手な詮索はしないが得策。 


「ははあ」


 気を飲まれた様に役人は頭を下げた。

 こんな感じで行く先々、手厚い接待をうけての木曽路旅となった。

 真田忍芽を喪い 生駒衆に追われての逃避行の美濃組であったが、禍福は糾える縄の如し、人間万事塞翁が馬。

 覚悟していた割にはそこそこ良い思いもしている美濃組の面々であった。


 旅も終盤、いよいよ小野峠を越え、天竜川沿いの諏訪郡平野郷に入った。

 今で言う長野県岡谷市である。

 ここは諏訪西方衆の支配地で、ここの関所では原彦十郎が持っている武田家発行のパスポートが役に立った。

 西方衆は先頃の長時の高遠攻めに乗っかり、武田に惨敗したばかりであった。

 ゆえに反省文を書かされ帰順の誓詞を出したが、武田から目を付けられていると自覚しているのだ。

 武田の関係者には厚遇しなければならないと思っている時期でもあり、一行は急遽矢島氏の屋敷に招かれ、木曾氏にも勝る接待を受けるのであった。

 下諏訪平野から上諏訪上原城まで4里弱(15㎞)程度。 平坦な道なので二刻(約4時間)もあれば着ける場所である。

 その日のうちに上原城に入る気でいた彦十郎であったが、その場で長旅の垢を落とし、身支度を整えた上で翌日 上原城に登城する様、知らせが届いた。

 色々と気を使った矢島氏は八幡隊帰還の報を早馬で上諏訪上原城へ飛ばし、それに対しての武田信繫からの指示であった。

 人数分の装束が一緒に届けられたのは流石気配りの将である。


―――――――――

 明けて翌早朝、下諏訪の矢島屋敷は思わぬ人物の訪問を受ける。

 真田幸綱である。

 幸綱は城西衆製造の “乗れちゃう君” を操り、矢島屋敷に乗り付けた。

 “乗れちゃう君” って何だ? と思った方、今から説明するので…

 “乗れちゃう君” とは “運べる君” (※4)改造の乗用タイプである。

 乗用タイプとは…普通の “馬車” を思い浮かべていただいて結構である。

 見たまんま、人が乗る馬車そのものが “乗れちゃう君” である。

 それなら馬車と呼べばいいじゃないか、と思われるだろうが 開発者・明野君のコダワリで “乗れちゃう君” と命名されたのだ。

 命名権は開発者のモノなので、ここは “乗れちゃう君” とさせていただく。


※4:“運べる君” のスペックは第42話、活躍は 第44話、第45話 辺りをご覧下さい。 


 幸綱の訪問に驚く美濃組の面々だったが、武田信繫から連絡を受け、迎えに来たとの事。

 ここでも気配りの将である。

 忍芽の遺髪を渡し、悔やみの言葉を口にする彦十郎を止め、笑顔で美濃組の帰着を喜ぶ幸綱であった。

 “乗れちゃう君” に城西衆と望月千代や草薙紗綾などの女子衆(おなごしゅう)を乗せ 矢島屋敷を出立する。

 残りの八幡隊・美濃組の面々と美濃斎藤家の松原芸久、稲葉良通は騎乗し、後ろに続く。

 “乗れちゃう君” を先頭に凱旋パレードの様に威風堂々と上原城へ向かうと、途中の家々から物珍しさからか人々が列の後ろに くっ付いて来る。

 長い列となりながら進むと、諏訪湖に流れ込む上川の洲の一つ 白狐島に横断幕が張られ、イベント会場の様相が見えて来た。

 目を凝らすと 『祝・水車団地竣工』 と読め、大勢の人間が集まっている。

 彦十郎が “乗れちゃう君” の横に馬を寄せ、手綱を握る幸綱に問いかける。


「あれは何事ですかな? もしや我等を迎える式典で御座ろうか?」

「んー、ちと違うな。 あそこの幕に書いておろう? 多くの水車が完成して、今日はそのお披露目じゃ。

お、無論其方等(そなたら)が戻ったが事は、大いに祝う事ではあるぞ。

ゆえに信繁様は一緒に祝おうと、帰着を日延べさせたのだ」


 幸綱と彦十郎の会話を “乗れちゃう君” の荷台…馬車の座席と言うべきか? で聞いていた古澤が口を挟んで来た。


「あそこに見える水車って最近作ったんですか? 水車って祝う物なんですか?」

「ん…そうか、古澤殿は存じて居らなんだったな。

長時に荒らされた諏訪の人々には役に立つであろうと、鷹羽殿が水車と言う物を作って呉れたのじゃ」

「へぇー水車、無かったんだ…鷹羽先生 ガンバってるんですね」

「おぅ、古澤先生が旅して居る間に 色々とあっての。

鷹羽殿は近頃忙しく(いそがしゅう)ての、深志で河の流れを変えたり、善光寺で天狗になったり飛び回って御座る」


 幸綱の言葉に鋭く反応した達川が古渡の後ろから乗り出す様に


「え、鷹羽先生が天狗? コスプレに目覚めた?」

「何々!誰がコスプレしてんの?」

「あの出不精の鷹羽先生がコスプレ大会に出ているんだって!」


 達川君と坂井君に草薙さんを交え盛り上がっているが、スルーして話しを進める。

 到着した白狐島は奥に水車小屋が連なり、手前は横断幕が張られ人々が三々五々集っている。

 完全にイベント会場である。

 会場奥 ひな壇中央の床几には実質的城主 武田信繫が座り、左右には諏訪頼重(すわよりしげ)諏訪満隆(すわみつたか)ら諏訪一族、周辺の村長(むらおさ)等 偉い人&偉そうな人が座っている。

 センターには高さ7尺(約2m)の舞台が造られ、登壇した弁者が集まって来た領民に向け、水車の凄さを伝えているのである。

 折しも村の古老が稲わらを握りしめ、脱穀・製粉が如何に早く、楽になったか 熱弁を振るっていた。

 幸綱が美濃組と斎藤家の方々をコスプレ会場…じゃない、水車披露会場に案内すると信繁が席を立って出迎えた。

 首を垂れ帰着の報告をする八幡部隊、副長 原康景(はらやすかげ)(彦十郎)に頷きながら声を掛ける。


「長らくの勤め、ご苦労であった。 犠牲もあったが理不尽な者どもに武田の正義を示せたと信ずる。

 御屋形様へのご報告が済むまでは心休まらぬとは思うが、今日は諏訪の祭りを楽しんで呉れ。

 さぁこれより、皆も一緒に餅撒きじゃ!」


 信繫は先頭に立ち、美濃組、諏訪一族を舞台に(いざな)った。

 いつの間にか信繁の横には諏訪の女神にして守護神となった湖衣(こい)姫が寄り添い、領民から歓喜の声が上がる。

 正に大団円の場面だ。

 東映時代劇なら元禄花見踊り、ハリウッド映画やRPGならテーマ曲のファンファーレアレンジが鳴り、花吹雪が舞う場面である。

 中央に立った信繁が高らかに叫んだ。


ふくはぁぁ(福は) うちぃぃぃ()!!」


 壇上のお偉方も会場の家臣、領民も唱和する。


福は(ふくはぁぁ) (うちぃぃぃ)!!」


 花吹雪の代わりに無数の丸餅が宙を舞った。

 美濃組の帰還であった。


 第81話・勇者の帰還  完

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